・「正義が無ければ、被害者の傷は癒されない」バチカン未成年者・弱者保護委員会のオマリー委員長が報告書発表会見で

(2024.10.29 Vatican News   Christopher Wells)

   バチカンの未成年者・弱者保護委員会の委員長、オマリー枢機卿が29日、記者会見を開いて、委員会として初の年次報告書を発表し、正義と癒しを結びつけるという教会の関心と、「このような犯罪が私たちの世界でいかに一般的になされてしまっているか 」について人々を教育する必要性を強調した。

 報告書は、性的虐待を主とする虐待という犯罪について人々を教育する教会の役割を強調している。オマリー委員長は「教会の関心事は、被害者に正義を提供することでなければならない」と述べ、虐待犯罪が時効に達したケースの場合、教会には 「司法の運営に関わるより大きな責任 」がある、と主張した。

 また、性的虐待の防止や被害者の保護やケアなどで「まだなすべきことがある」とし、「我々は、まだ長い道のりを歩まなければならない」と言明しつつ、この報告書が、その原点となることを強く希望した。

 Vatican Newsのオマリー委員長との一問一答は以下の通り。

 問:まず、バチカン未成年・弱者保護委員会にとって初の年次報告書の概要を教えてほしい。大部分が委員会の10年間の活動についての説明で占められているようだが、今後の委員会の資産の一部となるのか?

オマリー枢機卿 :初の報告書発表は、我々にとって非常に重要な瞬間だと思う。委員会のメンバー更新は、委員会発足以来、今年で3回目だ。委員会活動の初めは困難なものだった。なぜなら、私たちは約20人のボランティアで構成されたグループで、スタッフも非常に少人数で、仕事は全世界を対象としていたからだ。確かに教皇は、私たちに絶大な信頼を寄せてくださった。世界中から集まった多くの専門家、多くの被害者、被害者の親たち。彼らの中には自分のこれまでの人生や歴史や経験についてかなり公にする者もいるし、控えめな人もいる。だが、彼らは委員会の活動に多大な貢献をしてくれている。

 当初、委員会に過大な期待を抱いた人たちは、私たちが”万能薬”となり、教会における被害防止・被害者保護の問題をすべて解決してくれる、と考えていた。そのような非現実的な期待を抱いた人たちから、「自分たちの夢のすべてを、すぐに叶えることができなかった」と、沢山の非難を浴びた。一方で「その問題は、もう対処済みだ。委員会は必要ないし、あなたたちはトラブルメーカーでしかない」という批判も…。だから、多くの困難があった。

 しかし、委員会の委員は、非常にしっかりとした人たちだった。バチカンの各種の委員会の中で珍しいことだ。教会のメンバーでない人もいるし、他の宗教のメンバーもいる。しかし、皆に共通しているのは、虐待防止の活動に対する情熱と、被害者の声に耳を傾け、何とか教会の中で被害者の声を代弁したい、という願望だ。

 

 

問: 報告書について具体的な質問をひとつしたい。これから数日、数週間、多くの質問があり、多くの展開があるだろう。教会は虐待防止・被害者保護を重視しているようだ。もちろん、二度とそのようなことが起こらないようにするのが最優先だ。実際に起きた場合は、それに対処し、問題に対処する。報告書は、「正義」と「賠償」の問題にも言及している。具体的に何を述べ、教会はそれらの分野で何をしているのか、少し話してもらえるだろうか?

 

オマリー枢機卿: 確かに、私たちの委員会の責任は、保護的な部分に重点があるが、教会は「正義」について強い関心を持たねばならない。そしてそれは、故ベネディクト16世教皇によって、性的虐待など虐待の事案への対処が教理省に割り当てられた以上、教理省の責任であり、また世界の各教区も、これらの事案の法的側面を整理し、政府当局と協力する責任がある。だから、司法の要素は非常に重要だ。性的虐待のような事案は、時には時効を遥かに遡ることもある。その場合、国が捜査や訴追を行わないなら、教会が司法面の対応に関与する義務がある。だからこそ、教理省の規律部門は真実を突き止め、公正な方法でそれに対処するための重要な役割を担ってきたのだ。

