教皇フランシスコ、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の正午の祈り (Vatican Media)
(2023.7.23 バチカン放送)
教皇フランシスコは、23日の正午の祈りの集いで、この日記念された「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に言及された。
教皇は、今年の同祈願日が、若者たちが「世界青年の日(WYD)大会」に参加の準備をする中で記念されたことを指摘。
バチカン宮殿の書斎の窓辺に共に立つ若者と若者の祖母である女性を紹介されながら、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と、これに続いて開かれるWYD大会が、「今、強く求められている世代間の絆」を強める機会となることを願われた。
そして「未来は、若者と高齢者の経験の分かち合いと、相互のいたわりの中で共に築くもの」とされた教皇は、「お年寄りたちの存在を忘れることがないように」と強調され、聖ペトロ広場に集まった巡礼者たちと共に、世界のすべての高齢者たちに励ましの拍手をおくられた。
(編集「カトリック・あい」)
(2023.7.16 Vatican News By Francesca Merlo)
教皇フランシスコは16日、年間第15主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「種をまく人」のたとえ話(1章1‐23節)を取り上げ、信徒たちに「イエスの模範に従い、たとえそれが難しいように見えても、御言葉の種をまくことを決してやめないように」と呼び掛けられた。
「イエスは私たちの”土壌”をご存じです。それにもかかわらず、(御言葉の種が)豊かに実ることを信じて疑われないのです」と指摘された教皇は、「『”種”である御言葉を受け入れるか、受け入れないか』が、個々人の自由に任されていること」に注目され、「”土壌”-それぞれの人の心―は、実りをもたらすことができるのだ、と信じておられるイエスの”一徹さ”」を強調された。
そして、「『良き種まき人』であるイエスは、心広く種まきを続けることに疲れることがありません。イエスは私たちの”土壌”をご存じです。私たちの不誠実さの”石”や邪悪の”棘”が御言葉を窒息させる可能性のあることを知っておられます。それでもなお、イエスは 、私たちが豊かな実を結ぶことを常に願っておられるのです」と説かれた。
*子供たちの信仰継承に不安を持つ親たちに
続いて教皇は、特に世界の親たちに向けて、「信仰を継承するという使命」に焦点を当てて語られ、「子どもたちが時として、自分たち親の教えを理解していなかったり、正しく評価していなかったりしているように見えても、落胆すべきではありません。良い”種”は残っているし、やがて根付くことになるでしょう」と励まされた。
*若者たちへの招待状
次に世界の若者たちに向けて、「御言葉の種は、目には見えないような小さな種かも知れませんが、あなた方が、自分の生きるすべてをイエスに託すことで、イエスはそれを熟させて下さいます」と語られた。そして、「他の人たち、最も助けを必要としている人たちに捧げる時間」を作るように促され、「それは無駄のように思われるかもしてませんが、実際には、それは神聖な時なのです。消費主義と快楽主義にひたることで得られる見かけ上の満足感は、何の成果ももたらしません」と説かれた。
*司祭と信徒たちに
説教の最後に、教皇は世界の司祭、修道者、一般信徒たちに向けて、「御言葉を宣べ伝えようとして、すぐに成果が得られなくても落胆しないように。このことを、決して忘れないように-御言葉を宣べ伝えるとき、何も起こっていないように見えても、実際には聖霊が働いておられるということを。神の国は、私たちの努力を通して、そしてそれを超えてすでに成長しつつあるのだ、ということを」と励まされた。
そして、「カルメル山の聖母」の祝日とされているこの日、7月16日に当たって、自からにこう問うように求められた-「私は善の種をまいているだろうか?」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pius XII after the Rome bombings on 19 July 1943
(2023.7.16 Vatican News By Francesca Merlo)
教皇フランシスコは16日、年間第15主日の正午の祈りの説教の終わりに、80年前、1943年7月19日のローマ、サン・ロレンツォ地区への連合国軍による爆撃の大惨事を思い起され、「今日も、こうした悲劇が繰り返されています。なぜこのようなことが可能なのでしょうか」と人々に問いかけられた。
