Pope Francis hugs a young boy during his weekly General Audience on August 17, 2022 EDITORIAL
- (2025.4.21 Vatican News Andrea Tornielli)
Vatican News 編集部長のアンドレア・トルニエッリが、故フランシスコ教皇の12年にわたる教皇職の根底に流れるテーマとなった慈悲へのこだわりを振り返る。
「神の憐みは私たちの解放であり、私たちの幸福である。私たちは憐みのために生きている。それは私たちが呼吸する空気なのだ。私たちはあまりにも貧しく、条件を付けることができない。私たちは赦す必要がある」。
教皇フランシスコの教皇職を最も特徴づけ、今後も残る運命にあるメッセージがあるとすれば、それは「慈しみ」だ。
教皇は「主の復活」の20日、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから最後になったUrbi et Orbiの宣言をされた後、聖ペトロ広場に集まった信者たちを祝福し、挨拶するために教皇専用車で回られた翌朝、急逝された。
カトリック教会史上初のアルゼンチン人教皇は、多くのテーマ、特に貧しい人々への配慮、友愛、共通の家への配慮、そして戦争に対する断固として無条件の「ノー」を訴えられた。
だが、彼のメッセージの核心であり、間違いなく最もインパクトを与えたのは、「慈しみ」への福音的な呼びかけだった。「慈しみ」は「私たちが呼吸する空気」であり、私たちが最も必要としているものであり、それなしには生きることが不可能であることを意味している。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオの全教皇職は、キリスト教の核心であるこのメッセージの旗印の下に遂行された。
故教皇フランシスコは、2013年3月17日、決してお住まいにならなかった教皇公邸の窓辺での最初の主日の正午の祈りで、「憐み」の中心性について語り、ブエノスアイレスの補佐司教に任命されたばかりの彼のもとに告解に訪れたある年配女性の言葉を思い起こされた— 「主はすべてを赦してくださる。主がすべてを赦してくださらなかったら、この世界は存在しなかったでしょう」。
”地の果て”から”やって来られた教皇は、2000年の歴史を持つキリスト教の伝統の教えを変えることなく、ただ新しい方法で「慈しみ」を司教座の中心に据え、多くの人々がカトリック教会に対して抱いていた認識を変えられた。傷ついている人々、特に罪によって傷ついた人々に頭を下げる教会の「母としての顔」を証しされた。
イエスがエリコで、軽蔑され、敬遠されていたザアカイの家にご自身を招き、何も求めず、何の前提条件もなしにされたように、罪人に対して最初の一歩を踏み出す教会を示されたのだ。そしてザアカイは、このようにして初めて自分が見られ、愛されていると感じたからこそ、自分の罪深さを認識し、ナザレのまなざしの中に改心する動機を見出したのである。
2000年前、エリコの徴税人の家に主人が入るのを見て、多くの人々がスキャンダルを起こした。アルゼンチンの教皇が、あらゆる種類の人々、特に 「不届き者 」や罪人たちを歓迎し、親しく接する仕草を見せたことで、多くの人々が長年にわたってスキャンダラスな思いをしてきた。
2014年4月、教皇フランシスコは朝のミサの説教でこう語られた。
「私たちの何人が、おそらく非難に値するでしょう!そして、それは正義でしょう。しかし、主は赦してくださいます!どのように?罪を消し去るのは神の赦しだけであり、慈しみはそれを超えます。それは空のようなものです。私たちは空を見上げて、たくさんの星を見ます。しかし、朝になって太陽がやってきてたくさんの光を放つと、星は見えなくなる。神の憐れみも同じです。神は、命令ではなく、慈しみによって赦されるのですから、その光は、愛と優しさの大きな光なのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)