・3月6日「性虐待被害者のための祈りと償いの日」へ菊地・東京大司教がメッセージ

2026年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

 東京教区の皆さま

 日本の司教団は2016年12月14日にメッセージを発表し、教皇フランシスコの意向に沿って、日本における「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を、四旬節・第二金曜日と定めました。2026年にあっては、3月6日(金)がこの「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたります。当日、またはその直後の主日に、この意向を持ってミサを捧げ、東京教区の教会共同体全体として、神からの賜物である命を守り、人間の尊厳を尊重する決意を新たにいたしましょう。

 シノドスの道を共に歩んでいる教会は、命の福音を宣べ伝える神の民として、それぞれが命を守る責務を負っている、という自覚を新たにし、社会の中で自らの存在と、言葉と行いを通じた証しによって、率先して命の大切さを説き、目に見える形で命の尊厳を高める道を歩む共同体とならなくてはなりません。

 世界には戦争や紛争という暴力、また貧困や不正義に起因する暴力によって、危機に直面する命が多く存在し、日本の社会にあっても、誰からも顧みられることなく、忘れられたり、孤独のうちに孤立し、危機に直面する命など、人類の構造的罪に起因する命の危機が数多く存在しています。その中にあって、性的な暴力は、人間の尊厳をないがしろにする、命に対する直接の暴力であり、キリスト者が生きる道ではありません。

 そうであるにもかかわらず、教会共同体においても、性的な暴力やハラスメント行為が実在しています。性的な暴力やハラスメントは、教会共同体全体として、1人ひとりが責任を自覚しながら撲滅していかなくてはなりません。性的な暴力やハラスメント行為は、神が与えてくださった賜物である命への暴力です。

 残念なことに、教会の指導的立場にいる聖職者や霊的指導者が、自らの使命を放棄したかのように、性的な暴力を働いたり、ハラスメント行為によって人間の尊厳をないがしろにした事例が実在します。とりわけ性虐待という人間の尊厳を辱め、蹂躙し、被害者の方々に長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者が存在することを、大変申し訳なく思います。

 東京教区にあっては対応するための委員会を設け、被害の申告があった場合の聞き取りや必要に応じて第三者の調査を行い、教区司教に対して必要な対応をとるように勧告する、というシステムを長年設けています。このシステムによって、司教による事例の隠蔽を防ぎ、教区全体として被害を受けられた方への可能な限りの対応にあたることにしています。

 しかし、教会内部の歴史に基づく制度上の限界はまだ、克服されておらず、現時点では、東京教区で働く修道会会員にあっては、その修道会上長が、東京教区司祭にあっては、教区司教が対応することになっています。一般の方の立場からすれば、一つの教会の中に複数の対応責任者が存在しているような状況であり、ふさわしい対応を妨げる要因だ、とのご批判をいただいているところです。この教会の制度上の課題も克服できるよう、この数年来、日本の司教団は教皇庁の未成年者・弱者保護委員会と協力しながら、教区や修道会の連携や情報共有の枠組み整備を進め、対応のガイドラインの改定にも取り組んでいます。

 修道会の責任者の皆さんには、自らの責務を忠実に果たし、特に被害者の声に耳を傾け、共に歩む姿勢であることを求めると同時に、教区司教である私も、自らに課せられている責任を誠実に果たしていく決意を新たにいたします。

 神からの賜物である命に対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにした私たち教会の罪を心から謝罪いたします。神の慈しみの手による癒やしによって被害を受けられた方々が包まれますように、心から祈ります。同時に、私たち東京教区で働く聖職者や霊的指導者のためにもお祈りくださるように、お願いいたします。

2026年2月21日 カトリック東京大司教区 大司教 枢機卿 菊地功

(編集「カトリック・あい」南條俊二=ひらがな表記は、原則として当用漢字表記に読みやすく、また言葉本来の意味を分かるように直してあります。例えば、「命」は「天を仰いで感謝していただく」という象形文字が元になっているのです。)

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2026年2月23日