(2025.12.2 カトリック・あい)
聖職者による性的虐待で深い傷を負った女性信者が、所属(当時)修道会・神言会に損害賠償を求める裁判の第12回が12月1日、東京地方裁判所で、原告支援者など30人を超す人々が傍聴する中で開かれた。次回は来年の2月9日、次々回は3月11日で、原告、被告の証人尋問はそれ以降となる。
この日の裁判のやり取りは、原告、被告双方が事前に提出した準備書面をもとに行われた。被告・神言会側が出した書面について、原告側が「引用されている文章に、出典が明らかにされていない。これでは証拠にならない」などと指摘したのに対し、説得力のある答えはなかった。
また、前回の裁判で、被告側が、準備書面で、性的虐待を働いたとされる神言会所属の司祭(当時)について、2019年に長崎教区の教会から東京教区の吉祥寺教会に異動したが、この異動は「本裁判で取り上げられている件に関連してなされたものではなかった」との趣旨が述べられていた。
これについて、原告側は、「関連してなされたものでない、と言うなら、それを裏付けるような異動の基準が神言会にはあるはずではないか」などと説明を求めたのに対し、被告側は即答できず、「確認してから答える」と説明を先延ばしていたが、今回の裁判に提出した書面では、「知らない」という答えに留まっている。
このように、第三者から見れば、不誠実と見られる被告・神言会側の対応には、これまで12回の裁判に苦しみをこらえて毎回出廷している原告に対して一度も出廷したことのない被告当事者の神言会の「原告・被害者の長年にわたる苦しみを全く理解しようとしない姿勢が露骨に現れている」と批判する声も、傍聴した原告支援者の間から強く出された。
裁判後の支援者たちへの説明で、原告代理人の秋田一惠弁護士はこれまでの裁判で浮かび上がって来た神言会の対応の問題点について整理した。
第一に、原告が問題にしている被告・神言会の司祭(当時)の行為は、読書や散歩のように”業務外”の行為で、会があずかり知らぬこと、と被告側が主張していること。修道会司祭は、神と人に一日24時間奉献することが”業務“とされているはずであり、このような”新“解釈が、カトリック教会として認められることは、ありえないのではないか。
第二に、加害司祭は、原告・被害者の女性の告解を聴き、その内容を性的虐待に利用したが、告解の秘跡をそのように悪用することは言語道断の行為ではないのか。
そして第三に、加害司祭に対して、事件が発覚した後、会は100万円を渡して、海外に出したことが、内部文書で明らかになっている。裁判で被告側はたびたび「どこにいるか知らない」としていたが、会は本人とたびたび連絡を取っており、その後、本人は司祭を辞めて、日本に戻り、被害者とは関係のない女性と結婚し、その女性から会に報告があった後も、「どこにいるか知らない」と言い続けた。あげくに、居場所が知られると、今度は「彼は原告が主張するようなこと(性的虐待)はしていない」と言い方を変えるなど、主張に一貫性が無く、説得力もない、などを挙げている。
原告代理人は、神言会は、原告・被害者を苦しませ続けている自らの対応について反省するどころか、もみ消しを図ろうとする意図が、裁判を重ねることに明確になっている、とし、今後は証人喚問などを通して、被告・神言会の非をさらに追及していく方針だ。