・連載・パウロ6世の回勅「フマネ・ビテ」50周年①当時も今も、避妊問題で賛否の論争続く(CRUX)


 

Then and now, teaching of ‘Humanae Vitae’ triggers earthquakes

Pope Paul VI is pictured in a June 29, 1968, photo at the Vatican. (Credit: CNS.)

[Crux編集者より:この論考は、パウロ6世の回勅「フマネ・ビテ」公布50周年を迎えてのシリーズ第一回です]

(2018.7.26 Crux Vatican Correspondent   Inés San Martín

 教皇パウロ6世の回勅「フマネ・ビテ」が公布されて29日で50周年を迎える。この回勅は、パウロ6世が出された7番目で、かつ最後のものだったが、恐らく近代の教会の歴史の中で最も議論を呼び、今もなお議論を呼んでいる教皇文書だ。性の革命が起きている時代に、避妊についての教会の教えを堂々と支持することで、激しい賛否両論を巻き起こした。

 英語の“On the regulation of birth”よりも、ラテン語のタイトル“ Humanae Vitae”で世界的に良く知られたこの回勅は、1960年代末期の世界に大きな衝撃を与えた。パウロ6世は広範な批判的な反応に心を痛められ、これ以降、教皇の残された10年の任期中に新たな回勅を出すことはなかった。

 回勅が引き起こした教会内外での揺れは、今に至っても感じられる。今でも、教会の外においてでさえも、この回勅による教えを捨て去るように、現教皇に迫る、強力な政治的、社会的な勢力が存在する。二週間前にも、英国の国際開発担当相がバチカンを訪れ、若い女性たちがもっと避妊をしやすくするようにと、バチカンの高官たちに要請している。

 こうした一方で、教会内部にも、異議を唱える声が多い-司教、司祭、一般信徒が一緒になって、教会のこの問題についての教えを変えるように、あるいは告解の時に、この問題をあからさまに無視する(罪に問わない)ように、との要求だ。2014年に実施されたUnivisionの世論調査では、回答したカトリック教徒の79%が人工的な避妊についての教会の教えを拒否している。

 だが、このようなことは今に始まったことではない。この教えに反対する声は、回勅が公布された年に、世界の7つ司教協議会が回勅の内容に批判的な姿勢をとった時から始まっているのだ。

動揺―当時、そして現在

 批判的な動きの指導的役割を演じたのはカナダの司教団だった。司教団は、回勅が公布されて二か月後の1968年9月に「ウイニペグ声明」として知られる文書を発表したが、そこには「ある程度の人数のカトリック教徒が、教会のこの問題に関する教義のすべての点を守ることは極めて困難、ないしは不可能と感じている」と書かれており、これが、広範なカトリック教徒の間に「受胎調節が認められた」と感じるような”抜け穴”を提供するもの、との認識を持たせることになった。

 この声明では、この問題の議論の中心は、良心の個人的信教の自由の役割と重要性にある、と指摘したが、批判的な立場を明確にしたのは、カナダの司教団だけではなかった。ベルギーの司教団も、公表した文書の中で、避妊について「十分な裏付けのある判断」をもとに回勅が提示した内容と異なる結論に達した場合、その人が誰であっても「劣ったカトリック教徒とみなされるべきではない」と言明していた。

 回勅公布から25周年を迎えても、教会内部での賛否両論の噴出は続いた。1992年5月、イタリアの月刊誌 Jesusが掲載した当時のバチカン教理省長官、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(前教皇ベネディクト16世)との対論で、ウイーン大司教、フランツ・キューニク枢機卿は、パウロ6世のこの回勅を「人工的な避妊と自然の避妊を腹立たしく差別するもの」という、後に有名になった言葉を述べた。そして「この問題について、私たちは、何よりもこの差別ゆえに、行き詰ってしまう。まるで、道徳的な視点から見ても、重要なのは『自然をだます策略]でもあるかのようにです」と書いている。

 だが、1968年以来の回勅に対する批判的な言動に対して、回勅を支持する声も出されてきた。現在のインターネットでは見ることはできないが、今なお代表的な回勅支持の言明とされているのは、1968年10月にスコットランドの司教団が発表した文書だ。文書は冒頭で、回勅への批判が引き起こした「驚きと混乱」と、信徒たちの間に生まれた反対の動きについて述べ、「教皇は、(この回勅で)キリストの代理として、卓越した牧者、教師としての職務において、語られている…したがって、彼の教えは、受け入れることを求めるものである」としている。さらに、司教団は、良心が果たす役割と、人々が「従う権利と義務」を持っていることを確認した、としつつ、「人はそれ自身が法ではない。彼の良心は完全に自立してはいない。良心の果たす役割は、我々の行動が道徳的に良いものか悪いものかを判断することだ。だが、そうした判断は、正しいか誤っているかについての健全な規律を基礎に置いていなければならない」と言明した。

