日本の教会は信教の自由が認められた明治以降、もともと、バリ外国宣教会など外国の修道会が中心になって教区が作られ、司教も外国人の修道会員がなってきたが、太平洋戦争が始まった1941年前後から”日本化”がなされ、司教は修道会に属さない日本人に取って代わっていた。
外国人司祭、修道会司祭が司教になる動きが目立ってきたのは最近五年間のことだ。それを象徴するのか、9月16日の教皇フランシスコによる、ミラノ外国宣教会・東アジア管区長のアンドレア・レンボ師の東京大司教区の補佐司教任命だ。
*過去5年間に誕生した新司教8人中、外国人5人、修道会員6人
現在、日本に16ある教区(大阪・高松教区合併で間もなく15になる)のうち外国人司教は5人、修道会8人。2023年まで最近5年間に新たに司教になった8人のうち外国人が5人、修道会が6人となっている。(Opus Dei会員も修道会員にカウント)言い換えれば、過去5年間で新司教となった8人のうち、教区司祭はわずか2人、日本人は3人しかいない、ということになる。
小教区での現場の司牧経験を豊富に持ち、一般信徒の心情や彼らの抱える問題にも現場で接してきたはずの教区司祭、日本語を母国語として話し、理解し、日本で育って、日本文化、風土環境に長く身を置いてきたはずの日本人司祭に、司教のなり手がいなかった、との見方も成り立つ。
もちろん、外国人司教が好ましくない、修道会会員の司教が好ましくない、というつもりは毛頭ない。霊的に優れ、リーダーシップがあり、社会的常識を備えた司牧者が選ばれるのは当然だし、そこに外国人であるなし、修道会会員であるなしは関係ない、というのが正論だろう。(もっとも、現在の司教たち全員がそのような資質を備えている、と言うつもりはないが)
*カトリックの”土着化”はもはや無理か
だが、故井上洋治神父やカトリック作家の遠藤周作氏が訴え続けていた、日本人の精神風土に受け入れられる、身の丈に合ったカトリック、キリスト教の”土着”という観点が、まったく忘れ去られていいものだろうか。
数年前の事だ。ある有力修道会の当時の日本管区長に、このような問いかけをした時、「日本の教会のリーダーシップを日本人だけでとろうとするのは、もはや無理ですね」という答えを聞いて、愕然としたことがあった。先のような現実を目の前にして、もはや”土着”の努力は放棄せざるを得ないのだろうか。
正確なデータは把握されていないようだが、日本の信者数の半分はすでに外国国籍の信者で占められている、と言われる。実際に、首都圏の小教区でも、外国人労働者が多く居住している地域では、信者の大部分を外国人で占める教会も増えている、と聞く。一方で、日本人の信者は、若者を中心に教会離れが進み、コロナ禍の数年でそれが加速しているようだ。司祭の高齢化、減少も急速に進んでいる。
内外の経済、社会、政治の不安が続き、先が見えない中で、本来、教会が果たすべき役割は大きいはずだが、特定の組織による非建設的な政府批判以外に、人々に、教会員に希望を与えるような目立った取り組みもないままの状態が続いている。
*日本の教会が一致した新たな福音宣教への取り組みは30年間止まったまま
そのような状況の中で、第二バチカン公会議の精神を受けて、どのように日本における福音宣教を進めて行ったらいいのか。1987年と1993年の二度にわたって開かれた福音宣教推進全国会議の問題意識はまさにそこにあった。だが、十分な成果を生む前に、日本のカトリック教会と離れた形の神学校開設問題など機に、司教団はじめ司祭、信徒が一致して取り組む機運は失われ、動きは止まったまま30年が過ぎている。
「教会を『世界に開かれた教会』に転換する。そして福音の光に沿って現代世界をリードできるような教会に育てる。それが、第二バチカン公会議の開催を呼びかけたヨハネ23世教皇の真意だったのです。その根本にあるのは、教会には、人類と共に歩む使命がある、という厳粛な事実の再認識です。… 公会議は、典礼の刷新、信教の自由の確立、プロテスタント諸教会との一致運動、諸宗教との対話、司教・司祭・信徒・修道者の召命の見直しと要請、修道会の刷新、社会正義の実現等など、実に多岐の課題に取り組んだのです… 日本の教会も、公会議の影響を受け、大きく変わりました。1987年に開かれた福音宣教推進全国会議は、公会議の流れを受け、公会議の成果の徹底を図ろうとするもの…」
先日亡くなられた森・元東京教区補佐司教は、当時の東京教区生涯養成員会が主催した連続講演会「第二バチカン公会議と私たちの歩む道」の講演集にこのような序文を寄せてくださったのは、1998年3月のことだった。
*森司教の遺志を継ぎ、日本の教会活性化を”新戦力”に期待できないか