(2025.4.24 Crux Editor John L. Allen Jr.)
(これから教皇フランシスコの後継者を選出する教皇選挙が開かれるまでの間、毎日、異なる 次期教皇有力候補のプロフィールを紹介していく。候補者を特定する科学的な方法はない。ほとんどは、長年にわたって行使してきた評判、地位、影響力によって判断される。ローマの古い知恵にあるように、「”教皇”として教皇選挙に参加した者は、枢機卿として退場する」のだ。しかし、これから紹介するのは今ローマで話題を集めている有力候補であり、少なくとも彼らが注目を浴びることは確実だ。これらの人物を知ることは、他の枢機卿たちが選挙に向けて望ましいと考える問題や資質を示唆することにもなる。)

ローマ発 – 独裁専制的な政治指導者の台頭、制御不能になりそうな欧州の政治的混乱、そして深刻な世界経済の動揺によって、世界が不安と不確実性にとらわれている中で、ローマの枢機卿たちは、新しい教皇を選出するために集まった。彼らは、”ペトロ号”が、訪れる運命にあると思われる嵐の中を安全に航海することができると信じるベテラン外交官に、その操舵を託すことになるかも知れない。
実際、これは1939年3月の教皇選挙の結果、もたらされたものだった。亡くなったばかりのピオ11世の下で国務長官を務め、1920年代には教皇大使としてドイツに駐在し、国家社会主義の台頭を目の当たりにしたバチカンの外交官、エウジェニオ・パチェッリ枢機卿が、教皇に選出された。彼は教皇ピオ12世を名乗り、戦時中の殺戮と混乱の中で教会を導くことになる。
多くのバチカン観測者たちは、今回の教皇選挙が”プロローグ”になる可能性があると見ている。世界は再び、画期的な一連の転換期を迎えるているように見えるからだ。
オーストリアやスイスとの国境に近い北イタリアの人口2500人の小さな町スキアヴォンで1955年に生まれたパロリンは、金物店主の父と小学校教師の母の間に生まれた。父親はパロリンが10歳の時に自動車事故で亡くなり、パロリンと兄(現在は判事)、妹(現在は教師)は母親のエイダに育てられた。
パロリンは司祭になることを運命づけられており、14歳で小神学校に入学し、1980年、25歳のときに叙階された。その3年後、将来のバチカン外交官の養成機関であるローマの名門、教皇庁付属教会アカデミーに入学し、彼の人生は決定的な転機を迎えた。
1980年代から1990年代初頭にかけて、パロリンはナイジェリアのバチカン大使館に勤務し、ビアフラ内戦と一連の軍事クーデターの後、民主主義を構築しようとする試みを見守った。
1992年、パロリンはバチカンに戻り、国務省で外国政府との関係を扱う第二課の補佐官を務め、その後、イタリア担当デスクのトップとして、国務省での長期勤務を始めた。この間、彼は第二次世界大戦の瓦礫の中にイタリアの伝説的な枢機卿ドメニコ・タルディーニによって設立されたヴィラ・ナザレの院長にも就任した。ヴィラ・ナザレは、恵まれない有望な若い学生に一流の教育を提供するための施設である。
2002年、パロリンは国務省の外務局長に任命され、バチカンで2番目に重要な外交官となり、ベトナムと中国との関係を特別に担当することになった。パロリンは、共産党が政権を握るベトナムとの関係正常化に貢献し、司教任命に関する取り決めや、ハノイの教皇大使の任命などにつながったと評価されている。
2009年から2013年にかけて、パロリンは教皇ベネディクト16世の下で、ベネズエラ特使を務め、ウゴ・チャベスの 「ボリバル革命 」の荒波を乗り越えなければならなかった。彼は後に 「積極的中立 」と呼ぶようになるアプローチを採用した。つまり、民主主義、人権、基本的な人道的ニーズのために積極的に関与しながらも、チャベスとも、彼の反対派とも、公然と手を組まないということだ。
パロリンのこの路線は、ベネズエラ国内の一部のカトリック信者や増加する反チャベス派のディアスポラから、「バチカンは、社会主義的なアジェンダや教会への頻繁な攻撃に、もっと率直に異議を唱えるべきだ」と批判を浴びた。
2013年8月、教皇フランシスコはパロリンを国務長官に任命し、以来、彼は12年間そのポストに就いている。例えば、教皇フランシスコが国務長官から”財布”の権限を取り上げた時や、ウクライナ紛争でフランシスコ自身が担当の特別大使を指名し、国務省の公式外交チームを事実上傍観させた時など、2人の関係には浮き沈みがあったが、パロリンほど、フランシスコに長く忠実に仕えた人物はいない。
この12年間における彼の外交的功績の中心は、2018年9月に署名された中華人民共和国との、同国での司教任命に関する「暫定協定」であり、これは2度更新されている。協定の全条件は秘密のままだが、基本的には、中国共産党とバチカンが、中国国内で新しい司教を指名する際のパートナーとなる、ということだ。
暫定協定の支持者たちは、中国との取り決めは、「地上の教会と地下の群れとの間の事実上の分裂を癒すために不可欠だ」とし、否定する人たちは、それは「共産党にあまりにも大きな影響力を与え、ローマへの忠誠のために苦しみ、死んでいった何世代もの中国人カトリック教徒に対する侮辱だ」と批判する。
*パロリンを教皇に推す理由は何だろうか?
明らかに、彼の深い外交面の実績と経験が中心となっている。ドナルド・トランプ、習近平、ウラジーミル・プーチンとテーブルを囲んで対等に渡り合える枢機卿は限られているが、パロリンがその一人であることは明らかだ。
さらに、パロリンは個人的にも平静を保ち、素晴らしい自制心を発揮することで知られている。もし、「フランシスコのバチカン」の中身の多くを提供できる人物を探しているのであれば、彼は良い買い物に思えるかもしれない。
*反対意見は?
例えば、「宗教的迫害に対して、声高に、はっきりと発言し、教会の敵と思われる人々に対して積極的に戦いを挑むような人物である必要がある」と考えるなら、パロリンはおそらく適任ではないだろう。
もっと平凡なレベルでは、1939年のパチェッリ以前、教皇に選出された最後のバチカンの国務長官は、1667年にクレメンス9世となったジュリオ・ロスピリオージ枢機卿であったことを思い起す価値がある。
理由は簡単だ。 国務長官は、一般的に、自分が仕えた教皇と同一視されすぎている。さらに、権力を握っている期間が長すぎ、単に敵を作りすぎているだけで、そのような記憶を持つ枢機卿たちが彼への軽蔑や不満、恨みを抱いている中で、教皇選挙で3分の2の票を集めることはできない。
加えて、バチカンの 「世紀の裁判 」につながったロンドンでの4億ドルの不動産取引の大失敗におけるパロリンの役割についても深刻な疑問がもたれている。複雑な話だが、パロリンがあの大失敗で争われたすべての取引を実際に承認したという事実が、本当にバチカンの深刻化する財政危機に対処できる教皇として適任なのかどうか、内部関係者は疑問に思っているかもしれない。
パロリンの結論は?Aリスト候補であることは間違いないが、懐疑的になる強力な理由もある。
何はともあれ、有名な(そして論破されたことで有名な)聖マラキの予言では、最後の教皇は 「ローマのペテロ 」と名づけられる、とされており、イタリア語で 「ペテロ 」を意味するファーストネームを持ち、成人してからもずっとローマに住んでいるピエトロ・パロリンは、”詩的な勘定書き”に合うかもしれない。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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