(2025.6.2 カトリック・あい)
東京在住のカトリックの女性信徒に繰り返し性的暴行をしたとされる会員司祭(当時)が所属していた修道会の神言会日本管区に対して損害賠償を求める裁判の9回目が、6月4日午後4時から、東京地方裁判所第615号法廷で行われる。また、午後4時半からは弁護士会館502AB室で、原告の田中時枝さんと、代理人の秋田一惠弁護士による説明会・支援者集会が開かれる。いずれも、NHKの映像取材が入る予定だ。
東京地裁での神言会日本管区を相手取っての損害賠償請求訴訟の裁判が始まってすでに二年目に入っている。原告の田中さんによると、神言会司祭に性的虐待は2012年に長崎の教会で告解で幼児期に受けた性的暴行について打ち明けたのをきっかけに、4年間にわたって繰り返され、その間に写真やビデオまで撮られ、”脅し”の材料にされた。
だが、裁判では、神言会はその司祭が行った行為に対する責任を認めようとせず、前回の裁判で、被告の神言会の代理人弁護士が準備書面で、司祭の「業務執行性」を取り上げ、読書や散歩など「私生活」は「司祭の業務」から除外される(この司祭=当時=がしたとされる行為についての責任は神言会にない、という意味)と主張していることが明らかになった。
これに対して、原告側弁護士は「司祭は24時間奉仕職を務めるとされているのに、被告に都合のいい解釈をしている。理解不能」と説明を求め、裁判官が被告側の対応を問うたのに対し、被告側弁護士は「特に釈明することはありません」と説明を拒否するにとどまった。
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世界の神言会の会員司祭で最高位聖職者である二人の枢機卿のうちの一人が、カトリック東京教区の菊地功大司教だが、5月6日付けの米国のカトリック・メディアCruxで、インド在住寄稿者に「私は被害者が修道会から正当な扱いを受けていないことを残念に思っており、弱者の尊厳を侵害した司祭に怒りを感じている」と述べた。
以下、記事のまとめ方が、うまく整理されておらず、大司教の答えの内容がバラバラで分かりにくいなので、改めて整理してみると…。
「事件は2012年、私が新潟司教だった時に、長崎大司教区の教会で起きた。その司祭が名古屋教区で神言会の上長から制裁を受けた時も、私はまだ新潟にいた… 私は昨年朝日新聞でこの事件についての記事を読むまで、この事件を全く知らなかった。被害者が誰なのか、どこに住んでおられるのかも、知らなかったし、被害者からも代理人弁護士からも、私に何らかの行動を要求する連絡はなかった」とし「昨年、裁判が提起された後、私は、被害者を知る司祭を通じて支援を提供するために、被害者に会うことを提案したが、被害者に拒否された」と、あたかも被害者側に落ち度があるとも受け取られるような発言。一般論として、「東京大司教区は虐待事件を扱う委員会を設置しており、虐待の申し立てを受けた場合は、必ず委員会に報告する義務がある 」とも述べている。
だが、この裁判の案件については、「神言会に対する裁判は、ローマにある本部に関わるものであり、新潟司教としても東京大司教としても、私には管轄権がない… 外部の人から見れば、教会は一つであるべきで、大司教は教会員全員に対して全能の権力を持つべき存在だろうが、残念ながら、実態はそうではない」と語っている。「管轄権がない」として責任を放棄し、被害者に会って話を聴いてどうするのか、委員会にかける意味があるのか。いったい、大司教として何ができるのか。説得力を欠く。
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田中さんは9回目の裁判を前に{カトリック・あい」に寄せたメッセージで、「私は児童期の性虐待で霊的に死に、神父の性暴力によって死に、そして神言会へ相談したことによって死に、カトリック中央協議会へ『私の話を聴いてください』と必死の懇願をしたために、死ななければなりません。信じて来た人々が、私の尊厳と人生を無きものにしたのを認めるのは、信仰を大切にしてきただけに、信じたくない事実でした」と語り、 そのうえで、「このすべてを受け止めながら、私に残された仕事は、弱い人たちにわずかでも希望の光を残すために行動すること。そうしなければ、性暴力による悪夢は止むことがありませんから」と訴えている。
このような死の苦しみとも言える被害者の苦痛を放置したままで、被告の修道会や関係者たちは原告の一人に対して、3人も弁護士を雇い、法廷に姿も見せず、原告被害者の心身の傷に、さらに塩を塗り込むような姿勢を、いつまで続けるつもりなのか。9回目の裁判での被告側の対応が注目される。
