(2025.12.1 Vatican News Kielce Gussie)
レバノン訪問2日目の行事の最後に教皇レオ14世は、レバノンのブケルケで数千人の若者たちと集いを持たれ、「絶望に屈してはならない。真の愛に根ざした友情を育み、歴史の流れを変えるために必要な熱意を持ち続けなさい」と励まされた。
集いは、ボランティアと若者たちの証言から始まり、その後さらに2人が教皇に質問した。
教皇は、講話でまず、復活されたイエスの挨拶である「アッサラーム・アライクム(平安あれ)」と若者たちに呼びかけられ、「あなたがたが感じる熱意は、神の愛に満ちた近さを表している。それは私たちを兄弟姉妹として結びつけ、神への信仰と互いとの交わりを分かち合わせるのです」と強調された。
*まだ時間は残されている
続いて、講話に先立つアンソニー、マリア、エリー、ジョエルの4人の若者の証言を取り上げ、彼らの物語は「苦しみの中の勇気、失望に直面した希望、戦争の時代における内なる平和の物語です」と語られた。
そして「レバノンの歴史は、輝かしい瞬間と困難な瞬間に満ちている。この歴史ある過去の中で、希望を失ってはならない。戦争で引き裂かれ、社会的不公正で傷ついた世界を受け継いだことを悔やんでいるかもしれない。しかし、君たちには希望がある、それは私たち大人が失った贈り物。計画し、夢見て、善を行う時間はまだあるです」。さらに、「君たちは、現在であり未来、歴史の流れを変えられる存在だ。悪に対する解毒剤は悪ではなく、答えは愛にある。先ほどの4人の証言は、和解と相互扶助によってもたらされる新たな未来の預言です」と強調された。
*平和の礎としてのキリスト
「そのような君たちの故郷、レバノンは再び栄えるだろう」とされた教皇は、国章である杉の木を例に挙げ、「その強さが根にあるように、レバノン国民も同じだ。自分の利益のために社会を利用せず、社会に奉仕することに専念する人々の良き根から汲み取るようにしなさい」と促された。
教皇は彼らに「国が必要とする希望の源となるように」とされ、「先の2人の若者が投げかけた問いが、未来への道筋を示す助けになる」と指摘された。最初の質問は、「平和への取り組みを貫くための確固たる基盤を見つけるにはどうすればいいか」だったが、教皇は「平和は単なる理念や契約、道徳的原則であってはならない。復活したキリストこそが、その基盤でなければなりません。でも、平和は党派的な目的の結果であってはならない。赦しが正義へと導き、それが平和の基盤となるのです」と答えられた。
*真の友情に期限はない
教皇への二つ目の問いは、「真の愛に基づく関係性を保つこと」についてだった。教皇は、「他者への信頼や思いやりよりも自己の利益を優先させてはなりません。友情や愛情関係において、自分が中心にあるなら、それは実を結びません」と注意され、「真の愛は一時的なものではない。期限を設けることはできません。真の友情とは『私』よりも『あなた』を優先させること。他者を尊重し受け入れる姿勢こそが、社会全体や全人類へと開かれた、より大きな『私たち』を築くことを可能にするのです… 確固たる友情は、共有された信頼と、家族や宗教生活へのあらゆる召命の核心にある『永遠』の上に築かれるのです」と強調された。
*落胆してはならない
そして教皇は、「愛は、この世における神の臨在の最も偉大な表現です。慈善は普遍的な言語だ。なぜならそれはあらゆる心に語りかけるからです… 慈善は、単なる理念ではなく、イエスと聖人たちの生涯を明らかにする物語。彼らは私たちの人生の試練の中で共に歩むのです」とされ、この広場にいる若者たちのように、「不正や悪い手本—教会内のものさえも存在する—に挫けず、天国とその正義を求めて新たな道を切り開こうと努力する多くの若者たち」に目を向けられた。
さらに、聖ピエル・ジョルジョ・フラッサティ、カルロ・アクティス、そして聖ラフカ、福者ヤクブ・エル・ハッダド、聖シャルベルといったレバノンの多くの聖人たちを「若者の模範」として挙げられ、「気晴らしに溢れたこの世界で、毎日、『目を閉じて神だけを見つめる時』を持つように。神は静かに見えるかもしれないが、沈黙の中で神を求める者たちに、神は語りかけるのです」と強調された。
最後に教皇は、多くの若者がロザリオを携えていることを称賛され、キリスト教の熱意を自分たちの中に保つ助けとなるよう、アッシジの聖フランチェスコの平和の祈り(「主よ、私をあなたの平和の道具としてください」)を心と頭に留め続けるよう促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)