Cardinal Victor Manuel Fernandez. (Credit: Vatican Media.)
(2024.10.21 Crux Staff)

ローマ発 – バチカン教理長のフェルナンデス長官が18日に開かれた世界代表司教会議(シノドス)総会参加者による女性助祭の問題を含む討論に出席しなかったことで、関係者から批判されているが、長官は21日、声明を発表し、「教皇フランシスコは今はその問題を”解決”する時期ではないと明言されているが、それ以前に、関係法令で定められている女性の権利拡大のための他の可能性が十分に活用されていない」と”反論”した。
また、教皇が2020年に創設しペトロッキ枢機卿が長を務める「女性助祭の可能性を調査する委員会」が「間もなく”部分的な結論”を公表するが、検討作業は『継続』しており、『検討すべき内容、提案、懸念に関する意見』を公募している」とも説明した。
長官が欠席した18日の会合は、教皇が、今開かれているシノドス総会第2会期に先立って最も論争の多い問題のいくつかを検討するために設置した10の研究グループのメンバーと総会参加者が交流する機会をもつことを目的としたものだった。総会参加者側で会合に最も多く出席したのは、「聖職に関する神学および教会法上の問題」を扱うグループ。このグループは、女性助祭の問題も担当しており、総会第2会期の冒頭で長官がグループの任務の概要を語っていたことから、長官にさらに明確な説明をすることを期待していたのだ。
長官が欠席したため、18日の会合の参加者の多くは失望と苛立ちを表明して帰ったが、代理に会合に出たのがバチカンの”下級職員”で、ほとんどの質問に答える権限を与えられていなかったことで、参加者の失望と苛立ちはさらに増した。
長官が21日の声明で、こうした批判に対して、「自分がこの(女性助祭の問題を扱う)グループのコーディネーターではなく、教理省の教理部門のアルマンド・マッテオ局長がその役割を担っている」としたうえで、マッテオ局長は18日に「診察の予約」があったため出席できず、他の職員が出席した」と釈明。「皆さんが私の出席を希望されていることが分かったので、24日に改めて研究グループメンバーと総会参加者の交流の場を設ける。その際、研究グループのメンバーの個人名も明らかにする」とのべ、自身の欠席と研究グループのメンバーが具体的に秋からにされてこなかったことへの不満に応えることを約束した。
また声明で長官は、女性の助祭という核心的な問題について、「教皇はこれまで『まだ成熟していない』と明言されているが、同時に、教会における女性の役割を非常に重視しておられる」と強調。「聖職に関係のない他の可能性を模索するよう担当部署に要請している」と述べた。
さらに長官は、助祭職に焦点を当てても「教会における何百万人もの女性の問題は解決しない」と主張。「女性に力を与える具体的な方法は既に存在しているが、十分に活用されていない」とし、具体例として、まず、2021年5月に教皇が創設し、女性にも開放された新しいカテキスタの職務を挙げ、「これは、司祭不在の時に実際に信仰共同体を率いるカテキスタであり、真のリーダーシップと権威を意味し、女性が果たすことができる役割だ。だが、これに具体的に対応しようとしている世界の司教協議会はごくわずかにとどまっている」と批判。
また教皇は2021年1月に侍者奉仕の職を女性に開放したが、「実際に、世界の教区のうちこの職を認めているのはごく一部にとどまっており、司祭たちはこの奉仕に女性を司教に紹介することを希望しない場合が多い」とした。
加えて長官は、「男性の助祭職さえもまだ十分に普及していない。世界中の多くの教区には助祭がまったくおらず、助祭がいる教区の多くは、助祭を司祭職へのステップとしてしか扱っていないと指摘した。(バチカンのデータによると、世界には約4万8000人の終身助祭(通常は結婚していて司祭職の準備をしていない男性)がいるが、その97%が北米と欧州の教会所属だ。)
長官は「これらのいくつかの例を見ても、女性助祭の叙階実現を急ぐことが、女性の教会における役割を高めるための最も重要な対応ではないことが分かる」と強調。女性が助祭に叙階されなくても、教会で重要な役割を果たせるようにする方法に重点を置いている教区を擁護し、「『現実』は『考え』よりも優れている」と述べた。そして、女性が果たしてきた指導的役割は「教会共同体に押し付けられたからでも、研究の結果によるのでもなく、聖霊の働きのもとで、人々の真の必要性に直面して、女性がこの権威を獲得したからだ」と述べた。
声明の最後に長官は「私は、一歩一歩前進し、あらゆる具体的な事柄に到達できると確信している。そうすれば、女性の性質には、女性が教会の指導的立場に就くのを妨げるものは何もないことを理解できるだろう… 聖霊から真に来るものは止められない」と語った。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)