・改「司祭から繰り返し性暴力」‐女性信者が神言会に損害賠償求める裁判始まる・第二回は3月11日、東京地裁の第606号法廷で。傍聴自由。

(2024.1.23=2.24改 カトリック・あい)

 カトリック信者の女性が、外国人司祭からの性被害を訴えたにもかかわらず適切な対応をとらなかったとして、司祭が所属していたカトリック修道会、神言会(日本管区の本部・名古屋市)を相手取り、損害賠償を求めた訴訟の審理が1月23日、東京地方裁判所で始まった。

 第二回の審理は3月5日を予定していたが、一回目の法廷の部屋の傍聴席が満杯となったため、広い部屋を用意する都合から、3月11日(月)午前10時から、606号法廷で開かれることになった。傍聴は自由。審理終了後には今回も、被害者と傍聴者との面談が予定されている。本件に関心をお持ちの方の傍聴、真相解明への参加を、原告、原告弁護人は期待している。

 1月23日の審理には原告の田中時枝さん(東京教区信徒)と代理人の秋田一惠弁護士が出廷、被告の神言会とその代理人弁護士は文書提出のみで欠席のまま、今後の審理の進め方などについて裁判所側から意見を聞いた。

 裁判の前に、原告田中さんと代理人の秋田弁護士が、原告の支持者たち20数人と会見し、原告が訴訟に至った経緯などについて改めて説明。田中さんは、「救いを求めた教会の司祭に、真実を打ち明け、神の赦しを得るはずの『告解』という機会を利用され、肉体だけでなく、精神的に深い傷を負わされた。今も夜中に目が覚め、恐ろしさがよみがえり、絶望感に襲われることがしばしば。修道会もまともに対応してくれない。こんなことが繰り返され、同じように不幸な人を作ってはならない、との思いで、あえて実名も出し、訴訟に踏み切った」と語った。

 代理人弁護士などの説明によると、田中さんは、子供時代に性的虐待を受け、トラウマに苦しみ続け、今から約十年前、50代になってようやく気持ちの整理がつき、当時在籍した長崎の教会で告解をした。ところが告解を聴いたチリ人で神言会士のバルカス・フロス・オズワルド・ザビエル神父から、教会の外の建物に連れて行かれ、性的暴行を受けたが、「逃げると殺される」という恐怖感から抵抗できず、4年半も繰り返され、回を重ねるごとに酷さが増した。

 神言会の日本管区長などに被害を伝えたところ、2019年に、その司祭に対して、「性犯罪を行い、貞潔の誓願を破ったと告発されていること」「将来スキャンダルを引き起こす可能性があること」などを理由に聖職を停止し、共同生活から離れる3年の「院外生活」を決め、母国への帰国を認めた。だが、その後、バルカス神父は日本に戻り、還俗して他の女性と結婚し、東京都内にいるという情報もあるが、神言会は「所在不明」と言い続けているという。

 代理人の秋田一惠弁護士は「神父は告解を利用して彼女の重大な秘密を知り、それに乗じて性加害を繰り返した。修道会は性被害の事実と加害者を組織的に隠蔽(いんぺい)している」と語っている。
 
 神言会は、1875年に聖アーノルド・ヤンセン神父によって創られたカトリックの宣教修道会で、日本では1907年に宣教活動を開始。現在、名古屋市に中学、高校、大学を、長崎には中高を経営。新潟、仙台、東京、名古屋、福岡、長崎、鹿児島の各教区で約30の小教区を担当し、東京教区、新潟教区の教区長に、それぞれ同出身の大司教、司教が就いている.

(解説)教皇が言われる「虐待に対する”沈黙”を打ち破る」ために教会、司教団が求められることは

 カトリック教会では、聖職者による性的虐待問題が世界的に深刻な問題となり、信者の教会離れにもつなっがっているが、1月に入ってからも、南米ボリビアで「性的虐待被害者の会」がイエズス会の司祭9人とボリビア管区を相手取って訴訟を起こしたことが明らかになるなど、いまだに終息を見せていない。

 日本でも、教会自体で責任ある対応ができずに訴訟になった、あるいはなっているケースが、確認できただけで長崎で2件、仙台で1件、そして今回の東京での1件があり、他にも問題のケースが数件あると見られる。

 このうち、仙台市の女性信徒の場合、カトリック仙台教区の司祭から性的暴行を受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症、その後の教区関係者の不適切な対応、発言もあって多大な精神的苦痛を受けたとして、同教区などに謝罪と損害賠償を求め、仙台地方裁判所に提訴していた事件が昨年12月、和解金の支払いなどで一応の決着を見た。

 だが、教区から本人への謝罪も公けにはなく、精神的なケアもなく、それどころか一部の信徒たちから「和解金目当てに裁判をやったのか」という本人の心の傷にさらに塩をこすりつけるような声も出、本人を教会に絶望させる事態に追い込んでいる、という。

 日本の司教団は、バチカンからの指示を受けて性的虐待防止などのガイドラインの作成や各教区の女性や子供の保護のための担当司祭、窓口の設置などはしている。だが、長崎教区では窓口の担当職員が複数の司祭のパワハラでPTSDを発症、休職に追い込まれ、窓口は一時、閉鎖となり、東京教区のように担当司祭が、理由も公開されないまま、人事異動期でもないのに突然、解任されるなど、窓口そのものの信頼を大きく損なう事態も起きている。

 また司教団は、ガイドライン決定から2年半たって、ようやく一回目の監査結果を昨年9月に明らかにしたが、「各教区から提出された確認書によれば、2022年4月から2023年3月の間に性虐待の申し立てがあったのは4教区、5件であった」などとするだけだった。
 具体的な教区名、申し立てやそれに対する教区の対応などの説明はなく、「性虐待の申し立てのあった各教区には、監査役から提出された調査報告書に記載された所見を通知し、ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあるのみ。被害者に寄り添おうとする姿勢も、虐待問題に真剣に対応しようとする意志もうかがえない。

 聖職者による性的虐待が後を絶たないことに心を痛める教皇フランシスコは、昨年11月にフランス・ナント教区の聖職者による性的虐待被害者のグループと会見された際、聖職者による性的虐待の被害者が「家族とともに何が真実で善であるかを追求してきた場で、最大の悪に苦しんでいる」とされ、「『被害者や生存者の声に耳を傾ける』という積極的かつ敬意を持った心の広さが、受け手にあれば、虐待に対する”沈黙”は打ち破ることができる」と語られている。

 「受け手」としての日本の教会、そして何より司教団は、今回の東京での裁判開始を機会に、改めて、この教皇の言葉をかみしめる必要がある。
(カトリック・あい 南條俊二)

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2024年1月23日