 しかし、「正義」がなければ「癒し」はない。ひどく不当な扱いを受け、傷つけられた人々は、「耳に心地良い言葉」を聞いたり、「文書」を見たりしたいわけではない。話を聴いてもらい、自分たちになした悪に対して、「教会が償いをしようとしている」と感じる権利があるのだ。

 

 

問:あなたは、教会内の一部の人々があなたがたの活動に熱心でない、ということに言及した。私たちは、委員会が最良の慣行について、あるいは被害者のために何ができるかについて提案することがある。そして、おそらく教会の人々は、あなたがたの言うことに耳を貸さないのだろう。あなたには説明責任を果たさせる直接的な権限がないことは承知しているが、教会の指導者たちがあなたがたの提案を受け入れるようにするために、教会は何ができるのか?

オマリー枢機卿 :我々は人々を教育しようとしている。被害予防と被害者保護の体制の必要性について非常に幅広い教育を行うことだ。多くの人々は、このような犯罪が、私たちの世界や社会でいかに一般的になってしまっているのかを知らない。教会が私たちの家庭を整えるために良い仕事をすることができ、それがより大きな共同体社会への奉仕になることを、私は望んでいる。

 そして私たちは、米国でさまざまな形でそれを目の当たりにしてきた。他の多くの教会や組織が私たちのところにやって来て、「あなたがたはこのような方針を打ち出し、このような経験をしてきた。それを、私たちと分かち合ってくれますか」と言った。

 だが、まず、虐待が広く存在することを人々に認識させ、私たちがどのようにこれに対応し、二度とこのようなことが起こらないように尽力しない限り、虐待はなくならないと思う。私のユダヤ人の友人がホロコーストについて語るようなものだ。何が起こったかを覚えていなければ、また同じことが起こる危険性がある。だから、このことを人々の心に留めておくことがとても重要なのだ。これは遠い過去の話ではない。現在、そして将来にわたって子どもたちや若者を守るための約束なのだ。

:ひと言で言うと、報告書は被害者や、教会の虐待への対応にまだ懸念を抱いているカトリック信者に何を語りかけているのか?

オマリー枢機卿 :私は、この報告書の幅の広さが、彼らの慰めになることを望んでいる。報告書の暴露本のようなものを期待している人もいるだろう。この報告書はそのようなものではない。全世界で「保護文化」が定着するのを促進するために、今、何が行われているかを測るためのものだ。

 今回、調査対象となった国の中には、虐待防止・被害者保護について非常に資金不足の国もある。私の教会共同体はパプアニューギニアで活動拠点を持っている。そこに行ったことがあるが、人々の生活はとても質素だ。500もの言語がある。貧困が多く、文盲も多い。そしてそこでは、教会が、虐待防止や被害者保護について、そして世界中で話している。

 世界の司教たちが定例のバチカン訪問をする際に、私たちは彼らに、「虐待防止・被害者保護のガイドラインはどのように機能しているか」「やるべきことをやっていない地域はどこか」「その結果はどうなのか」などについて聴くことにしている。このような会話が世界中で行われている。私の委員会の焦点は、特に南半球にある。この地域では、虐待予防・被害者保護の司牧の関与が遅れていた。しかし、私たちは多くの進歩を遂げ、司教や現地の人々は、より多くのことを学び、学習・訓練に参加し、説明責任、透明性、聖職者の行動規範、神学生や修練生、教師、教会の指導者に対する審査の重要性を教えたいと願っている。

 このようなことが今、世界中で行われている。数年前までは、そうではなかっただろう。このことに人々が慰めを見出してくれることを願っている。私たちにはまだ長い道のりがあるが、歩みは今、始まったのだ。

*ショーン・パトリック・オマリー枢機卿は、米国オハイオ州レイクウッドで生まれ、カプチン会士。2003年から2024年8月までボストン大司教を務め、2014年に教皇庁未成年者・弱者保護委員会委員長に就任した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年10月30日