(2025.9.14 Crux Staff)

Crux編集部注:これは、Crux の Senior Correspondent 、Elise Ann Allenによる二部構成の教皇レオ14世とのインタビューの最初の抜粋だ。インタビュー全文は、Allenの新刊本『レオ14世:世界の市民、21世紀の宣教師』に掲載され、スペイン語版がペンギン・ペルー社より9月18日から書籍店とオンラインで発売される。英語版およびポルトガル語版は2026年初頭に発売予定だ。
ローマ発 ― Crux の Senior Correspondent 、Elise Ann Allenによる長時間にわたるインタビューで、レオ14世教皇は、史上初の米国生まれの教皇であり、ペルー国籍を取得した初の教皇としての自身のこれまでの歩みや思いについて語られた。また、サッカーのワールドカップでの応援チームのことから、教皇職への理解やウクライナ和平、シノダリティ(共働性)へのビジョン、世界を分断する二極化といった問題についても、考え方、これからの取り組みを明らかにされた。
教皇は、2回にわたり1時間半ずつ行われたインタビューの後半で、教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”を「態度、開放性、理解しようとする意志」と定義され、これは「教会を構成する全員が、祈りや省察…プロセスを通じて、声と役割を持つことを意味します」と説明。「この姿勢こそが、現代世界に多くのことを教えられるものだと考えている」と強調された。
また、世界で進む分極化の問題については、「この問題を取り上げ、議論することは、一種の解毒剤になりうる、と言えるでしょう。現代世界が直面する最大の課題に取り組む方法だと確信している」と述べ、「もし私たちが福音に耳を傾け、共にそれを深く考え、互いに耳を傾け合いながら共に歩み、神が今日私たちに何を語っておられるのかを探ろうと努めるなら、そこには、私たちにとって得るべき多くのものがあります」と語られた。
ペルーでの豊富な経験をもとに、教皇は、次のように教会の未来について希望を述べられた。 「”シノドスの道”の歩みは、少なくともラテンアメリカにおいては、先の世界代表司教会議(シノドス)総会よりずっと前から始まっていました。ラテンアメリカ教会の一部は、普遍教会に真に貢献してきました。過去数年の経験を基盤とし、共に教会である方法を見出すことができれば、大きな希望があると思います」。
以下は、インタビューの一問一答の最初の抜粋。
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*米国初の教皇、ラテンアメリカの視点を持つ二人目の教皇であることは
問(Allen):あなたは二つの側面を併せ持たれています。米国初の教皇であると同時に、いわばラテンアメリカの視点を持つ二人目の教皇でもあります。どちらの側面により強くご自身を重ねておられますか?
答(答):「両方とも」だと思います。私は明らかに米国人であり、米国人としての自覚を強く持っています。しかし同時に、ペルーとペルーの人々を深く愛しており、それも私のアイデンティティの一部です。司牧生活の半分をペルーで過ごし、そこで得たラテンアメリカの視点は非常に貴重です。
このことは、ラテンアメリカにおける教会の生活に対する私の理解にも表れていると思います。それは、教皇フランシスコとのつながり、教皇フランシスコが教会に抱かれいたビジョンに対する理解、それを、今日の教会、そして明日の教会にとって真の預言的ビジョンとして、それをいかに継続して伝えていくか、という点において、重要な役割を果たしている、考えています。
*ワールドカップで応援するチームは
問:シナリオ:サッカーのワールドカップで米国がペルーと対戦します。どちらを応援されますか?
答:良い質問ですね。おそらくペルーを応援するでしょう。感情的な絆があるからです。イタリアの大ファンでもあります… 野球では、私がホワイトソックスのファンであることは知られていますが、教皇としては全てのチームのファンです。家庭でも、私はホワイトソックスのファンとして育ちましたが、母はカブスのファンでした。ですから、どちらかを完全に排除するようなことはできませんでした。スポーツにおいても、そうしたことに対しては、オープンで対話的な、友好的な、怒りに満ちたものではない競い合う姿勢を持つことを学びました。そうでなければ、夕食を食べさせてもらえなかったかもしれませんからね!
*ペトロの後継者として、他者の信仰を確かにする役割を果たしたい
問:教皇としてのご就任から数か月が経ちましたが、教皇の役割をどのように捉えられていますか?
