【東南アジア・オセアニア4か国歴訪】「神は『開け!』と言われる。神と御言葉に心を開こう」ーパプアニューギニアで2万人ミサ

 パプアニューギニア訪問中の教皇フランシスコは8日朝、首都ポートモレスビーのサー・ジョン・ギーズ・スタジアムで、約2万3000人の信者と共にミサを捧げられた。

 ミサ中の説教で教皇は、この主日の福音朗読、マルコ福音書の、耳が聞こえず舌の回らない人をイエスが癒されるエピソード(7章31-37節)を取り上げられ、耳が聞こえず舌の回らない人の「隔たり」とイエスの「近さ」という2つの要素を見出しながら、要旨次のようにお話しになった。

**********

 この耳が聞こえず舌の回らない人は、いわゆる「郊外」にいました。ヨルダン川を越えたところにあるデカポリス地方は、宗教的中心地であるエルサレムから遠く、異邦人が住んでいたために、当時の人々の慣習から、「不浄な土地」「神から離れた場所」とみなされていたのです。

 しかし、この人は別の種類の「隔たり」も生きていました。他の人の話しを聞けないと同時に、他の人に話すことのできない彼は、意思疎通を図ることが難しく、そのために神からも人々からも隔てられていました。世界から切り離されたこの人は、自分が置かれた状態に囚われ、他の人に自分を開くことができずにいました。

 私たちはこのような状態を、別の意味で読み取ることができます。それは、私も、耳と口以上に、心を閉ざすことで、神と人々との交わりと友情から隔てられる可能性がある、ということです。そうした精神的に耳が聞こえず舌の回らない状態は、エゴイズムや無関心、恐れや怨恨などによって、自分自身に、神に、他の人に、また生きる喜びに、心を閉ざすことによって起きます。

 この「隔たり」に、神は、イエスの「近さ」をもってお答えになります。御子を通し、神は、特に次のことを伝えたいと欲しておられます。それは、神は「憐み深く、近くにおられる神、私たちの人生の世話をされ、あらゆる隔たりを超える方」ということです。

 イエスは、その「近さ」をもって、人間の耳が聞こえず舌の回らない状態を癒されます。私たちは、神や兄弟たちから隔たりを感じる時、あるいは隔たりを選んだ時、自分自身を閉じ、その中に閉じこもり、自分の周囲だけをまわり、神の御言葉や隣人の叫びに耳を閉ざし、神と隣人と話すことができなくなります。その時、イエスは、私たちの傍に来られ、「エッファタ」-「開け」と言われるのです。

*********

 教皇はこうして福音を説いた後、さらに、パプアニューギニアの信者に向けて、次のように説教を続けられた。

「太平洋に面したこの大きな島に暮らす皆さんは、『自分たちは世界の果ての遠い場所にいる』と思ったことがあるかも知れません。そして、様々な理由で、神とその福音に距離を感じ、神との交わり、あるいは皆さん同士での交わりを困難に思っているかも知れません。

 耳が聞こえず舌の回らない人にイエスが近づかれたように、今日、主は、皆さんに近づかれ、隔たりを取り払い、皆さんが主の御心の中心にいること、皆さん一人ひとりが主にとって大切であることを、感じさせてくださいます。

 皆さんの耳が聞こえず舌の回らない状態を癒すことを望まれる主は、今日、こう言われます。「開け!」と。一番大切なのは、このことです。神に開き、兄弟たちに開き、福音に向けて開き、福音を皆さんの生活の羅針盤とすることです。

 神と御言葉に、福音に、教会の信仰に自らを開きましょう。そうすることで、私たち同士の交わりが可能となり、ここパプアニューギニアでも、異なる社会を築くことができるでしょう。」

(編集「カトリック・あい」)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2024年9月8日