・教皇説教師の待降節黙想会講話⓶「聖霊の働きとは」


Cardinal Cantalamessa delivers his Advent sermon to the Pope and the CuriaCardinal Cantalamessa delivers his Advent sermon to the Pope and the Curia  (Vatican Media)

 バチカンでの待降節の黙想会が10日、教皇フランシスコと高官たちが参加して開かれ、教皇付き説教師のラニエロ・カンタラメッサ枢機卿の講話をお聴きになった。

 講話のテーマは「時が満ちると、神は、その御子を…お遣わしになりました」(ガラテヤの信徒への手紙4章4節)で、枢機卿は「神の子としての私たちの祈りにおける聖霊の役割」を考察した。

 枢機卿はこの日の講話を、キリストへの信仰の「新鮮さ、熱意、驚き」を再発見する模範として、アベルシウスという名前の古代の司教を取り上げることから始め、「それは、大聖堂のステンドグラスを、通りの側からではなく、内側から見ること」と語った。

 そのうえで、私たちの心を神に上げる聖霊の役割を考察し、「神がおられなければ、私たちは祈ったり、神の子であることに気づくことさえできないでしょう」と述べ、「もし聖霊が、私たちが神の子であることの保証であり、私たちの霊の証人であるなら、私たちが神の子であることを知ることなしに、あるいは確証なしに、”どこか”でそうするもの、ではありえません」とした。

 そして、「そのような確証は、『私たちに敵意を持って、人間の自由を制限するもの』として神のご意思を見ようとする『悪の体制』に打ち勝つ時、にやってきます」と述べて、次のように語った。

 「無意識のうちに、私たちが神の意志を、『私たちを試練に追いやる不快で苦痛を伴うすべてのもの、放棄と犠牲を必要とするすべてのもの、つまり私たちの個人的な自由と成長を抑えるものと見なされるすべてのもの』に結びつけて考えることは、よくあります。私たちは本質的に、神がすべての祝いや喜び、楽しみに反対される、と考える傾向があるが、そう考えた時に、鏡に映る自分は、観念して頭を下げ、『自分にできることは何もない… 分かりました、あなたのみ旨のままに』と歯を食いしばりながらつぶやく、歪んだ姿になっているでしょう」。

 

*「アッバ、父よ!」の呼び掛けに、神は心動かされる

 枢機卿は、このような「歪んだ姿」は「聖霊が私たちに、神の別の顔、福音の中でイエスによって明らかにされた顔を示すことで、癒してくれます」とし、「少しずつ、心の中で花開き、そして、『アッバあ、父よ』という呼び掛けになっていく、子供の感覚です。子供が、奴隷に取って代わり、愛が、恐れに取って代わる。その人は、神に敵対することをやめ、神の味方になるのです」と説いた。

 さらに、私たちが真の召命を実現するのを助けるために、聖霊が恵みによって私たちを鼓舞する祈りについて言及し、祈りは「聖霊の働きが、私たちを神の子と感じさせる奇跡を常に新たにする、特別な場所」であり、この経験は、しばしば人の生活の中で「突然、激しく」なされ、私たちを「圧倒し、沈黙させる神の威厳と次元を超えた感覚」を伴う、として次のように語った。

  「『アッバ、父よ!』という呼び掛けについて話す時、私たちは普通、そのように呼び掛ける私たちにとって、それが何を意味するのか、という観点から考えます。その呼びかけが、聴く神にとって何を意味するのか、神の中で何を生み出すのか、について、ほとんど考えることはありません。神が『お父さん』と呼ばれる喜びについては、誰も考えません。でも、父親なら誰でも、自分の息子や娘がそのように自分を呼ぶのを聞いて、どう感じるか、分かっています。いつもまた、父親になるかのようです。なぜなら、呼び掛けられるたびに、自分が何者であるかを思い出させ、分からせるからです。それはあなたの存在の核心にあるものを呼び起こすのです」。

 そして、「イエスは、神を、『私たちの父』、あるいはアラム語の『アッバ』に近いニュアンスを持つ『Daddy』と呼ぶように教えています」とし、「私たちが神に愛を込めて話す時、自分の祈りの中に特別なものを感じることができない時であっても、神は心動がされます。私たちの祈りが、真に高い愛、深い信仰に達するのは、まさに、私たちが”乾燥状態”にある時なのです」と説いた。

*”シノドスの道”を歩み始めた教会は聖霊に導きを委ねる

 講話の最後に、枢機卿は、教会の指導者たちに対して、それぞれの司牧と計画を聖霊を基礎に置くように強く求め、「時間があれば、聖霊に自分を開き、聖霊がご自身を現わしてくださる時を持ち、自分を聖霊と同調させる必要があります」とした。そして、「教会が、”シノドス”の大事業を開始した今、聖霊に私たちの業を委ね、聖霊が私たちを導いてくださるようにすることが、特別に求められているのです」と強調し、次のように締めくくった。

 「聖霊は、新たな道を開く、ただ一つの存在。過去のことを否定せず、新たなことをなさいます。聖霊は物事を新たにされます!聖霊は、新たな教義、新たな制度は作らず、刷新し、イエスによって定められたものに新たな命を吹き込みます。聖霊なしには、私たちはいつも歴史に後れを取ることになるでしょう」

 

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2021年12月11日