 そして、論争はさらに続いている。

 ワシントン大司教のドナルド・ワール枢機卿とロサンゼルスのホセ・ゴメス大司教に代表される米国の高位聖職者たちは最近、回勅を擁護する姿勢を打ち出した-ゴメス大司教は、ツイッターに投稿し、この回勅は「予言」かつ「約束」として読まれるべきだ、と述べた。一連の投稿で、大司教は、過去を振り返ることで、回勅が出された1968年に、どのように世の中が受け入れる用意ができでいなかったのかが分かる-当時は「人間の自由と愛についての新しい考え、伝統と権威に対する新しい姿勢が台頭する時代だった」と説明。さらに、パウロ6世が50年前に警告した事の多くがその後に起きている、とし、具体的に「離婚、不倫、ポルノの氾濫から、試験管ベビー、堕胎の蔓延まで、『人口動態の冬』、そして、性差、性欲、今日の社会で目にする人格についての全面的な混乱状態」を挙げている。

 そのうえで、ゴメス大司教は、この回勅がどれほど必要とされていたか、そして、今、かつて以上にどれほど必要とされているかを、世界は知らなかった、と批判。最後に、この回勅は「幸せと愛についての書簡。福者・教皇パウロは『神の愛のデザイン』について書いている-彼が私たちの前に示したのは、幸せに導く道。結婚による愛は、その計画の一部だ」と締めくくった。

 ワール枢機卿は、回勅公布の29日に先立ち、回勅が署名されて50周年の25日にブログに投稿して、「性的行為がしばしば娯楽とみなされ、その結果を考えることのない現代において、回勅のメッセージは世界に対する反駁のしるしであり、挑戦である」と述べるとともに、「それはまた、神の計画における人類、男性と女性の尊厳と役割、補完と平等についての基本的な理解に立ち戻るもの」とし、「さらに、私たちには真実の霊の約束があり、教会が建てられているペトロの岩の教えに、道徳的確信をもって信仰を置き、歩むことができる」と語っている。そして、パウロ6世の直近の後継者からベネディクト16世に至る回勅の支持者の発言を調べ上げた。

 今日では、回勅をあからさまに批判する枢機卿や大司教の発言を聞くことは稀になっているが、高位聖職者たちの間で批判する動きが無くなった訳ではない、とイエズス会士のトム・リース師が最近、 Religion News Serviceに書いている。

 彼はその中で、今日、多くの人が、この回勅は「避妊が性を生殖・出産と分離させ、不貞、女性の蔑視、性差の混乱、同性婚につながる」ことを確信したことで予言的だった、としたうえで、論争は回勅全体についてされたことは一度もなく、「人工的な避妊のどれも」を禁ずる内容についてだけ、なされてきた」と主張した。そして、避妊が「問題」のすべてを引き起こした、との見方を暗に示しつつ、(だからと言って、人工的な避妊をすべて否定することは)「道理に反し、人生におけるある時点で避妊具を使ったことのある良い人々すべてに対する侮辱だ」と強調した。彼によれば、「避妊が誤っていると単純に判断することは、教会にとって、おそらく不可能だ。教会はそのことに得意ではない」が、堕胎は「はるかに重い悪。堕胎するよりも(妊娠を回避する)受胎調節を選ぶべきだ」と言明している。

 教皇フランシスコは2014年10月のパウロ6世の列福式で、回勅「フマネ・ビテ」に関して直接言及するのを避けた。だが多くの関係者は、その時の彼の説教の「世俗的で敵対的な社会の台頭に直面して、(福者パウロは)先見性と叡智をもって、いつも一人で、使徒ペトロの船の舵をしっかりと操られた」という言葉から明確なメッセージを受け取った。さらに2015年に訪問先のフィリピンで地方の競技場で何百組の家族を前にして、次のような、もっと直接的な言及をしている。

 「人口増加の問題が起きた時、(パウロ6世は)家族の生命への寛大さを堅持する勇気をお持ちでした… どの家族にも困難があることをご存じでしたから、ご自分の回勅で、特定のケースに対して慈悲深さを示し、告解を聴く司祭たちに、特定のケースの人々に深い慈しみと理解をもって対応するように求めました… また、教皇は、幅広い視野をもっておられました-この地上の人々を見つめ、子供たちがいないことで壊される家庭の恐ろしさを知っていました。パウロ6世は勇敢な方でした-良き牧者であり、ご自分の羊たちに狼が迫ってくるのを警告されました」と。

 教皇フランシスコは、この回勅の内容を承認する踏み込んだ意思表示と受け取られるかもしれない中で、10月の「若者シノドス」の開催期間中に、パウロ6世を列聖する予定だ。

 *パウロ6世の回勅「フマネ・ビテ」の英語原文からの翻訳全文はノボトニー・ジェローム神父( OMIオブレード修道会士)編集のページでご覧になれます         ⇒http://japan-lifeissues.net/writers/doc/hv/hv_01humanaevitae-ja1.html

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2018年7月26日