・「履物を脱いで」はアジアの”シノドスの道”の歩みの特徴―アジア大陸レベル会合の最終文書

(2023.3.27 Vatican News   Sr Bernadette Mary Reis, fsp)

*教育、医療、社会福祉で貢献する教会、だが、”道”の参加者は限られている

 

*多様な歴史・伝統と文化とともに、新たな形の”殉教”も

 

 その一方で、アジア地域の教会の特徴として、「喜び、悲しみ、脆弱性、傷などのさまざまな感情」を通じて表現される「教会への深い愛」があり、”シノドスの道”の国・地域レベルさらにアジア大陸レベルの歩みの中で、「それぞれが持つ様々な歴史・伝統と豊かな文化」とともに、「多くのキリスト教徒が「信仰を守るためにさまざまな脅威に苦しんでいる事実―『殉教』の新たな形」を深く認識することが可能になった―としている。

 そして、アジアの教会に共鳴している「傷」には、「財政、支配権、良心、権威、そして性に関わる虐待」「統治と意思決定への女性の十分な参加の欠如」「教会の一員であるにもかかわらず、歓迎されていない人々の集団に対して司牧ケアをすることへの理解の欠如と失敗」「個人主義、消費主義、物質主義などのイデオロギーの蔓延」、「抑圧的な政権による教会の沈黙」などを挙げている。

 さらに、「シノドス的教会の司牧のあり方に関する新しいビジョン」に向けた「機会」となり得るのは、まさにこれらの「喜びと傷」であり、「教会は、誰もが歓迎されていると感じ、帰属意識を感じる”内に包み込む精神”から始めなければならない。 神の民は、誰もが排除されるべきではない。 弱く、傷つきやすくても、教会の”内に包み込む精神”が、シノドス的教会にとって必須だ」と強調している。

 「宗教の多様性」など、いくつかのアジアの現実は、教会に対話、平和構築、和解、調和を「強いる」ものだ。 実際、この文書は、「いくつかの場所では、この対話の推進はカトリック教会だけのイニシアチブであり、相互関係がすぐに実現しない場合がある」と述べている。また、対話に関して、大陸レベル会合で表明されたいくつかの留保にも言及しているが、アジアの「内向きの教会」が「より宣教的で共同体的で統合されたアプローチ」を通じて「追加の使命」に向かって進む必要があるという「強い意識」も示している。

 

*「分断」「対立」「聖職者主義」を克服する必要

 また最終文書は、教会を構成するさまざまな現実の間には「分断」があることを認め、それはしばしば「真の弟子になるための洗礼の呼びかけを他者が実行するのを妨げる(時には除外さえする)リーダーシップのスタイル」によって助長されている、と指摘。

 これを克服するためには、「一般信徒の使徒職の範囲をひろげる」「カテキスタの使徒職を推進する」「教会における権力の行使に説明責任と透明性を確保する」「司祭の召命の欠如や教会における若者の不在などについて、真剣な対応に努める」「さまざまな貧困を経験している人々を教会の活動に取り込む」ことが必要、とし、「対立」と「聖職者主義」も克服すべき課題に挙げている。

 さらに、最終文書は、かなり数のアジアの人々が故郷を離れた経験をもち、難民または避難民となっていることを認めながら、その多くが「生きた経験だけでなく、信仰も周囲の人々に伝え、福音の宣教者になっている」とも指摘。教会が彼らを包み込む方法の一つとして、「新たな福音宣教者として、この”シノドスの道”に招き、共に歩むこと」を挙げている。

 

*アジアの教会が取り組むべき6つの優先課題は

 

 また最終文書では、アジアの教会が取り組むべき優先課題として6つ―「養成」「包括とホスピタリティ」「宣教する弟子となる」「説明責任を果たし透明性を図る」「祈りと礼拝」「環境保全」―を挙げ、それぞれがシノドス(共働)的な教会―「すべてのものを贖い、和解させるために来られたイエス」に倣い、「この地球全体を新たなものにしようとする」教会に必要なものである、としている。

 最終文書は最後に、アジアにおける”シノドスの道”の歩みの特徴を一言で表現すれば、「家や寺院に入る時に履物を脱ぐ」という、この地域の文化慣行であり、それは「相手を尊敬するしるし」であり、「自分たちが入っていこうとする相手の生活を意識すること」である、と指摘。

 このことは、モーセが体験した神の顕現、私たちが「聖なる地に立っている」ことを思い起させ、「私たちが保護し、世話をするよう求められている地球」を意識することに繋がるものであり、 アジアの教会で体験している”シノドスの道”の歩みの「美しいシンボル」であり、 偏見を持たずに耳を傾けるのに欠かせない相手に対する敬意、一致よりも分裂を生み出す”高い地位の象徴となるもの”を取り除く必要を、自分たちに思い起こさせる、とし、次のように締めくくっている。

 「『履物を脱ぐ』…それは、関係性、文脈、宣教性をもち、謙遜と希望をもって共に旅をしている私たちの教会を明確に表現している」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

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2023年3月28日