(2025.9.10 Vatican News Fr. Ibrahim Faltas, OFM, Custody of the Holy Land)
Palestinian children amid the rubble of a bombed tower in Gaza City (AFP or licensors)
聖地管区のフランシスコ会修道士、イブラヒム・ファルタスが、繰り返される避難と不安に追い込まれるガザの子供たちの苦しみについて語った。
彼は教育者、家族、社会に対し、真の平和の文化で新たな世代を育てるよう呼びかけ、「信じ続け、祈り続け、平和を願い続けよう」と訴える。
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ガザの子供たちが直面する終わりのない悲劇は、一つの問いに集約される—「次はどこへ行くの?」。温もりと守りに満ちた家をまたもや離れることを強いられる子供が、父に向かって叫ぶ。新たな場所や安全と思われる避難所を求め、家族は繰り返し避難を強いられる。
死と苦痛と欠乏に加え、不安定による絶え間ないトラウマが重なる。最も高い代償を払うのは子供たちだ。人生の最初の数年は、家族や学校、社会が価値観や安定、成長の手段を伝える時期であるべきだ。それなのに、ガザの子供たちは、苦しみと困難と恐怖の中で幼少期を過ごしている。
私は日々、子供や若者たちに真の平和共存を可能にする手段を提供することの緊急性を痛感している。これは厳しい責務だが、同時に報われるものでもある。なぜなら具体的な成果をもたらすからだ。子供たちは生まれつき善を見分け、違いを判断するのではなく受け入れる能力を持っている。
しかし、彼らの「次はどこへ行くのか?」という問いに、ガザの親たちは確かな答えを持たない。自分自身、自分たちの生活を覆すものへの答えを持っていない。
周囲の破壊が土地に傷跡を残し、子供たちに「美しい場所へ行く」と安心させることはできない。憎しみや復讐を置き去りにして、「安全なところが見つかった。これで、平和な暮らしを取り戻せる」と約束することもできない。彼らは、「理不尽な暴力の波に応じて移動させるべき人間」として扱われているからだ。
聖地の新たな世代が平和の男女として育ち教育されるには、大きな配慮と注意が必要となる。これは平和を信じ、真にそれを望む教育者、家族、市民社会、政府が負う本質的かつ複雑な責任だ。
暴力にさらなる暴力で応えるこの苦痛の日々の中で、命の素晴らしさを悪の深淵へ引きずり込む流れを止められると信じ、希望を抱くことは容易ではない。それでも私は、「次はどこへ行くの?」という問いに、希望の力で答えたい。
あの子供に、そして大人の無責任ゆえに苦しむ全ての子供たちに伝えたい。「悪夢は終わったのだ」と。「君たちは家に帰るのだ」と。愛する人々のもとへ。友や教師、遊びや本、鉛筆やノートを再び見つけるために。大人たちにも言いたい。「悪夢は終わったのだ」と。平和を信じ、祈り、希望を持ち続けよう。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)