そして、「この悲劇を記念する日は、戦争と歴史的記憶の喪失に『ノー』を改めて表明する機会となります」と強調された。
この日の爆撃な、第二次大戦の1943年から44年にかけて、連合軍によるローマ開放まで繰り返された「ローマ爆撃」の始まりで、サン・ロレンツォ地区だけで 717 人が死亡し、4000 人が負傷。ローマ市全体では、 3000 人が死亡、1万1000 人が負傷したとされている。
教皇は、「 私たちは(このような悲惨な戦争の歴史の)記憶を失ってしまったのでしょうか? 残念ながら、今日もこうした悲劇が繰り返されています。なぜこのようなことが起こり得るのでしょう?私たちは記憶を失ってしまったのか?」と問いかけられ、「主が私たちを憐れみ、人類家族を戦争の惨禍から救い出してくださいますように」と祈られた。
そして、最後に、今もロシアの軍事攻撃を受け、「とても苦しんでいる親愛なるウクライナの人々」のために祈られた。
(カトリック・あい注)当時の教皇ピオ12世は、1943年5月16日の連合国軍の最初の爆撃を受けて、米国のルーズベルト大統領に書簡を送り、「ローマを可能な限り苦痛と荒廃から遠ざけ、貴重な聖堂の取り返しがつかない破滅を可能な限り遠ざけるように」と要請、さらにフランシス・スペルマン大司教(当時)を通して大統領に説得を試み、ローマの「無防備都市宣言」を行ったが、7月19日に始まる本格爆撃を防ぐことはできなかった。
聖トマス・アクィナス (© Biblioteca Apostolica Vaticana)
教皇フランシスコが11日、聖トマス・アクィナス列聖700年記念行事に、列聖省長官セメラーロ枢機卿を派遣されるに伴い、同枢機卿に書簡を送られた。
『神学大全』の著者、ドミニコ会士、聖トマス・アクィナス司祭教会博士(1226-1274)が、1323年7月18日に列聖されてから、今年で700年を迎える。列聖700年を記念するミサが18日、イタリア南部プリヴェルノにあるフォッサノーヴァ修道院で捧げられる。
教皇フランシスコは、この記念ミサに教皇特使として、列聖省長官マルチェッロ・セメラーロ枢機卿を派遣されるが、この任命に伴い、セメラーロ枢機卿に書簡を送られた。
書簡で教皇は、司祭、神学者として、祈りや著作を通して「広大な霊的・人文的叡智」を分かち合った聖トマス・アクィナスを、「教会の人」と形容。「知識によっておごることなく、常に愛に感化された」と、その人となりを思い起こされた。まれにみる文化教養にあふれた「天使的博士」聖トマス・アクィナスは、多くを著し、教え、特に哲学・神学の分野で才能を示しながら、「その知性と明晰さで際立つ一方で、熱心な信仰をもって神の神秘を求め観想していた」と述べられた。
教皇はまた、聖トマス・アクィナスに関して、2024年に帰天750年、2025年には生誕800年の記念を控えていることに言及しつつ、「聖性と神学で知られる、この教会博士の熱心さを称えるための教会の様々なプロジェクト」に大きな喜びを表された。
そして、聖トマス・アクィナスが帰天した場所であるフォッサノーヴァ修道院で行われる同聖人列聖700年の記念ミサの参加者たちが、これを機会に「キリストとその福音を生きるための新たな力を得ることができるように」と祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
(イスラエル軍の攻撃で破壊された建物 )
(2023.7.9 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは9日、年間第14主日の正午の祈りの説教に続けて、聖地での対話と戦争で荒廃させられ続けているウクライナの速やかな和平実現のために祈り、訴えられた。また、21人の新枢機卿の選任とその任命式のための枢機卿会議を9月30日に開くことを明らかにされた。
教皇は、聖地で起きている悲劇的な出来事を非難。イスラエル人とパレスチナ人の和解と平和の回復を訴え、 「悲しみとともに、聖地に血が流されたことを改めて知りました。 イスラエルとパレスチナの指導者が直接対話を再開し、暴力のスパイラルに終止符を打ち、和解と平和への道を開くことを願っています」と語られた。
また、9日が「海の日」であることを思い起され、船、港湾はじめ海事産業で働く人々への近しさと愛情を表明され、地中海で避難航海を強いられている人々を救うために精力的に働いている人々に感謝の意を表した。