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世界のカトリック教会では、教皇のお膝もとのイタリアで、前月末に司教協議会が性的虐待に関する2024年度報告書を発表したが、2023年と2024年合わせて、前回発表の二倍以上、69件、118人の未成年者または社会的弱者に対する聖職者などによる性的虐待が確認されている。ドイツのカトリック教会では、聖職者による性的虐待と高位聖職者による隠ぺいが教会離れによる信用失墜で、最新の統計で、2023年度に40万2600人、24年度に32万1600人の信徒が教会を去ったいう。
性的虐待問題への取り組みに消極姿勢を続け、危機意識が感じられない日本の教会は、表面に出ている虐待案件が欧米などに比べ相対的に少ないことをいいことに、この裁判を「一部の修道会の問題」などと他人事のような態度を取り続ければ、ただでさえ教会への関心が薄くなっている若い人々の信用を失い、高齢化が進む中で、もともと少ない信徒の数がさらに減っていくことにもなりかねない。
イタリアのカトリック司教協議会 5月28日に発表した2024年度の教会のおける性的虐待に関する報告書によると、イタリアのカトリック教会で2023年と2024年に69件、118人の未成年者または社会的弱者に対する性的虐待が確認された。大半が小教区でなされたもの。前回発表された2022年度の32件より二倍以上増えているが、司教協議会は 「以前は隠されていた案件が表に出たため 」と説明している。
報告書では、被害者は118人の三分の一が10歳から14歳。性的虐待の内容は、11件が性的関係、19件が性的暴行、25件が”不適切”な接触、となっている。
また加害者とされる67人のうち、44人は聖職者。残り23人は小教区の奉仕活動に従事する信徒。ほぼ全員が男性で、女性は2人。平均年齢は50歳前後だ。
故教皇フランシスコ聖職者による性虐待撲滅を優先課題に掲げておられた、関係者は「特にイタリアにおける教会の対応は、他の国で見られるような規模に欠けている」と批判。「フランスなどとは異なり、イタリアではまだ教会内の虐待に関する徹底した全国的な調査がされていない」と指摘している。
イタリア司教協議会は、今回の報告書について、報告された被害者と加害者の増加は「以前は隠されていた事件や状況が明らかにされたことが影響している可能性がある 」としている。2023年には、被害を受けたとする信徒や関係者373人が103の教区の 「傾聴センター 」に連絡を取った。「傾聴センター 」には心理学者や教育者が常駐し、被害者に支援を提供している。
バチカンは、虐待の申し立てを受けた教区長の思考が民事当局に報告することを義務づけていない。報告書は、「過去2年間における聖職者、修道者、司牧従事者の訓練、特に虐待の発見と生存者の支援方法について、一定の進展があった」と述べているが、国の地方当局との連携は依然として弱い。教区の82%近くが、「警察、福祉サービス、学校などの外部組織と連携していない」ことを認めている。
報告書の中で引用されたある教会関係者は、「教会内部での虐待事件を認める際、教会は、一層の透明性と勇気ある態度を示す必要がある」と強調している。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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(2025.3.19 カトリック・あい)
東京在住のカトリックの女性信徒に繰り返し性的暴行をしたとされる会員司祭(当時)が所属していた神言会日本管区に対して損害賠償を求める裁判は2年目に入り、19日午後3時半から東京地裁第615法廷で8回目が開かれた。傍聴には原告の被害女性の支援者など司祭、修道女を含む40人近くが参加、NHKは初めて法廷から支援者集会にいたるカメラ取材を行うなど、関心に広がりを見せた。
裁判では、被告の神言会の代理人弁護士から出された準備書面で、初めて司祭の「業務執行性」が取り上げられ、司祭としての「業務」は一日24時間制限なくなされるものだが、読書や散歩など「私生活」は除外される(したがって、この司祭=当時=の言われている行為についての責任は神言会にない、と言う意味=「カトリック・あい」)と主張していることが明らかになった。
これに対して、原告側弁護士は「司祭は24時間奉仕職を務めるとされているのに、被告に都合のいい解釈をしている。理解不能」と説明を求め、裁判官が被告側の対応を問うたのに対し、被告側弁護士は「特に釈明することはありません」と説明を拒否するにとどまった。
裁判後に説明会・支援者集会に出席した原告側の秋田一惠弁護士は、「修道会がこのようなルール違反*をやっていいものでしょうか。そこまでして、責任を回避したいのでしょうか。神言会の日本の事実上のトップである菊地功・枢機卿にお聞きしてみたい」と訴えた。
