・「静かに、語りかける神の言葉に耳を傾けよう」菊地・東京大司教の四旬節第二主日メッセージ

2026年2月28日 (土) 週間大司教教第246回:四旬節第二主日A

 2月24日と25日の二日間、福岡教区の大名町教会を会場に、全国各教区のシノドス担当者に集まっていただき、司教団のシノドス特別チームによる研修会を開催しました。全国から50名を超える教区担当者が参加し、司教団からも7名の司教が参加しました。

2026synodws04 ご存じのように、シノドス的な教会になる道はまだ途上であり、現在は、2028年の教会総会(エクレジアル・アッセンブリー)を目指して、2026年一杯の各共同体における具体的な実施ステージ(期間)に入っています。何をするべきなのかは、実は目に見える形での機構改革なのではなく、意識改革というのか、教会の体質改善の基礎作りです。そのために聖霊が今、教会に求めている取り組みを、まず、様々な共同体で識別することが不可欠です。そのための手段として有効なのが、霊における会話です。

 特別チームでは今回の研修会の結果を元にして、復活祭までには手引き書を発行しますので、様々なところで、教区担当者の指示に従いながら、識別の取り組みを行っていただきながら、シノドス的な教会の基礎を築きあげていただければと思います。

 以下、28日午後6時配信、週刊大司教第246回、四旬節第二主日のメッセージです。なお、今回のメッセージの後半で触れている教皇レオ14世の言葉に関連して、見えない形での迫害について、インタビューを受けた記事がCruxというサイトに、英語ですが掲載されています。ご参考までに。

【四旬節第二主日A 2026年3月1日】

 イエスの変容の物語は、非常に興味深い人間の心の弱点をわたしたちに教えます。福音は、ペトロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れたイエスが、高い山の上で姿が変わり、光り輝く驚きの光景が展開したことを伝えています。さらにはモーセとエリヤまで登場しますから、その光景に弟子たちが圧倒されないはずがありません。ペトロは、その興奮のうちにとどまりたいと願い、仮小屋を建てること提案します。

 しかし御父は、神の存在はそのような光り輝く華々しいところにあるのではなく、「これに聞け」ということばを持って、静けさのうちにたたずむイエスにこそ、神の栄光があり、神の意志が示されるのだと明示します。

 私たちはすぐに興奮する世界に、いま住んでいます。わたしたちは自分たちの人生における経験からよく知っていますが、わたしたちは興奮すればするほど、客観性を失い、冷静な判断力を失います。同時に、興奮は長続きせず、すぐに興味を失い、次の興奮の材料を探し求めるようになります。

 今、私たちは、インターネットやスマホなどの発達によって、あっという間に情報を手にすることができるようになりました。興奮する材料は、毎日のように山のように提供されてきます。そしてあちらこちらで、客観性を失い、興奮のうちに、とんでもない判断を積み重ねてしまっています。そしてその興奮の対象は、次から次へと移り変わっていき、忘れられて置き去りにされてしまう人の悲しみだけがの山積みとなっていきます。

 一時的な興奮のうちには、神の真理はありません。神からの賜物である命の尊厳は、そういった一時的興奮の嵐の中で翻弄され、ないがしろにされ、時に暴力的に奪われていきます。神の愛の賜物である命が失われるという悲劇も、興奮のるつぼの前ではすぐに忘れ去られ、残されるのは絶望と悲しみです。

 私たちは、心を落ち着けて神の言葉に耳を傾けたいと思います。時に信仰の世界においても、一時的な興奮状態の中に神の真理が表されるかのような錯覚に陥ることがあります。神の真理は、静かにたたずまれる神の言葉、主イエスのうちにあります。

 貧しい人々への優先的な教会のかかわりを説く教皇レオ14世の使徒的勧告「わたしはあなたを愛している」において教皇は、「多くの場合キリスト信者も、世俗的なイデオロギーや、不当な一般化や誤った結論へと導く政治的・経済的アプローチの影響を受けることがあります。愛の業の実践が、一部の人の強迫観念と見なされ、教会の使命の熱い中心と見なされずに、軽蔑と嘲笑の的となることがあります」と記し、そのような興奮する世界の風潮に左右されないために、「福音をこの世の考え方に置き換える危険に陥らないために、福音を絶えず読み直さなければならない」と記しています。

 興奮の嵐に取り込まれ翻弄されることなく、静かに、語りかける神の言葉に耳を傾けましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2026年2月28日