さらに教皇は、ロシアの軍事侵攻で苦難の中にあるウクライナの人々のためにのために祈りを呼びかけられ、聖ペトロ広場に集まったウクライナ人のガールスカウトたち、リヴィウから来た大学生たちに特別の挨拶をおくり、「ひどい苦しみの中にある人々のために祈ります。私はあなたがたにすべての祝福を捧げます。そして、あなたの愛する人たちと、非常に厳しい試練にさらされているあなたの国の人々にも祝福を送ります」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2023.7.4 バチカン放送)
教皇フランシスコが4日、ローマで開催中の国連食糧農業機関(FAO)第43回総会にメッセージをおくられ、「私たちが直面している様々な問題は、世界の全家族が力を合わせ、協力し合うべきもの…全人類的、多極的アプローチが求められるこの巨大な挑戦を前に、争いや対立をしている余裕はありません」と訴えられた。
メッセージで教皇は、紛争や、気候変動、またその影響としての自然災害のために、「無数の人々が貧困と栄養失調に苦しみ続けている状況」に目を向けられ、貧困や不平等、食糧・飲料水・医療・教育・住居など生活の本質的要素へのアクセスの欠如を、「人間の尊厳に関わる重大な問題」として、改めて提起された。
そして、「持続可能な開発目標(SDGs)」の一つである「2030年までに世界の飢餓をゼロに」という目標の達成が難しくなっている、という専門家たちの見通しを挙げ、「この共通責任を果たせないために、当初の意図を人々の真の必要を理解しない新しい計画に変えてまうことがないように。助成や計画が上からの押し付けではなく、人々の声を尊重するものとなるように」と希望された。
そして、国連食糧農業機関をはじめとする国際機関、また政府、企業、学会、市民社会、個人が力を合わせ、皆が恩恵を受け、誰も取り残されないために、この問題に一致して取り組む必要がある、と強調された。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis during the Angelus (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2023.7.2 Vatican News Linda Bordoni)
教皇フランシスコは2日、年間第13主日の正午の祈りの説教で、「決断を下すときは、祈り、聖霊を呼び求め、相手を理解したいという心からの願いを持って、相手の話す言葉に耳を傾けるのが良い」と語られた。
*私たちは皆、預言者であるはずだが、そうしているだろうか
聖ペトロ広場に集まった信徒たちに向けた説教で、教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書のイエスの言葉―「預言者を預言者だということで受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける」(10章41節)を取り上げ、現代の預言者を喜んで受け入れる必要について考察された。
そして、「預言者とは、人々が聖霊の働きのもとで現在を解釈できるようにし、神の諸計画を理解し、対応できるようにする人。イエスを他の人に示し、イエスを証しし、今日を生き、イエスの計画に従って未来を築くことができるようにする人です」と指摘。
その意味で、「私たち兄弟姉妹の一人一人が預言者。洗礼によって、私たち全員が『預言的使命』の賜物を受けたのです… イエスの証人であり、他の人たちに神を指し示す愛のしるしであり、兄弟姉妹の歩む道におけるキリストの光の反映です」と説かれた。
教皇はそのうえで、信徒たちに、「私は、イエスの証人として日々の暮らしを送っているだろうか」「他の人たちの人生に、イエスの光を少しでも、もたらしているだろうか」と自分自身に問い掛けるよう勧められ、さらに「こうしたことについて、私は自分を評価するでしょうか?私は自問します-私が証ししているものは、私の預言は、何なのか?」と自問された。
*互いの話に耳を傾け合おう
続けて教皇は、「今日の日の福音で、主は、預言者たちを喜んで受け入れるように求めておられます」とされ、「重要なのは、それぞれが置かれた状況と与えられた使命に応じて神の言葉を伝える者である私たちが、互いを喜んで受け入れること。 自分が生活している場、家族、小教区、修道会、教会や社会の他の場で。そして聖霊は、神の聖なる民に預言の賜物を配っておられます。ですから、皆の声に耳を傾けるのは良いことなのです」と説かれた。
そして、「重要な決断をする必要があるとき、まず祈り、聖霊を呼び求めるのは良いことですが、そのうえで、相手がどんなに”小さな人”であっても、誰もが語るべき重要なこと、分かち合うべき預言的賜物を持っていることを信じて、相手の話を聴き、言葉を交わすことです」と強調。