*「カトリック・あい」注=教会法では、「誓約を行う修道者は、公的な誓願をもって従順、貞潔、清貧の三つの福音的勧告を守る義務を引き受ける。そして教会の奉仕職を通して自らを神に奉献し、普遍法と固有法の定める義務および権利を持って修道会に合体される」(サバレーゼ著・田中昇訳=フリー・プレス刊=129ページ)とある。
裁判が始まって2年目に入った今も、被告側はなお、原告側の訴えに正面から向き合うことなく、責任回避の発言を繰り返していることに対して、批判する声が関係者の間からも強まっており、原告側も,6月4日の次回、7月23日の次々回の裁判で論点を具体的、明確にしたうえ、原告、被告の証人尋問につないでいく意向を示している。また、「被告側からは、反省の『は』の字も聞かれない。今の段階で、(他の性的虐待裁判のように)和解で決着する可能性は全くない」という。
19日の裁判後に開かれた説明会・支援者集会では、被告の神言会と性的虐待を働いたとされる会員司祭=当時=が謝罪の意向を示さないことに疑問や批判、原告被害者の田中時枝さんを激励する声がが多く出され、イエズス会のフランス・ベルギー管区長がこのほど、性的虐待被害者の会に出席して、自らの会の会員司祭が起こした性的虐待に公に謝罪したことが「カトリック・あい」で報道されたことを取り上げ、「神言会も、このように率直に性的虐待の行為を認め、謝罪するべきではないのか」と神言会に猛省を促す意見も出た。
日本のカトリック司教団は、3月の日本のカトリック教会の「祈りの意向」を「性虐待被害者のために」とし、21日を「性被害者のための祈りと償いの日」と定めているにもかかわらず、教区レベルでも、小教区レベルでも司祭、信徒たちにほとんど共有されていない。司教団の公式サイトであるカトリック中央協議会ホームページを見ても、司教協議会会長の菊地枢機卿(東京大司教・神言会所属)が2月1日付けで出したメッセージと、3月21日用の「リーフレット」のお知らせだけだ。日本国内で、確認されただけで数人に上る聖職者による性的虐待被害者への具体的な謝罪も、行動もなく、この裁判に対しても”無言”のままだ。
(2025.3.17 カトリック・あい)
東京在住のカトリックの女性信徒に繰り返し性的暴行をしたとされる会員司祭(当時)が所属していた神言会に対して損害賠償を求める裁判は2年目に入り、19日午後3時半から東京地裁第615法廷で8回目が開かれる。裁判の内容の説明と原告支援の集会は同日午後4時から東京弁護士会館の509号室で予定されている。
日本のカトリック司教団は、3月の日本のカトリック教会の「祈りの意向」を「性虐待被害者のために」とし、21日を「性被害者のための祈りと償いの日」と定めているにもかかわらず、教区レベルでも、小教区レベルでも司祭、信徒たちにほとんど共有されていない。
司教団の公式サイトであるカトリック中央協議会ホームページで見ることのできるのは、司教協議会会長の菊地枢機卿(東京大司教・神言会所属)が2月1日付けで出したメッセージと、3月21日用の「リーフレット」のお知らせだけだ。日本国内で、確認されただけで数人に上る聖職者による性的虐待被害者への具体的な謝罪も、行動もなく、この裁判に対しても”無言”のままだ。
ついでに言えば、このホームページのお知らせのトップ記事(3月17日現在)は、2025年聖年『希望の巡礼者』司教団公式巡礼で、菊地功枢機卿のローマ小教区着座式への参加も含めた「Aコース ルルド・パリ・ローマ10日間(団長: 中村倫明・長崎大司教)=代金一人90万9060円」「Bコース アッシジ・ローマ8日間(団長: 前田万葉枢機卿・大阪大司教)=809,770円」だ。
ちなみに筆者が所属する教会の有志が5月に企画している「2025年聖年‐戦後80年を振り返り、平和を祈る」一晩で10万人が亡くなった東京大空襲被災地を中心にめぐる巡礼の費用は一人6500円である。
何十万もの多額の弁護士費用を自前で負担し、精神的な苦痛の中で修道会や教区の所属司祭の性的虐待に対して謝罪を求める訴訟を続けている、あるいは裁判継続が困難となり、やむなく”和解”に応じた被害者たちがいることを、「団長」たちは、どう考えているのだろうか。
19日の東京地裁での裁判には、今回も被害者原告を支援する聖職者、信徒など50人近くが傍聴する見通しで、この「カトリック・あい」のほか、一般紙では朝日新聞が継続的にフォローしているのに加え、今回はNHKも取材に来ることが予定されている。
カトリック教会の3月の祈りの意向では、「性虐待被害者の受けた心と体の傷が癒され、神との交わりの中で生きる希望を見出すことができますように」と祈ることになっている。「祈りには行動が伴わなければならない」と教皇フランシスコが繰り返し言われているのではなかったか。日本の教会のリーダーである司教の方々に、キリストの苦難と十字架上の死、そして復活を準備するこの四旬節に、その自覚と行動が試されている。
