(カトリック・あい年頭論評)「危機」を「機会」に-日本の教会のリーダーに求められる自覚と努力

(カトリック・あい年頭論評)

 新型コロナウイルスの世界的大感染が悪化の一途をたどる中で新年を迎えた世界、そして日本。その日本の教会にとって2021年は、苦難を機会に変えるための重要な年となりそうである。

 2020年は日本の教会にとって苦難の年だった。新型コロナウイルスが猛威を振るう中でミサなどの典礼が、信徒以外の人たちの参加をお断りし、信徒の参加人数さえも制限せざるを得なくなっている。内外に開かれた出会いの場としての教会共同体の活動はほとんど停止状態が続いている。このような状態が長期に及んでいることで、教会から遠ざかり、ミサ典礼に参加しないことが常態化する人も増えている。欧米のカトリック教国の中には、今後、コロナ感染が終息しても、教会に戻らない信徒が全体の一割を超えてしまうという予測出しているところもある。

 そうした苦難に追い打ちをかける象徴的な出来事が、高位聖職者の相次ぐ帰天だった。バチカンと日本の教会を繋ぐキーパーソンである駐日バチカン大使、ジョセフ・チェノットゥ大司教が9月に、12月に入って、前東京大司教の岡田武夫・名誉大司教が19日に、さらに現役の浜口末男・大分司教が28日に天に召された。

 相次いでの逝去は痛恨の極みだが、日本の教会にとっての打撃は、コロナ危機の長期化で苦難の中にある教会の導き手となる司教ポストの空白だ。東京教区にはその業務の多忙さから従来、補佐司教が置かれてきたが、菊地大司教が就任されて3年を超えた今も、空席のままの状態が続いている。仙台教区も3月に平賀徹夫司教が辞任して以来、司教ポストが埋まっていない。司教任命権者の教皇への実質的な推薦権を持つバチカン大使の信任が遅れ、司教新任の遅れに直結する事態が続く中で、さらに大分教区の司教ポストが空いてしまったのだ。

 加えて深刻なのは、日本の教会のリーダーのリーダー、司教団のトップ、司教協議会の会長が自身の教区で問題を抱え、適切な指導力を発揮できていないように見えることだ。

 日本のカトリック司教協議会会長の高見三明・長崎大司教のお膝元、長崎大司教区では、現在、2億5000万円という教区財政規模からみて巨額の”教区会計上の重大な不手際”(長崎教区報12月号)の発生と対応の不手際、聖職者による女性信徒への性的虐待訴えに、さらに高見大司教の発言で精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求める訴えを長崎地裁に起こされる、という二重の問題が起きている。

 だが、高見大司教は、9月の教区評議会臨時総会で、責任者の辞任の可否を問う質問が出たことに対して、「 監督者としての私の責任を痛感し、 申し訳なく思っています。総辞職という道もありますが、 私は、 自分が辞任することでは責任をとることにはならないと考えています。むしろ、 まずは教区会計の健全化・透明化を早急に推し進め、 教区組織の在り方の再検討を図り、 さらには司教と司祭の生活を刷新し、 信徒の皆様の信頼回復に努めることが責任の取り方であると考えています」(教区報12月号)と、政治家や企業のトップが”引責辞任”を避ける際に使う発言をしたものの、いまだに「信頼回復」のための決定的な措置をとったという話が聞こえてこない。

 コロナ禍で、司教団の長として日本の司教団一体となった取り組みを率先して行うでもなく、先に、岡田名誉大司教、浜口司教が相次いで亡くなった際にも、12月31日現在に至るまで、カトリック中央協議会ニュースを見る限り、一行の弔文も寄せておられないようだ。

 高見大司教は1946年3月21日生まれだ。司教定年は75歳ということになっているが、慣例では、教皇が「余人をもって代えがたい」として留任を強く求められる以外は、75歳一杯、つまり76歳の誕生日直前までが事実上の任期、ということになる。だが、ご自身の教区の問題についてさえ、信頼回復のための抜本的対応がされる気配がない。日本の教会で、教皇フランシスコが繰り返し言われている「コロナ危機を機会に変える」ための指導力を発揮できるのだろうか。この日本の教会にとっても、長崎教区にとっても重要な1年余を、いったいどうなさるおつもりなのだろうか。

 教皇フランシスコは、世界の教会のコロナ危機を機会に変えるための指針として、昨年10月に新回勅「Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」を公布された。これより先の5月に公布5周年を迎えた環境回勅「ラウダー・ト・シ」を考察する特別年の開始を宣言、12月8日には「聖ヨセフの年」を始めること、さらに2020年3月からは使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」を学び直す特別年を始めることを発表されている。

 だが、新回勅について言えば、「カトリック・あい」がすでに昨年11月に試訳を完成させ、1000件を超える閲覧件数となっているにもかかわらず、日本の司教団は新回勅の翻訳どころか、信徒に対して新回勅の”存在”すら公式に明らかにしていない。教皇のこのような数々の特別年の呼びかけにどのように応えていこうとするかも、定かでない。

 東京大司教区はこれまで2年にわたって準備して来た新宣教司牧方針を年末29日に発表し、教皇のこのような意向も反映する形で教区としての新たな取り組みを始めようとしているのは高く評価できるが、特定の教区に留まらず、日本の教会全体が「危機を機会に変える」ための真剣な具体的取り組みが必要だ。そして、そのためには、日本の教会のリーダーとしての司教たちを束ね、先導するトップの自覚に加え、そのトップを支える司教たちの努力が強く求められている。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2020年12月31日