説教の最後に、信徒たちに、「自分は相手から喜びをもって受け入れられている」と、人々に感じてもらえるようにすることを勧められ、「それは、相手に私たちが喜ぶようなことを言ってもらうためではなく、相手が『自分は受け入れられており、賜物として大切にされているのだ』と感じてもらえるようにするためです」と念を押され、「互いに理解し合いたいという心からの願いを持って、互いの話に耳を傾けることが、どれほど多くの紛争を回避し、解決できるかを、皆でよく考えましょう」と訴えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Archbishop Víctor Manuel Fernández
(2023.7.1 Vatican News)
教皇フランシスコは1日、教理や未成年者保護などを担当する教理省の長官をルイス・フランシスコ・ラダリア・フェレール枢機卿からビクトル・マヌエル・フェルナンデス大司教に交替させる人事を発令されるとともに、新長官あてに書簡を送られた。
書簡の中で、教皇は、新長官に「非常に価値ある任務を託します」とされたうえで、長官としての主たる任務は「私たちの希望に根拠を与えるために、信仰を源とする教えを守ること」であり、「誤りを指摘したり、断罪したりする”敵役”を務めることではありません」と強調された。
フェルナンデス新長官は、教皇庁聖書委員会の委員長も兼務する予定で、正式就任は9月中旬になる。新長官は61歳、教皇庁立アルゼンチン・カトリック大学長、アルゼンチン神学協会長などを務め、教皇がブエノスアイレス大司教だったころから現在に至るまで、神学の分野での補佐役を務め、使徒的勧告「福音の喜び」などの執筆にも貢献し、教皇の信任も厚い。
書簡で教皇は、教理省は過去において、「時として、(その役務が)教理面での間違いや問題のある手法の追求に傾斜していた」と指摘され、新長官として、「これまでとはきわめて異なる仕事に指導力を発揮する」ことを期待している、と述べられた。
*教理省にとって重要な「未成年者の保護」の役割
そして、未成年者保護に特化した部門が教理省内に置かれたことを強調され、新長官に対して、「キリスト教の信仰を守る」という教理省の主たる目的を個人的にも、直接的にも固守するよう求められた。さらに、福音宣教において信仰を伝えることに強い勢いを与え、特に科学の進歩と社会の発展によって起される様々な問題に直面する中で、その光が、存在の意味を理解するための規範となるようにすることを願われた。
*人類にとって前例のない状況の中で世界の人々の対話ができるように
また教皇は、福音のメッセージを新たな形で宣言するよう促され、教理省が福音宣教の道具となり、人類史上前例のない事態が起きている中で、カトリック教会が世界の人々と対話できるように助けることを求められた。
続けて、教会は、掲示された御言葉の解釈と心理の理解において成長する必要があり、その際、一つの決まった表現の仕方だけを押し付けないようにすることが大事である、と指摘。「 尊敬と愛によって育まれる調和のとれた成長は、いかなる”管理メカニズム”よりも効果的にキリスト教の教義を保つことにつながります」と述べられた。
*”机上の神学”や冷酷で厳格な論理に満足しない神学者が必要だ
さらに教皇は、”机上の神学”やすべてを支配しようとする冷酷で厳格な論理に満足しない神学者が求められている、とされ、「 私たちに必要とされている神学は、神の無限の力、そして特に神の慈悲に究極的な疑問を投げかける、いかなる神学的な概念を不適切とみなす根源的な規範を大切にする必要があります。 私たちに必要とされている考え方は、人々を愛し、赦し、救い、自由にし、前進させ、彼らに兄弟姉妹愛に満ちた奉仕を促す神を提示することです」と説かれた。
そのうえで教皇は、新長官に対して、最も素晴らしく、偉大で、魅力的で、同時に最も必要とされる本質に焦点を当てた意向を勇気をもって言明するよう求められると同時に、中心的な課題を二次的なもので覆い隠することが無いよう、警告された。
書簡の最後に、教皇は新長官に、教理省や教皇庁の他省の諸文が十分な神学的裏付けを持ち、カトリック教会の長年にわたる教えの豊かな蓄積と調和していることを常に確認し、同時に、近年の教導権を受け入れることを求められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ 2023年6月28日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場 (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2023.6.28 バチカン放送)
