(評論)教皇、ベルギーの性的虐待被害者と3時間の面談ー”ルプニク”の被害者はいつまで”忍耐”を求められるのか(Crux)

 教皇レオ14世が8日、聖職者による性的虐待の被害者15名のグループと面会した。全員がベルギー人で、未成年の時期に虐待を受けた。その多くは2024年9月の教皇フランシスコの同国訪問時に面会に参加していた。

 バチカン報道局が8日夕に記者団に送付した声明によると、面会は「約3時間」にわたり、「被害者との親密さ、深いながらも痛みを伴う傾聴と対話の雰囲気」の中で行われた。

 バチカンの公式報道機関であるVatican Newsによると、教皇庁未成年者・弱者保護委員会(PCPM)のメンバーは8日、被害者たちの教皇との面談に同行。それに先立って、PCPMが別途、被害者たちと会い、7月にPCPM代表団がベルギーを訪問した際に始まった対話を継続したという。

 

*教皇は聖的虐待被害者たちに「忍耐」を求めた

 

 教皇はこれより前、4日に教皇別邸カステル・ガンドルフォからバチカンに戻られる際、記者団の聖職者による虐待被害に関する質問に、被害者たちに忍耐を求める発言をした。その率直さゆえに衝撃的だったが、いくつかの関連する理由から、その衝撃が示す以上に非常に被害者たちに対する大きな要求でもあった。

 記者団に教皇はこう語った—「被害者の方々に忍耐を求めるのは非常に難しいことだと承知しています… しかし教会は、全ての人々の権利を尊重せねばなりません。 『有罪が証明されるまでは無罪』という原則は教会においても真実です」と。

 この発言は誤りではないが、(多くの人、特に被害者にとって)いかに不快に響いたかを理解するには、彼が答えていた質問の背景を知る必要がある。それは、数十年にわたり司法の裁きを逃れ、今もなお司祭としての地位を保ち、告発内容にもかかわらず司祭としての権限を完全に保持しているように見える、悪名高い有名芸術家の存在だ。

 つまり教皇の発言の具体的文脈は発言内容そのものと同等に重要であり、彼が特に言及した被害者たちが「教会において、司法の歯車が全く動いていない」と疑うのには、当然の理由があるのだ。

*記者団は性的虐待で悪名高い「ルプニク」の扱いについ質問したのだが…

 

 教皇の発言は、スロベニア人司祭で元イエズス会士、現在は母国のコペル教区に所属しているが、ローマ在住と報じられているマルコ・ルプニク神父の事件に関する記者の質問に答えたものだった。

 ルプニクは複数の証人(バチカン自身の調査官によれば「極めて信頼性が高い」とされる)から、約30年間にわたって、数十人(大半が女性修道者で、うち数名はルプニクが母国スロベニアで設立に関わった修道会に所属)に対し、精神的・心理的・性的虐待を繰り返し行った、として告発されている。

 

 

*イエズス会やバチカンの有力者は”ルプニク”に目をつぶり、放置し、被害者たちをさらに傷つけた

 

 ルプニクは、モザイク教会芸術家として、また講演者、黙想指導者として、非常に人気の高い霊的指導者として、世界的な名声を得ていた。その一方で、性的虐待行為が根深いものであると信憑性のある主張がなされている。一方、イエズス会やバチカンの有力者たちは、彼に対する苦情に目をつぶるか、あるいは(これもまた主張されていることだが)告発者たちの信用を傷つけるために積極的に動いた。

 要するに、ルプニクを告発した者たちは数十年にわたり忍耐強く待ってきた。世界中の他の被害者たちも同様だ。レオ14世(教皇フランシスコ)が前任者から不浄な混乱を引き継いだのは事実であり、特にルプニク事件に関してはそう言える。ルプニクを告発した者たち、そして被害者全般が、教皇の言葉が被害者やスキャンダルに憤る信徒の忍耐力を過大評価していると受け取ったとしても、それは許されるかもしれない。たとえ彼らが、被害者や憤慨した信徒の忍耐力の欠如を示唆する意図がなかったとしても。

