・「ウクライナ-賜物である命がこれ以上、危機にさらされないように」「福音は、私たちの日々の生活を通し言葉と行いで証しするもの」菊地大司教の年間第8主日メッセージ

2022年2月26日 (土)週刊大司教第66回:年間第8主日

このところ危機的な状況が継続していたウクライナを巡る国際的緊張関係は、国際社会の対話による解決への呼びかけもむなしく、ロシアの軍事侵攻へと発展してしまいました。

 二つ前の記事でもお知らせしましたが、教皇様は、3月2日の灰の水曜日に平和を求めて断食と祈りをするように呼びかけておられます。また教皇様ご自身は、駐バチカン・ロシア大使館へ直接出向かれて、平和への願いを伝えられたとのことです。

 これまでも世界の歴史の中で同様の行動が繰り返されてきたことですが、政治的・軍事的に大きな力を持った国による、他の独立国をもてあそぶような行動は、世界に与える影響を考えると許されることではありません。また今後の世界秩序に与える影響にも大きなものがあると思われます。

 今般の事態に関わる政治のリーダーたちが、共通善に資する道を選択し、命の尊厳を守る道を選択し、一日も早い事態の沈静化をはかるように望みます。同時に、賜物である命が、これ以上の危機にさらされることのないように祈ります。

 以下、26日午後6時配信の、週刊大司教第66回、年間第八主日のメッセージ原稿です。

【年間第八主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第66回 2022年2月27日】

 シラ書は、箴言や知恵の書と並んで、人生の現実を冷徹に見据えた辛辣な言葉に満ちあふれています。その言葉は辛辣であると同時に、人生を豊かに生きる上での奥深い示唆にも満ちあふれた含蓄に富む言葉でもあります。

 本日の朗読として指定されているシラ書の箇所は、「まさしくその通り」としか言い様がない示唆に富んだ言葉の羅列であります。「人間も話をすると欠点が現れてくるものだ」と記され、また「心の思いは話を聞けば分かる」と記されています。わたしたちが語る言葉は、わたしたちの心の反映です。心の鏡です。今こうして言葉を語っている自分自身への自戒も込めてでありますが、心にもないことを語ることで自分をより良く見せようとしても、語る言葉がその野望を打ち砕きます。

 ルカ福音はそのことを、イエスの言葉として、「人の口は,心からあふれ出ることを語るのである」と記しています。それはすなわち「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」という言葉に集約されます。私たちはどのような実を結んでいるのでしょうか。

 同時にルカ福音は、「兄弟の目にある、おが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」と語るイエスの言葉を記します。どれほど私たちは、自らの身を振り返ることなく,他者を裁いていることでしょうか。他者を裁き断罪するとき、私たちは時に大きな思い違いをしてはいないでしょうか。自分も同じように、過ちを犯す人間である。弱さを抱えた人間であるということを、忘れてはいないでしょうか。

 コリントの教会への手紙でパウロは「死よお前の勝利はどこにあるのか」と記しています。死は人間の命を奪い、すべてを無に帰することによって、あたかも私たちを完全に支配しているかのようであり、それによって私たちの上に勝利する存在であるかのように思われます。私たちは死によって、すべてを失うからであります。

 しかしパウロは、死はすべての終わりではなく、死に打ち勝って復活した主イエスによって、私たちは死による見せかけの勝利を打ち砕き、新しい命に生きるという本当の勝利に与るのだと指摘します。人間の存在を無に帰する死という究極の出来事を、主の復活は打ち砕いてしまったのですから、それにあずかる者には恐れるものがありません。パウロは「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを」私たち知っていると記します。

 主に結ばれた苦労に身を委ねないときに、私たちは他者を裁きます。主に結ばれた苦労に身を委ねないときに、私たちはむなしく虚栄に満ちた言葉を語ります。私たちは、主に結ばれて福音に生き、その福音を忠実に語り、その福音が現実となるように努めなくてはなりません。福音は心に秘めておくものではなく、私たちの日々の生活を通じて、つまり私たちの語る言葉と行いを通じて証しするものです。

 特に、コロナ感染症の状況が続く中で、さまざまな活動の自粛が続き,勢い、私たちはインターネットを通じたコミュニケーションに比重を大きく移しています。インターネットにおける無責任な発言や、他人を裁く言動、また面白おかしくするためなのか、全く真実ではないことを広めようとする言説。時に他者の命を奪うほどの負の力を秘めた言葉の暴力。言葉の後ろに控える人間の心の鏡です。だからこそ、「教会は現代世界の血管に、福音の永遠の力、世界を生かす神の力を送り込まなければ」なりません(ヨハネ23世「フマーネ・サルーティス」)。

(編集「カトリック・あい」)

 

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2022年2月26日