教皇フランシスコは28日、バチカンの聖ペトロ広場で水曜恒例の一般謁見を行われ、「使徒的熱意について」をテーマとした連続講話を再開された。一般謁見は、教皇が手術のため入院された7日以来、3週間ぶり。また、7月1か月の謁見休止期間に入る前の最後の謁見となった。
連続講話で教皇は、2010年に列聖されたオーストラリア生まれで初めての聖人、メアリー・マッキロップ修道女(1842-1909)を取り上げられ、聖ヨセフ聖心修道会を創立し、オーストラリアの地で、恵まれない人々の教育に尽くした生涯を振り返えられた。
連続講話の要旨は次のとおり。
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様々な時代と場所で使徒的熱意を模範的に証しした人々を取り上げるこのカテケーシスで、今日はオセアニアに目を向けましょう。オセアニアに欧州からの多くの移民たちによって伝えられたキリスト教信仰は、根を張り、豊かな実りをもたらしました。その実りの間に、聖ヨセフ聖心修道会を創立し、恵まれない人々の知識教育・宗教教育に尽くした、聖メアリー・マッキロップ修道女(1842-1909)がいます。
メアリー・マッキロップは、メルボルンのスコットランド系移民の家庭に生まれました。早くから、言葉だけでなく、特に神の現存に変容された生き方を通して、神に仕え、神を証しする召命を感じていました。また、復活されたイエスと出会い、そこから弟子たちにそれを告げるようにとイエス自身から派遣されたマグダラのマリアのように、彼女自身も福音を宣べ伝え、人々を生ける神との出会いに導くように召されていることを確信していました。
時代のしるしを賢明に読み取りながら、メアリー・マッキロップは、「自分にとって、召命を生きる最良の方法は、若い人たちへの教育を通してだ」と知りました。それぞれの聖人は神が計画された独自の使命に召されていますが、メアリー・マッキロップは、カトリック教育が一つの福音宣教の形であることを認識し、召命は、学校の創立を通して実現されていったのです。
メアリー・マッキロップの福音への熱意は、特に貧しい人々や疎外された人々への世話に表されました。重要なことは、恵まれない人々、見捨てられた人々は聖性への道における主役であり、聖人たちは何らかの形でこれらの人々に人生を捧げる、ということ。貧しい人々への奉仕のために、メアリー・マッキロップは、他の人たちが行こうとしない場所、行くことができない場所に、自ら赴きました。1866年3月19日、聖ヨセフの祭日、彼女はオーストラリア南部の小さな町に最初の学校を開きます。そして、彼女と仲間たちによって、オーストラリアとニュージーランドの農村地帯に次々と学校が創立されていきました。
メアリー・マッキロップは、教育の目的は、個人、また共同体の一員としての統合的な成長にあると確信していました。それは、教育を受ける一人ひとりに知恵と忍耐と愛を要求するものです。教育とは、頭を考えでいっぱいにすることではなく、生徒の人間的・霊的成長の歩みに寄り添い、励ますことにある、と。
貧しい人々の間で福音を宣教するというメアリー・マッキロップの情熱は、アデレードに開いた、見捨てられた高齢者や若い女性を受け入れる「御摂理の家」をはじめとする、様々な事業につながっていきました。彼女はあらゆる状況において神の御摂理に信頼していました。使徒職にまつわる様々な不安や困難は尽きることなく、後には健康問題も重なりましたが、彼女は十字架も使命の一部として忍耐をもって受け入れ、常に落ち着いていました。
十字架称賛の祝日に、メアリーは仲間の修道女に「長い年月を通して、十字架を愛することを学びました」と語っています。試練や暗い日々において反対や拒絶が喜びをかき消そうとする時も、彼女は屈することはありませんでした。主が「災いのパンと苦しみの水」(イザヤ書30章20節)を与えられる時も、主ご自身が彼女の叫びに答え、彼女を恵みで包んでくださることを疑いませんでした。
聖メアリー・マッキロップの宣教的使徒職、当時の教会の必要に対するその創造的な回答、若者たちの統合的育成への努力が、今日、急速に変化する社会において福音のパン種になるよう召されている私たちにも、霊感を与えてくれることを、また、若者たちの善とより人間的で希望ある未来のために、彼女の模範と取次ぎが、保護者や、教育者、カテキスタたちの日ごろの仕事を支えてくれることを祈りましょう。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)