(代表・南條俊二)
(被害者たちは、3月1日、イエズス会の司祭たちによる性的虐待を証言した=写真:イエズス会西ヨーロッパ管区提供)
パリ6区の聖イグナチオ教会で1日、イエズス会のフランス・ベルギー管区の司祭たちが犯した性的虐待に関する集いが、被害者、イエズス会司祭、司牧ケアの専門家など約50人が参加して行われた。
フランスでは、1949年から2024年の間に起きた虐待事件について176人の被害者が名乗り出ており、139件は性的虐待が明らかになっている。被害者たちの証言により、虐待したイエズス会士は115人、うち97人が性的虐待をし、62人が未成年者に対して、35人が成人に対して行われたことが特定された。
管区内(フランスとベルギー)では、関与したとされる20人のイエズス会士がまだ生存しており、そのうち16人がフランス、4人がベルギーにいる。
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苦しみ、闇、許し、スキャンダル… この集会で取り上げられたすべてのテーマは、性的虐待被害者からの約20の証言に反映された。その後、パリのイエズス会の施設に場所を移して円卓会議が開かれ、会員司祭が経験した「トラウマ性健忘症」、被害者が黙想中に「昏迷」と「恥」のために暴行を受けた後も沈黙を余儀なくされたことなどが語られた。
参加者からは、性的虐待についての証言が次々と続き、ある男性は、教師の一人に虐待を受けたことを突然思い出したと話し、ブリュッセル出身の男性は、加害者の4人の名を挙げ、「この4人の変質者は、全くの罰せられずに守られていた。どうしてこんなことをしたのだろう?」と疑問を投げかけ、教皇フランシスコがベルギーを訪問された時に面会した際、「それを失敗として経験した」と嘆いた。
また、司祭から性的虐待を受けた女性は、他の犠牲者とともに勇気をもって実名で語り、加害者の名前を挙げることができたことを喜びを持って語った。
集いを準備したイエズス会管区長のドッベルシュタイン神父たちは、「被害者が耐え忍んだすべての苦しみに対して謝罪します。私の心に残るイメージは、泣いている司祭と彼を慰める犠牲者のイメージです。今回の集いでの共同の経験は、私たちが協力し、教会からの提案の一部を再考することを強いるものとなるでしょう」と述べた。
また、ドッベルシュタイン神父は、この日を「イエズス会にとっての新たな挑戦の始まり」とし、「一部の被害者は、彼らを虐待した神父の名前を明らかにすることを選びました。今度は、私たちがこれらの名前の表に出すことを検討する番です」と言明した。
集いは、複数の女性に対する性的暴力が発覚してイエズス会から追放された
マルコ・ルプニク神父の虐待被害者のシスター・サミュエルの先唱による祈りで締めくくられた—「私たち自身をつなぎ合わせることで、真に私たちの人生を取り戻すことができるように。私たちは自分たちを生きている者と思えるように」。
教皇フランシスコは、性加害の問題に教会全体が真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを請い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求め、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けられました。日本の教会では、四旬節・第二金曜日を、この祈りと償いの日と定め、2025年にあっては、来る3月21日(金)がこの日にあたります。
どうぞ、四旬節第二金曜日に、またはその近くの主日に、教皇様の意向に合わせ、司教団とともに、祈りをささげてくださいますようにお願いいたします。
2025年はカトリック教会にとって、25年に一度の聖年にあたります。教皇フランシスコは大勅書「希望は欺かない」において、この一年を、「ついえることのない希望、神への希望を際立たせる聖なる年」とするように呼びかけ、全体のテーマを「希望の巡礼者」とされました。
神のいつくしみに与り、罪のゆるしを得る恵みの年に、教会はいのちを生きる「希望」を高く掲げ、すべての人と歩みをともにしたいと願っています。
罪のゆるしを求めるためには、自らの過去を振り返り、罪を認め、同じ罪を繰り返すことのない決意を持たなくてはなりません。ともにこの聖年を歩むようにと呼びかける教会は、自らの過去を振り返り、罪を認め、同じ罪を繰り返すことのない決意を固めない限り、希望をあかしする存在とはなり得ません。
