・「私たちが見つめねばならないのは、永遠の命の源である主ご自身」-菊地・東京大司教の四旬節第三主日メッセージ

2026年3月 7日 (土)週刊大司教第247回:四旬節第三主日A

 四旬節第三主日です。

 アジア司教協議会連盟(FABC)は、今週、3月3日朝から5日夕方まで、バンコクのカミロ会司牧センターで、年に一度の中央委員会を開催しました。中央委員会はアジアの各国地域の司教協議会会長と、香港・マカオ・ネパールなど司教協議会に属していないアソシエートメンバーの代表(現在は香港が代表)、そして各部局の責任司教と秘書も参加します。私は日本の司教協議会会長として、また現在二期目を務めているFABCの事務局長として、参加しました。

Messenger_creation_09644dc2ce834b6d9c5d4 現在の会長はインド、ゴア教区のフィッポネリ枢機卿、副会長はフィリピン、カローカン教区のダビド枢機卿で、実際にバンコクの事務局を切り盛りしているのは、メリノール会のウィリアム神父です。

 会場は、バンコクのスワンナプーム国際空港の近くにある、カミロ会が開設する児童のための福祉施設に隣接している司牧センターです。司牧センターには、貧しい人のための優先的関わりを再確認した教皇レオ14世のディレクシ・テのバナーが掲げられていました。

 中央委員会は年に一度集まり、四年ごとに行われる総会の決めた方向性に従って、各部局がどのような活動をしており何を企画しているのかを聞きながら、全体の活動などについて具体的な決定をしていきます。また現在、規約を現状に見合う形で改定する作業を続けていますし、また今年の7月にインドネシアで開催される総会の内容についても話し合いました。

 同時に、現在のイランをはじめとした中東での不安定な状況に鑑みて、平和を求める声明も採択しました。また昨年11月にマレーシアのペナンで行われたアジア宣教大会(GPH:希望の偉大なる巡礼)の報告書も出来上がり、そのプレゼンも行われました。(下の写真)

 アジアは中央アジア、南アジア、東南アジア、東アジアの四つの地域に分かれており、それぞれから、9ある部局に責任司教と委員司教、そして秘書を、まんべんなく選出し、アジア全体で福音宣教の課題に取り組んでいく司教たちのImg_20260304_103204955組織です。

 しかし、公用語である英語で責務を果たしていく必要から、どうしても英語を日常的に使う国の出身者が多く任命されることになっています。それでも日本を含めてアジア全体で、できる限り役割を分担して、一緒に取り組んでいくという、シノドス的なあり方が、再確認されました。

 また司教たちの組織ですので、男性ばかりになりがちですが、女性信徒の神学者もアジアには大勢いることから、様々な分野で、今後も女性信徒や奉献生活者の関わりを増やしていくことも確認されました。

 以下、本日午後6時配信、週刊大司教第247回、四旬節第3主日のメッセージです。

【四旬節第三主日A 2026年3月8日】

 教会とは、どういうところでしょう。教会とは正しい人だけの集まりではありません。教会は回心を必要とする罪人の集まりです。慈しみ深い御父は、ご自分が創造されたすべての命を、永遠の命における救いへと招こうとされています。

 教会は御父のその招きが具体化し、全うされるようにと、すべての人を招き入れる存在であるはずです。回心を成し遂げた人だけを迎え入れるので把握、まずすべての命を招き入れ、共同体の中で共に祈り、共に耳を傾け合い、聖霊の声に導かれながら、共に回心の道を歩まなくてはなりません。

 シノドス(共働)的な教会は、特定の人だけの共同体ではなく、すべての人を招き入れる神の民です。すべての人が、回心へと招かれています。罪における弱さの内にある私たちに、教会は常に回心を呼びかけています。

 ヨハネによる福音は、のどの渇きを癒す、この地上の水について話すサマリアの女に対して、自らの存在がもたらす永遠の命について語るイエスの言葉を記しています。

 イエスはサマリアの女に対して、「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と言われ、この世における乾きの癒やしではなく、本当に大切なもの、すなわち永遠の命へと目を向けるように促します。水の定義について語るのではなく、目の前に存在する永遠の命の源である御自分に目を向けるようにと、促します。

 私たちは、どこに目を向けているでしょうか。神に向かってまっすぐと歩むために、見つめなくてはならないのは、永遠の命の源である主ご自身です。主ご自身との具体的な出会いが、サマリアの女を救いへと招きました。主との出会いは、回心への招きです。

 今年の教皇様の四旬節メッセージ、「耳を傾け、断食する」には、「回心は、一人ひとりの良心に関わるだけでなく、人間関係のあり方、対話の質、現実からも問い直され、教会共同体においても正義と和解に飢え渇く人類においても真の欲求を方向づけるもの、それを見い出す能力にも関わります」と記されています。私たちの回心は、自分とは異なる存在と歩みを共にし、困難の直面する人に手を差し伸べ、罪を悔いる人を命の希望を見いだす回心へと招くものであるはずです。

 福音は、「私たちが信じるのは、もう、あなたが話してくれたからではない。私たちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです」というサマリア人たちの言葉を記しています。主との出会いを通じて強められる私たちの関係は、さらに、それを多くの人へと伝える業へと私たちを招きます。回心は宣教への招きでもあります。私たちの証しを通じて回心へと招かれた人は、さらに自分自身の回心における主との出会いを通じて、さらなる福音宣教者へと変えられていきます。

 私たち一人ひとりへの回心への招きは、神の民に対する福音宣教者となる招きでもあります。

(編集「カトリック・あい」)

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2026年3月7日