・「私たちには賜物である命を例外なく守り抜く務めがある」-菊地大司教、年間第12主日に

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 週刊大司教も130回目となりました。毎回ご視聴いただいている皆様には、心から感謝申し上げます。以前から申し上げているとおり、視聴回数が1000回を下回る事が続いた場合は、プログラムの継続に関して判断させていただきたいのですが、今のところ、毎回、おかげさまで1000回を上回るご視聴をいただいています。福音に基づく黙想と祈りの機会をともにしてくださる皆様に、感謝します。少しでも皆様の霊的な糧の一つになっているのであれば、それは幸いです。

 6月24日午後に、イグナチオ教会で、幼きイエス会(ニコラ・バレ)の来日150周年感謝ミサが捧げられました。来日はキリシタン禁制の高札が撤去される一年前の1872年です。その後、女子教育に力を注ぎ、雙葉学園を中心に活動されておられます。幼きイエス会では150年にあたる昨年から各地で記念の行事を行い、今回のミサが、記念行事の締めくくりと伺っています。会員の皆様の150年の献身的な活動に心から感謝申し上げるとともに、修道会の志を受け継いで、現在も学校教育に携わってくださる多くの方々に、心から感謝申し上げます。

 以下、6月25日午後6時配信の週刊大司教第130回、年間第12主日のメッセージ原稿です。

【年間第12主日A 2023年6月25日】

 人間の知恵とか、力とかを、はるかに超えたところに、父なる神はおられます。私たちは人間の身勝手な思いではなく、この世界を創造し、この命を賜物として与えてくださった神の思いを実現するために、恐れることなく努めていきたいと思います。私たちには、神がその愛と慈しみの結実として創造され、神の似姿としての尊厳を持って与えられた賜物である命を、その始まりから終わりまで、例外なく守り抜く務めがあります。

 しかしながら、コロナ禍にさいなまれた世界は、無関心のグローバル化によって利己的になり、自己保身は暴力的な行動を生み出し、今や世界は暴力と排除によって支配されているかの様相を呈しています。とりわけ社会にあって弱い立場に追いやられている人たちを守ることは、教会の尊い務めであるにもかかわらず、神の思いに心を向けることなく、その命の尊厳を守ることよりも危機に追いやるような傾きを、肯定する声が大きくなることは残念なことです。

 教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮は命の尊厳に基づいて強調されなければならない、と繰り返して来られました。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されたりす人たちが、世界には多く存在します。教皇は、危機に直面する命の現実を目前にして、キリストに従うものがそれを無視することは出来ない、と強調されます。法律的議論も大事ではあるけれど、まず優先するべきは、命をいかにして護るのか、であることを指摘してやみません。

 教皇就任直後に、アフリカからの難民が押し寄せる地中海に浮かぶランペドゥーザ島を司牧訪問されたことが、教皇の姿勢を象徴しています。母国を離れようとする人には、他人が推し量ることなどできない、様々な事情と決断があったことでしょう。それがいかなる理由であったにしろ、危機に直面する命に、いったい誰が手を差し伸べたのか。その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって彼らと苦しんだのか。教皇は、力強くそう問いかけられました。

 教会は、移住者の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳を優先しなければならない、と長年にわたって主張してきました。教皇ヨハネパウロ二世の1996年の言葉です。

 「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません」(1996年の世界移住の日メッセージ)」

 神が与えてくださった賜物である命を最優先とする道に、神の愛と慈しみは私たちを導いています。

(菊地功=きくち・いさお=東京教区大司教、カトリック司教協議会会長)

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2023年6月24日