・「私たちは教皇と共に歩み、共に主の身体を作り上げる神の民」-菊地・東京大司教の「ラテラノ教会献堂の祝日」説教

2025年11月 8日 (土)週刊大司教第231回:ラテラノ教会の献堂

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 9日の年間第32主日は、ラテラノ教会の献堂の記念日と重なります。ラテラノ教会とは、ローマ司教の司教座聖堂、すなわち教皇様のカテドラルの献堂の記念日ですので、主日に優先してお祝いされます。今日は特に教皇レオ14世のためにお祈りいたしましょう。

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 11月6日夜から7日午後にかけて、上石神井にある日本カトリック神学院で神学院司教会議を行い、全国のほぼ全員の司教が神学院に集まり、神学院に一泊して神学生と交流し、共に祈り、そして神学院の運営について話し合いました。神学生のために、また司祭修道者の召命のためにお祈りください。

 以下、8日午後6時配信、週刊大司教第231回、ラテラノ教会献堂の主日のメッセージです。

【ラテラノ教会の献堂C 2025年11月9日】

 11月9日はラテラノ教会の献堂の祝日です。今年は日曜日と重なりましたので、主日に、この献堂記念を祝うことになります。なぜならば、ラテラノ聖堂とは、教皇様のローマ司教としての司教座聖堂・カテドラルとして重要な意味を持っているからです。

 普遍教会の牧者であるローマ教皇のカテドラル献堂を祝うことは、私たちの教会は、あたかも「本店があって支店がある」というような、”本店”であるローマの教会の”支店”が日本にある、ということなのではなく、一人の牧者の下に、どこにいても皆で一つの神の民を形成しており、それぞれの教会は一つの身体の部分なのだ、ということを思い起こさせます。その意味で、ラテラノ教会の献堂の祝日は、私たちに、「教会とはいったい何であるのか」を改めて考えさせる祝日です。

 ”シノドスの道”は、まさしくこの「教会とは何であるのか」を改めて振り返ることを、私たちに求めていました。教会は各地にある建物のことではなく、「時の流れの中を、共に旅する神の民」であることを改めて自覚し、神の民として共に歩み、支え合い、耳を傾け合い、共に祈ることを通じて、聖霊の導きを識別することを目指しているのが、今、進められている”シノドスの道”の歩みです。

 それぞれの地方の教会が勝手に歩んでいるのではなく、皆が一つになって構成する神の民の一部分であることを自覚するためにも、その中心にある教皇様のカテドラルの存在を意識することは大切です。

 この地上における目に見える組織としての教会は、同時に霊的な交わりとしての教会でもあり、さらには天上の教会とも繋がれています。教会憲章の8項には、次のように書かれています。

 「位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、目に見える集団と霊的共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものとして考えられるべきではなく、人間的要素と神的要素を併せ持つ複雑な一つの実在を形成している」

 ですから、教会共同体のありかたを、普遍教会のレベルでも、地方教会のレベルでも、社会一般の価値観で判断していくことは、必ずしもふさわしいことではありません。私たちは、様々な考え方や思想を持った人間ですが、同じ信仰において結ばれていることを心にとめて、自分の考えではなく、神によって集められたものとして、互いの違いを乗り越えてキリストの神秘体を形作る努力をしなくてはなりません。

 私たち一人ひとりが教会です。一人ひとりが教会を構成するのです。日曜日に教会という建物に来たときだけ。私たちは教会の一員になるのでなく、信仰者として生きている限り、常にどこにあっても、私たちは大きな神の民の一部として、教会に生きていくのです。

 ヨハネ福音でイエスは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」とユダヤ人たちに語ります。建物ではなく、ご自身そのものが神殿であることを、明確にします。ですから教会は、復活されたイエスの体であります。

 その意味で、神の民を牧者として導く役割を主ご自身から託されたペトロの後継者である教皇様のために、この祝日には祈りを捧げましょう。私たちは教皇様と共に歩み、共に主の身体を作り上げる神の民なのです。

(用語編集「カトリック・あい」)

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2025年11月8日