希望をあかしするべき教会にあって、率先して模範を示すべきなのは聖職者や共同体の指導者です。世界において、また日本にあっても、神からの賜物であるいのちに対する暴力を働き、なかでも性虐待という神の似姿としての人間の尊厳をないがしろにする行為を、聖職者や共同体の指導者が働いたという事例が、近年相次いで報告されています。組織内における優位な立場を利用して、人間の尊厳を辱め蹂躙する性虐待や性的暴行を働き、多くの方を深く傷つけた聖職者や指導者が存在します。
信頼していた聖職者から暴力を受け、心に深く消えることのない傷を負われた方々に対して、あたかも被害を受けられた方に責任があるかのような言動で加害者を擁護するなど、二次加害によってさらに被害を受けられた方々を傷つけた事例も、教会内にあります。これらの言動が、人間の尊厳をさらに深く傷つけています。責任は優位な立場を利用した加害者にあるのは当然です。
被害を受けられた多くの方々に、心から謝罪いたします。
昨年10月に閉幕したシノドスの最終文書には、その150項に、以下のような指摘があります。
「もう一つの非常に重要な分野は、教会のすべての側面において、未成年や社会的弱者にとって共同体をより安全な場所にするために、保護の文化を推進することです。虐待の防止と不適切な行為への速やかな対応を可能にする規則と法的手続きを、教会組織が備えるための作業はすでに始まっています。・・・被害者が歓迎され支援されることが不可欠であり、それは細心の配慮を持って行われなくてはなりません。これは深い人間愛と、資格を持った専門家の助力が必要です。・・・セーフガーディングのプロセスは絶えず監視され評価されなくてはなりません。被害者とサバイバーは、細心の配慮のうちに歓迎され、支援されなければなりません。(試訳)」
また95項から102項までは、「透明性、説明責任、評価」の重要性が説かれており、今後、ハラスメントなどへの対応についても、随時見直しながら、必要に応じて、社会的に評価される組織やプロセスに常に変えていかなくてはなりません。
現状の教会の組織形態や日本の法律上の組織形態では、それぞれの司教区や修道会は独立しており、一致協力して透明性、説明責任、評価に取り組むことができておらず、この点は多くの被害者の方々、支援者の方々から厳しく指摘をされています。また、独立した異なる組織が林立しているため、迅速な対応ができていないのも事実です。現在、教皇庁未成年者保護委員会の助けをいただいて、司教協議会と男女の修道会協議会とで、既存の枠を越えた協働関係の枠組み構築を急いでいるところです。
被害を受けられた方々と歩みをともにするためには、教会内外のいわゆる外部専門家の協力と協働がなければ、ふさわしく対応することはできません。今の次代を担う青年たちや教会全体の声に耳を傾け、よりふさわしく十分な対応のあり方やそのための組織の改編、さらには聖職者や共同体の指導者の啓発などを検討してまいります。
あらためて、無関心や隠蔽、二次加害も含め、教会の罪を心から謝罪いたします。聖年にあって、わたしたちの希望そのものである神の手によって、被害を受けられた方々の心が包まれますように、祈ります。また聖職者のためにも、その召命を忠実に生きることができるように、どうかお祈りくださいますようお願いいたします。
2025年2月1日
(2025.1.29 カトリック・あい=4.23に一部修正)
聖職者による性的暴力被害者が加害者とされる男(元司祭)が所属していた修道会、神言会日本管区(本部・名古屋市)に損害賠償求める裁判の第7回が1月29日、東京地裁第615号法廷で開かれた。
裁判後の説明会・原告支援者集会で、原告弁護人が明らかにしたところによると、前回昨年12月の裁判で、被告・神言会の補助参加人となっている加害者とされる男の代理人が新たに「本訴訟において、(補助参加人)は自分の氏名が公表されないよう望んでおり、訴訟記録の閲覧を制限してもらいたい」と申し立てていたが、裁判長が昨年末までに、これを却下した。
その理由について裁判長は、「カトリックの聖職者による性的虐待は世界中で大きな問題となっている」と認識しており、「氏名を伏せる必要がある」とは判断できない、と述べているという。
性犯罪の加害者とされる人物が匿名で、被害者が実名の裁判というのは、世界的に聖職者による性的虐待が大きな問題となっている中で、これまであまり例がない。しかも、すでに実名が第三者にも明らかにされ、報道されているにもかかわらず、裁判の途中でこのような申し立てをするということは「被告側の不誠実を上塗りするような行為」との批判が関係者の多くから出されていた。
⇒なお、この東京地裁の却下決定については、その後、被告・神言会の補助参加人の代理人弁護士が、決定を不服として、東京高裁に抗告。東京高裁は2月27日付けで、東京地裁の却下決定を取り消し、申し立てを認める決定をしている。
*「司祭の”職務”はミサなど秘跡に限る」と被告・神言会が主張?
