(2025.10.3 カトリック・あい)
教皇レオ14世がCruxと行った単独インタビューは『León XIV: ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI』(「レオ14世:世界の市民、21世紀の宣教師」の意)にまとめて、ペンギン・ペルー社からまず、スペイン語版が刊行されたが、その中で、前任者のフランシスコ教皇が始められたシノダリティ(共働性)、すなわち”シノドスの道”の歩みについての言及が注目されている。以下にCruxの John L. Allen Jr.編集長の記事を紹介する。
・・・・・・・・・・
英語など各国語版も刊行予定のこの本のシノダリティ(共働性)に関する考察は、注意深く読むと、教皇レオ14世が敬愛しつつも不可避的に論争を呼ぶ前任者、教皇フランシスコの遺産を扱う際に、三つの明確な側面からアプローチする傾向が浮かび上がる。
*「シノダリティ」は「祈りと省察を通じて、教会のあらゆる構成員が発言権と役割を持つこと」
第一に、教皇レオ14世は、前任者の「シノダリティ(共働性)の理念の本質に、揺るぎない忠誠を誓っている。
教皇は「シノダリティ(共働性)とは、『態度』であり、『開放性』であり、『(互いを)理解しようとする意志』です。現代の教会においてこれは、『祈りと省察を通じて、教会のあらゆる構成員が発言権と役割を持つこと』を意味します」とし、「この姿勢は、現代世界に多くのことを教えることができるでしょう… 先ほど分極化についてお話ししましたが、シノダリティ(共働性)は一種の”解毒剤”、現代世界の重大な課題に取り組む方法だ、と考えます」と語った。
一方で「司教や司祭の中には『シノダリティ(共働性)共同体性によって権威を奪われる』と感じる者もいるかもしれません…しかし、シノダリティ(共働性)の本質はそこではない。おそらく、権威に対する認識の焦点がずれていたり、誤っていたりするのでしょう」とも指摘。
同時に、おそらく「アルゼンチン出身の教皇に由来すると見なされるもの」に対して一種の拒否反応を示すカトリック信徒たちを念頭に置きつつ、教皇は、シノダリティ(共働性)という概念自体が、深い根を持つことを穏やかに示唆している。
そしては、「この”シノドスの道”は、(一昨年、昨年の二回にわたった)世界代表司教会議(シノドス)総会よりずっと前から始まっています。少なくとも中南米では… 私は先に経験したことを話しました」と語った。このインタビューの初めの方でラテンアメリカに参加と対話の精神が育まれたことについて語った箇所を指している。
*第二バチカン公会議が先駆けた”シノドスの道”の歩み
さらに、「シノダリティは教会に大きな機会をもたらし、教会が世界と関わる機会を提供すると思います… 第二バチカン公会議の時代から、これは重要なことであり、まだやるべきことは多くあります」とし、現代脚光を浴びている”シノドスの道”の歩みが、実は第二バチカン公会議によって先駆けられたもの、ということを示唆している。
フランシスコ教皇個人に対する評価はさておき、彼が体現した理念の多くは、時に特異な形で表現されたとはいえ、実際には、教会内に深く広く根ざした、本質的に非イデオロギー的な潮流に由来している、という主張だ。
*「霊における対話」の”円卓会議”に固執しない「柔軟な対応」が必要
また、教皇は、シノダリティ(共働性)の理念を保持することが、必ずしもフランシスコ自身が構築した全ての構造・手続き・制度を継承することを意味しない、とほのめかしてもいる。
「対話と相互尊重を実現する方法は数多く存在します」と教皇は語った。つまり、昨年のシノドス総会で用いられた手法、例えば「霊における対話」を促進するとされる”悪名高い”円卓会議(一部の参加者は解放感を得たが、他の参加者は「空虚で焦点が定まらない」と批判している)に固執する必要はない、という意味だ。
教皇が示唆したのは、シノダリティ(共働性)の精神を保持しつつ、その実現方法については「柔軟に対応すべきだ」という点である。「人々を集め、その関係性や相互作用を理解し、出会いの機会を創出することこそが、教会として生きる上での重要な側面だ」と語った。
*「三段階アプローチ」は、「本質への忠誠」「深い教会的ルーツへの注目」「方法論における柔軟性の保持」
こうして前任者に対するレオ教皇の「三段階アプローチ」、すなわち「本質への忠誠」「過度な個人崇拝を避けるための深い教会的ルーツへの注目」、そして「方法論における柔軟性の保持」が、浮き彫りとなる。
これは、前任者が「先見の明を持つ人物であると同時に、批判の的でもあった」ことを理解している教皇にふさわしい、均衡のとれた慎重な姿勢だ。フランシスコの足跡を永続させるには、押し進めるだけでなく、”剪定”も必要ではないか、という洞察である。これはレオの「思考に対する鋭い洞察」であり、「Ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI」から得られる収穫に向けた初穂に過ぎない。