答:まだまだ学ぶべきことは山ほどあります。その中で、司牧的な側面については、比較的スムーズに受け入れられたと感じています。とはいえ、あらゆる年齢層の方々からの反響の大きさに驚かされています… 私は、どなたであれ、どのような背景をお持ちの方であれ、皆様を尊重し、お話を伺うように心がけています。
教皇になっての全く新しい側面は、世界の指導者としての立場に置かれることです。非常に公的な立場であり、世界各国の政府首脳との電話会談や会談内容が広く知られる、ということです。教会の声が重要な役割を担うこの時代にあって、聖座が、外交の世界で長年、果たしてきた役割について多くを学んでいます…
こうした実務面での経験は全て私にとって全くの新境地です。長年、時事問題に関心を持ち、常に関連のニュースには目を光らせてきましたが、教皇としての役割は確かに、私にとって新たなものです。日々、多くのことを学び、とても挑戦的な立場に置かれていると感じていますが、圧倒されることはありません。この点においては、私は非常に早く、”深い水”の中に飛び込まねばなりませんでした。
教皇として、ペトロの後継者として、他者の信仰を確かなものとするよう求められていること、それが最も重要な部分ですが、これも神の恵みによってのみ、起こり得ることであり、他に説明のしようがありません。聖霊こそが唯一の答えです。なぜ私がこの職務、この奉仕に選ばれたのか? それは私の信仰ゆえに、私が歩んできた道ゆえに、イエス・キリストと福音に対する私の理解ゆえに、私は「はい、ここにいます」と応えたのです。他者の信仰を確かなものとする役割を果たせればと願っています。それがペトロの後継者にとって最も根本的な使命だからです。
*ウクライナ和平交渉の場を数度にわたり提案してきたが…希望は捨ててはいけない
問:あなたが強く訴えてこられたのは「平和」、様々な紛争における平和の実現ですが、現在では、ウクライナ情勢が特に大きな問題です。現時点でバチカンがその和平実現への仲介者となることは、どれほど現実的でしょうか?
答:平和を訴える聖座の「声」と、仲介者としての役割とは区別すべきだと考えます。後者は前者と大きく異なり、現実性も低いでしょう。私がこれまで繰り返し訴えてきたのは、キリスト教徒や善意ある人々の声として「平和こそ唯一の答えである」と声を上げることであり、多くの方々にそのメッセージは届いていると存じます。この紛争に限らず、長年にわたり双方の犠牲者を出してきた無益な殺戮を前に、人々は「別の道がある」と気づく必要があるでしょう。
バチカンを仲介者として考えること、例えば、ウクライナとロシアの和平交渉をバチカンあるいは他の教会の場所で開くことを、これまで数度にわたって提案した際にも、その意味するところを私は十分に認識しています。
聖座は、ウクライナ戦争が始まって以来、困難を極める状況下においても、いずれの側に立つのなく、真に中立な立場を維持すべく尽力してきました。私の発言の一部は様々な解釈がなされましたが、それは構いません。しかし現時点では、現実的な側面が最優先事項ではない、と考えます。戦争当事者たちに「もう十分だ」と言わせ、対立解決の別の道を探るよう促すには、様々な関係者が強く働きかける必要があるでしょう。
私たちは希望を持ち続けています。決して希望を捨ててはならない、と強く信じています。私は人間性に大きな期待を寄せています。確かに負の側面も存在します。悪意ある者もいれば、誘惑も存在します。いかなる立場のいかなる側にも、善意の動機とそうでない動機は共存しています。それでもなお、人々に高い次元の価値観、真の価値を見据え続けるよう促すことが、変化をもたらすのです。希望を持ち続け、人々に「別の方法で進みましょう」と訴えかけ、努力を重ねるのです。
*国連が多国間の調整機能を失う中で、二国間対話が不可欠になっている
問:聖ペトロ大聖堂のバルコニーでの教皇としての最初の演説で、「平和と架け橋の構築」についてお話しになりました。どのような「橋」を架けたいとお考えでしょうか。政治的、社会的、文化的、教会的、それらの橋とは具体的にどのようなものですか。
答:まず第一に、橋を架ける方法は、主に対話を通じてです。この数か月間で私が実現できたことの一つは、多国間問題について世界的指導者たちとの対話や訪問を少なくともある程度行えたことです。理論上、国連こそがこうした諸問題の多くを扱う場であるべきです。
残念ながら、少なくとも現時点では、国連が多国間の問題において人々を結集させる能力を失ったことは広く認識されているようです。多くの人々が「二国間対話を行わねばならない」と語っています。なぜなら、多国間問題が進展する上で様々なレベルで障害が存在するため、物事をまとめるためには、二国間の対話が不可欠だからです。
私たちは、人類が暴力や憎悪を克服する可能性を、常に自覚しなければなりません。暴力や憎悪が私たちをますます分断しているのです。現代は「分極化」という言葉が頻繁に使われる時代ですが、それは誰の役にも立ちません。仮に誰かの利益になるとしても、他の人々が苦しんでいる状況ではごく少数でしょう。だからこそ、こうした問いを投げかけ続けることが重要だと考えます。
*世界の分極化は、「人の命」についての高次の感覚の喪失が関係しているかもしれない
問:「分極化」は、教会内外を問わず今日の流行語となっています。この問題をどう解決できるとお考えですか?