 ルプニクが、「かつて所属したイエズス会の元上司たちや、自身がイエズス会士である教皇フランシスコを含むバチカン当局者から、並外れて寛大に扱われている」という不満が頻繁に、そしてあらゆる基準で合理的に提起されている。フランシスコはルプニクを私邸に招き、ルプニクの事件の深刻な詳細が公けになった後も、アパレシーダでのマリア会議参加者へのビデオメッセージでルプニクを”小道具”として利用したことがある。

 「「マルコ・ルプニクが告発されている非常に深刻な犯罪について、信頼性のある告発がなされた場合、英国の法律では、その人物は裁判を待つ間、拘置所に勾留されることになっている」と、英国を拠点とする被害者支援団体LOUDfenceの活動家アントニア・ソボッキはCruxに語った。

 「これは『推定有罪』ではない。公衆を保護するための適切な注意義務の履行です… こうした行為で信憑性のある告発を受けた人物を地域社会で自由な状態に置くことは、中立的な行為ではありません。無実の人々を危険に晒すからです」。

 

 イエズス会は2023年、ルプニクを「不服従」を理由に(告発された犯罪への罰ではなく)除名したが、この元イエズス会士は、母国で彼を司祭として受け入れる教区をすぐに見つけた。2020年にはローマ教皇庁の四旬節黙想会で説教した。説教者が受け得る最高の栄誉と広く認められているものだ。バチカンの秘密の調査委員会が密かに「第六戒に反する罪の共犯者を赦免」と判定した後でのことだった。つまり、何らかの不法な性的関係を持った人物に「秘跡的赦免」を与えたのだ。そして、その後、秘密の裁判官たちが秘密裏に破門を宣告し、また秘密裏に解除した。

 イエズス会はルプニクに秘密裏に制限を課したが、彼は公然とそれを無視した。かつての上司たちがそれを強制することを躊躇し、バチカンがこの件全体を秘密にしておきたい、としていると、”正しく”推測したからだ。彼は世界を駆け巡り、講演を行い、テープカットをし、称賛を集めた。

 ルプニクの信じがたいほど陰惨な物語のすべての恐ろしい紆余曲折を語るには一冊の本が必要だ。だがここでは、不名誉な元イエズス会士であるスロベニア人が、教皇フランシスコを含む数人の非常に高位の教会関係者による不可解な決定なしには可能ではなかったにせよ、「ほぼ逃げおおせるところだった」と述べるに留めよう。

*正義が行われるのが遅すぎる

 

 結局、フランシスコ教皇は、自身の「未成年者・弱者保護委員会」からの持続的な圧力と、世界的な激しい怒りに直面して、時効を放棄し、ルプニクに対する訴訟を進めることを決定した。これは2023年のことだった。事件が正式にバチカンに届けられてから4年以上(ローマや各地のイエズス会・バチカン関係者の間で疑惑が囁かれ始めてから数十年)、世間に明るみに出てから、ほぼ1年が経過していた。

 フランシスコ教皇が死去した時点でさえ、バチカンの教理省規律局は、事件を審理する裁判官の選定に苦慮していた。ルプニク裁判の5人の裁判官全員を選任した、とバチカンが発表したのは、ようやく先月、10月13日のことだった。

 被害者や支援者から「レイプ・アート(強姦芸術)」と頻繁に非難されるルプニクの作品の撤去を求める声が、被害者や支援者、スキャンダルに憤る信徒たちから続いている。

 「ルプニクの芸術作品への対応」という狭義の問題から一歩引いて見ると、関係者の間には、財務不正の疑いで告発されたジョヴァンニ・アンジェロ・ベッチュ枢機卿に対する教皇フランシスコとバチカンの対応と、ルプニクが受けた扱いとの間に著しい不一致があることを指摘する声もある。