また29日の公判後の原告弁護人の説明会では、前回公判に被告・神言会日本管区の代理弁護人から提出された書面の内容が明らかにされた。それによると、被告側は、司祭の職務について、洗礼、赦し、塗油などの秘跡、ミサなど教会内で行うこと、病者の塗油に限っては教会外で行うこと、とされており、被告とされている司祭(当時)がした、という教会外での「行為」について、当時所属していた神言会に責任を問うことはできない、と反論している。
これについて、原告弁護人の秋田一惠弁護士は、「修道会司祭は、入会の際、従順、貞潔、清貧の誓いを立てているはず。時間、場所に関係なく、神に仕え、この三つの誓いを守る存在。それを否定するような主張は、”異端”を宣言している、と言えるのではないか。枢機卿を輩出している修道会が、カトリックの教義と異なることを宣言している、と判断せざるを得ない。このような論理立ては、反論とはみなされない」と強く批判した。
また、これまでの公判で被告・神言会側が、会員司祭=当時=について「不同意性交をした事実はない」と全面否定してきたにもかかわらず、わざわざ、司祭の”職務”を理由にして、神言会に責任がない、というような”反論”をしたことについて、関係者の間には、「見方を変えれば、司祭がそうした行為をした、ということを認めた、と解釈することもできるのではないか」と、その意図を測りかねる声も出ている。
次回公判は3月19日、午後3時30分から同じ615法廷で予定されている。
【これまでの経過】
この裁判は1年前、神言会に所属し、当時、長崎大司教区内の小教区司牧を委嘱されていたチリ人神父が女性信徒に対し不同意性交を強いていたとして、被害信徒が神言会日本管区の監督責任を問い損害賠償を求める訴えを起こしたことから始まった。
被害者の主婦・田中時枝さんが裁判所に提出した訴状によれば、長崎・西町教会で助任司祭を務めていた会員司祭=当時=は2012年、「ゆるしの秘跡」を受けた田中さんの告解内容を聴くと「やり直さなければだめだ」と性交を迫り、以後約4年間にわたり被害者女性をマインドコントロール下に置いて、不同意強制性交を重ねていた。
マインドコントロールを脱した田中さんは、その司祭を監督・指導する立場にある神言修道会の上長に事情を打ち明け相談した。修道会は、加害者とされる司祭=当時=から事情を聴いたものの、「被害者には謝罪など誠意のある対応を見せず、何の救済措置も取らなかった」という。
当初、神言修道会側は、「(自会所属司祭による性虐待という)そんな話は知らない… 知らなかった事案については監督しようがない」と主張していた。だが、その後、「同司祭が不同意性交をした事実はない」と全面否定し、「原告が修道会の監督責任を問うことはできない」と否認に踏み込んだ。
その一方で神言会はこの司祭の司祭職をはく奪して修道会から事実上追放した。そして、第3回審理までの準備書面のやり取りを通じて、同司祭(正確には『元司祭』)は首都圏で、田中さん以外の女性信者と一緒に暮らしていることが、判明していた。そして第4回目の審理に、同司祭が「補助参加人」となり、その代理の弁護士2名が、被告側に加わり、原告の代理人弁護士1人に対して、被告側の代理人弁護士は3人、という体制が続いている。
(2025.1.18 カトリック・あい)
カトリック信者の女性が、外国人司祭からの性被害を訴えたにもかかわらず適切な対応をとらなかったとして、司祭が所属していたカトリック修道会、神言会(日本管区の本部・名古屋市)を相手取り、損害賠償を求めている裁判の第7回口頭弁論が1月29日午後1時30分から東京地裁第615法廷で開かれる。この裁判が始まったのは昨年1月23日で、今回で一年余となる。
29日には裁判後、午後2時50分ごろから、原告代理人の秋田弁護士の青山外苑法律事務所(渋谷区神宮前5‐44‐6、電話03-5466-2425, 地下鉄「表参道駅」から徒歩約10分)で、裁判の経過説明と被害者支援集会が予定されているが、裁判開始から一年余となる機会に、原告の田中時枝さんから、支援者あての、現在の思いをつづったメッセージが送られたので、以下に掲載させていただく。