答:確かに問題を提起し、議論することは一つの手段です。しかしより深い考察を始めることが極めて重要だと考えます。なぜ世界はこれほど分極化したのか?何が起きているのか?この状況に至った要因は多岐にわたると思います。私自身、全ての答えを持っているわけではありませんが、結果の一部には確かに現実が見えます。
2020年の危機と新型コロナの世界的な大感染が分極化に影響を与えたのは確かですが、その始まりはもっと以前にあると思います… おそらく、「Human Life(人の命)とは何か」という高次の感覚の喪失が関係しているかもしれません。それは人々の様々なレベルに影響を与えています。人生、家族、そして社会の価値です。そうした価値観を見失った場合、もはや何が重要なのでしょうか?
さらにいくつかの要因が重なりますが、特に重大だと考えるのは、労働者階級の所得水準と富裕層の収入との格差が継続的に拡大している点です。
例えば、60 年前には、CEO の収入は労働者の 4 倍から 6 倍程度だったかもしれませんが、私が最後に見た数字では、平均的な労働者の 600 倍にも達しています。昨日、イーロン・マスク氏が世界初の 1 兆ドル資産家になるというニュースがありました。これはどういう意味をもち、どういうことなのでしょうか?もし、もはや価値のあるものがそれだけであるなら、私たちは大きな問題を抱えていることになります…
*シノダリティ(共働性)は、教会のすべての構成員が、祈り、熟考、プロセスを通じ、発言権と役割を持つことを意味する
問:【”シノドスの道”について】 Sinodality(共働性)の概念は、多くの人にとって依然として理解が困難であり続けていると思います。これをどのように定義されますか?
答:Sinodality(共働性)とは、「理解しようとする姿勢、開放性、意欲」のことです。現在の教会について言えば、それは教会のすべての構成員が、祈り、熟考、そしてプロセスを通じて、発言権と役割を持つことを意味します。それを実現する方法は数多くありますが、「対話」と「相互尊重」が重要です。人々を結びつけ、その関係性や相互作用を理解し、出会いの機会を創出することは、教会として生きる上で重要な側面です。
これに脅威を感じる方もいます。司教や司祭の方々が「Sinodalityは自分の権威を奪う」と感じることもあるかもしれません。しかし、Sinodalityの本質はそこにはありません。おそらく、ご自身の権威に対する認識が、やや焦点が定まっていない、あるいは誤解されているのかもしれません。
Sinodalityとは、私たちがどのように集い、共同体を形成し、教会として交わりを求めるかを表現する方法であり、その結果、制度的な階層構造ではなく、「私たち皆で」「私たちの教会」という感覚を第一の焦点とする教会が生まれるのです。司祭、信徒、司教、宣教師、家族など、それぞれの召命を持つ一人ひとりの信者がいます。与えられた特定の召命を持つ一人ひとりが果たすべき役割と貢献すべきものがあり、共に教会として成長し歩む道を探るのです。
これは現代の世界に多くを教えられる姿勢だと考えます。先ほど分極化について話しましたが、これは一種の”解毒剤”と言えるでしょう。現代世界が直面する最大の課題に取り組む方法の一つだと確信しています。福音に耳を傾け、共にそれを深く考え、互いに聞き合いながら共に歩みを進め、神が今日私たちに語られることを探求するなら、そこには大きな恵みがあるのです。
前回の世界代表司教会議(シノドス)総会以前から、少なくともラテンアメリカで始まったこのプロセスが、今後も継続されることを心から願っています。ラテンアメリカの教会の一部は、普遍的な教会に真に貢献してきました。過去数年の経験を基盤とし、共に教会である方法を見出すことができれば、大きな希望があると思います。
教会を民主的な政府のようなものに変えようとするのではなく―今日の世界の多くの国々を見れば、民主主義が必ずしも万事の完璧な解決策ではないことは明らかです。しかし、教会のあり方を尊重し理解した上で、「私たちは共にこれを成さねばならない」と宣言すること。これこそが教会に大きな機会をもたらし、教会が世界と関わる可能性を開くのです。第二バチカン公会議以来、この点は極めて重要であり、未だ成すべき課題は数多く残されています。