 フランシスコ教皇は、正式な起訴がされる前にベッチュ枢機卿をバチカン高官職から辞任させ、枢機卿としての権利を剥奪した。さらにバチカン市国の法律を改正し、同国内の刑事裁判所での裁判を可能にした。裁判でベッチュ枢機卿を有罪とされたが、彼は一貫して無罪を主張しており、現在も判決を不服として控訴中だ。バチカンは、いずれの過程においても裁判官を確保するのに何ら困難はなかったようだ。

 

*教皇は、正義の天秤をどう測ろうとしているのか

 教皇レオ14世は就任以来、週の初めをローマ郊外の別荘で過ごしており、月曜日にバチカンを離れ火曜日の夜に帰還することが多い。彼には考えるべきことが山積している。

 ルプニク事件の未解決問題—教会指導部が虐待と隠蔽の危機に対処できない根深い無力さの縮図と見なされることが多い—は、主にレオの前任者が「司法の天秤に指を挟むこと」を好んだ結果だ。

 外部から見れば、教会の指導者たち(少なくとも近年においては教皇を含む)は、金銭窃盗の疑いで告発された枢機卿を有罪とするためなら天をも動かす覚悟がある一方で、虐待加害者が決して裁かれないよう、足を引っ張るどころか、それ以上のことをいとわないように見える。

 レオ14世も、他のいかなる指導者も、同じ天秤に自らの指を置くことでこの問題を解決することはできない。

 要するに、教皇の記者たちへの答えがニュースになった理由は、ここにある。

 記者の一人、記録のために言えばEWTNニュースのマグダレナ・ウォリンスカ=レイディ―は、このように教皇に質問したのだ—「一部の虐待被害者や支援者たちは、ルプニク神父の芸術作品がバチカンを含む世界中の重要な教会や聖地に展示されていることが、彼らや多くの人々にとってトラウマであり、またスキャンダラスだ、と訴えています… 教会は、こうした芸術作品を覆い隠すか、あるいは撤去してもらいたい、という彼らの要望に、どのように敏感に対応できるでしょうか?」と。

*”ルプニク事件”の性的虐待犠牲者の忍耐は限界に達しつつある

 この質問に、教皇は、「確かに多くの場所で、被害を訴えた人々への配慮が必要だからこそ、(ルプニクの)作品は覆い隠されてきました( その一例がルルドの聖地だ。だが、バチカンを含む他の場所では、ルプニク作品が今も聖域を飾っている)。ウェブサイトからも削除されています」と答えた。これはバチカンのホーム・ページからルプニク作品が静かに消えたことを言っていると解釈される。

 続けて教皇は「新たな裁判が最近始まりました… (裁判官の任命も含めて)司法手続きには長い時間がかかります」と述べ、「始まったばかりのこの裁判が、関係者全員に明確さと正義をもたらすことを願っています」とした。

 ルプニク作品が存在する聖堂や礼拝堂の責任者が作品を覆い隠すか撤去したいと望むなら、それは彼らの判断だ。この一連の騒動がもたらす動揺と不祥事は、被害者だけでなく、多くの人にとって、確かに苛立たしいものだ。

 教皇は『贖いの母』礼拝堂のルプニク作品を覆うよう命じることもできたはずだ。しかし、そうした行為は必然的に、そして極めて当然ながら、注目を集める裁判に影響を与える意図でなされたものと解釈されるだろう。その裁判の結果に対して、彼は公式かつ実質的に中立を保たねばならないのだ。教皇の思いが”純白の雪”のように清らかであったとしても、その行為自体が世論に影響を与え、裁判官の判断力に少なからず影響を及ぼす可能性が高い。

 ルプニク事件において教皇レオが成し得る最も重要なことは、「正義が実行され、それが実行されたと認識されることを保証すること」だ。

 とはいえ、遅れた正義は正義とは言えず、ルプニク事件における正義の実行はすでに長すぎるほど遅れている。無数の聖職者による虐待の被害者たちにとって、忍耐は限界に達しつつある。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年11月10日