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+主の平和
支援者の皆さま
早いもので裁判が始まってから、すでに1年が経過いたしました。6回の裁判には、傍聴や支援集会へのご参加をいただき、本当にありがとうございます。
性暴力の裁判は、生皮を剝がされるようなつらい体験です。それでも、人の尊厳を大切に考え、公私ともに誠実に生きておられる方々のお力添えがあることで、何とか乗り越えて来られたのだ、と感謝しております。
人は予期しない形で、極度のストレスフルな出来事、例えば強姦などの激しい暴力を受けて、長期間、その記憶に怯える状態となり、人生の安定感が失われ、「世界は危険に満ちている」と感じる(前田正治他著『トラウマ臨床と心理教育』=誠信書房刊=より「PTSDの伝え方」)ようになります。
これは、私に起きたことを的確に表現する専門医の言葉ですが、誰にでも起こり得ることです。実際、米国疾病センター(CDC)による30年にわたる統計調査で、女性の2~3割、男系の1割が性暴力を経験していることが明らかになっています。
私のように幼少期に性暴力にさらされた者は、「自己愛毀損」(自己愛欲求に伴う不安や他者からの傷つきなどに対して心理的安定を保つ力が損なわれること)の状態にあります。性加害を行う聖職者は、このことをよく知っていて、欺きに利用したのだと、私には分かります。聖職者に「愛」という言葉を「性暴力」にすり替えられると、たやすく長期間の「奴隷状態」に晒されてしまうのです。このようなことから絶望させられた私にとって、混乱とフラッシュバックは生涯続く、と思われます。
私のこのような苦しみは、すでに12年も続いています。
「『天におられる私たちの父よ』は、幼児のように親しみを込めて”父ちゃん”と呼ぶこと」と教えられました。それで、心の中で、32年前に亡くなった父に話しかけてみます―「父ちゃん、私は父ちゃんが『死にたくないなあ、誰か代わってくれないかな』と言っていた年齢を越しました。今、私は、死ぬより辛い時間を生きています」と… 涙がとめどなく、あふれてきます。
私は、父をはじめ、すでに亡くなられた、多くの信頼関係にあった方々に向けて、手紙を書き溜めています。これは、過酷な状況にあっても、本来の信仰のあり方を、それを分かる方々と共に伝えようとしたことを、天国で再会する方々に報告するためです。今も苦しんでおられる多くの方々に対しても、真実の大切さを伝えることも、目的としています。
「”偉い人”は、何をしても許されるのだ。自分は、そういう国に生きているのだ」と、私は、性被害の当事者として知りました。残念ですが、今、自分がいかに無知であったかも理解しています。
”デジタル性暴力”が蔓延する日本の現状を知ったのは、私が、偶然にも国際人権NGOの「Human Rights Now(ヒューマンライツ・ナウ)」に参加しているからです。学ばなければ、自分に何が起きたのか、何に怯えているのかさえも、分かりませんでした。
聖職者による性暴力で失った、人としての尊厳、人権、信頼感、そして膨大な時間など、取り返しのつかない甚大な被害を受けたことを認めるのは、本当につらい作業です。しかし、見たくない現実を直視することでしか、問題は解決しません。
聖職者による性暴力は、人を”ガス室”に閉じ込め、生きたまま命を奪う、最も残忍な行為です。絶望のガス室の壁に刻まれた聖家族の姿のように、私も、真実の訴えを、信仰の証しとして、最後に残したいと強く思います。
田中時枝
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*これまでの経過=「カトリック・あい」
11月27日の前回、第6回口頭弁論では、被告・神言会の補助参加人となっている加害者とされる男の代理人が新たに「本訴訟において、(補助参加人)は自分の氏名が公表されないよう望んでおり、訴訟記録の閲覧を制限してもらいたい」と申し立てた。性犯罪の被害者が実名で、加害者とされる人物が匿名を求める裁判は、日本ではこれまであまり例がない。しかも、すでに実名が第三者にも明らかにされ、報道もされているにもかかわらず、公判の途中でこのような申し立てをするという、被告側の不誠実を上塗りするような行為の意図を、原告側も測りかねている状態だ。
裁判は、神言会に所属し、当時、長崎大司教区内の小教区司牧を委嘱されていた会員司祭が女性信徒に対し不同意性交を強いていたとして、被害信徒が神言会日本管区の監督責任を問い損害賠償を求める訴えを起こしたことから、2024年1月23日から始まった。
被害者の主婦・田中時枝さんが裁判所に提出した訴状によれば、長崎・西町教会で助任司祭を務めていた神父は2012年、「ゆるしの秘跡」を受けた田中さんの告解内容を聴くと「やり直さなければだめだ」と性交を迫り、以後約4年間にわたり被害者女性をマインドコントロール下に置いて、不同意強制性交を重ねていた。
マインドコントロールを脱した田中さんは、加害司祭を「不同意強制性交の罪」で刑事告訴したいと考え、まずその司祭を監督・指導する立場にある神言修道会の上長に事情を打ち明け相談した。修道会
側では加害者とされる神父から事情を聴き、本人を派遣先の長崎から引き上げさせた後、母国に送還したものの、「被害者には謝罪など誠意のある対応を見せず、何の救済措置も取らなかった」という。
これまでの審理では当初、神言修道会側は準備書面と代理人弁護士の弁明で、「(自会所属司祭による性虐待という)そんな話は知らない(不知)… 知らなかった事案については監督しようがない」と主張していた。だが、その後、前回審理までに「B神父が不同意性交をした事実はない」と全面否定し、「原告が修道会の監督責任を問うことはできない」と否認に踏み込んだ。
その一方で神言会は、母国送還から1年も経たないうちに神父を日本に呼び戻したうえ、本人の司祭職をはく奪して修道会から事実上追放した。そして、第3回審理までの準備書面のやり取りを通じて、B神父(正確には『元神父』)は首都圏で、田中さん以外の女性信者と一緒に暮らしていることが、判明していた。そして第4回目の審理に、神父が「補助参加人」となり、その代理の弁護士2名が、被告側に加わった。
これまでの法廷では原告・被告ともに、この被告補助参加人を実名で呼んでおり、傍聴者にもその氏名は知られており、本件の取材に当たる報道機関の間にも、既に広く本名が知れ渡っている。今ごろになって「本名を知られたくない」と申し立てる理由について、代理人弁護士は説明していない。
11月27日の第6回審理はわずか10分足らずで終わり、その後開かれた原告側の「説明会」では、出席した田中さんの支援者たちから「B神父の申し立ては『裁判公開の原則』にも反する」「身に覚えがないなら、名誉棄損で田中さんを訴えればいい。それをせずに『氏名公表を止めさせたい』と言うのには、知らぬふりをしてこのまま日本に居座りたいという意図があるのではないか」などと、批判の声が相次いだ。
田中さんの代理人弁護士を務める秋田弁護士は「『神父が与えられた権能(本件の場合は〔ゆるしの秘跡〕)を悪用して女性信徒を性虐待していた』という被害者の訴えを受けながら、ろくに事情聴取もせずにその神父を放置し続けてきた神言会、ひいては日本の教会全体の在り方を問いたい。そこに踏み込んで元を絶たねばなりません」と言明。
さらに、「修道会上長や教区裁治権者が『神父が勝手にやったこと』という話にして、責任を回避するようなことになれば、(聖職者による性的虐待で苦しむ被害者たちの)現状は何も解決されず、抜本的な教会刷新など期待できません。それでいいのでしょうか」と、問いかけた。
また、この説明会では、B神父が母国でも「聞き捨てならない行状を残している」という情報も複数出されている。