(2021.2.16 東京大司教区)
カトリック東京大司教区の皆様 四旬節のはじめにあたり
一年前、私たちは先行きの見えない状況の中で四旬節を迎えました。その日から私たちは、命を守るため、とりわけ隣人のいのちを危険に直面させることのないようにと、さまざまな制約の下で教会活動を続けてきました。
暗闇の中を不安のうちにさまようわたしたちは、お互いを思いやり支え合うことの大切さを痛感させられています。
一年が経過し、再び灰の水曜日を迎えました。四旬節が始まります。
四旬節を始めるにあたり、預言者ヨエルは「あなたたちの神、主に立ち帰れ」と呼びかけます。四旬節は、まさしく、私たちの信仰の原点を見つめ直す時です。信仰生活に諸々の困難を感じるいまですが、信仰の原点への立ち返りを忘れてはなりません。
私たちが立ち帰るのは、「憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富」んでいる主であると、ヨエルは記しています。信仰に生きている私たちは、主に倣って、憐れみ深いものでありたい、と思います。忍耐強い者でありたいと思います。慈しみに富んだ者でありたいと思います。
私たちの信仰は、いま、危機に直面しています。集まることが難しい中、これまで当然であった教会生活は、様変わりしました。その中で、一人ひとりがどのようにして信仰を守り、実践し、育んでいくのかが問われています。
もちろん典礼や活動に制限があるからといって、教会共同体が崩壊してしまったわけではありません。「私たちは信仰によって互いに結ばれている共同体なのだ」という意識を、この危機に直面する中で、改めて心に留めていただければと思います。
祈りの内に結ばれて、キリストの体を共に作り上げる兄弟姉妹として信仰の内に連帯しながら、この暗闇の中で、命の源であるキリストの光を輝かせましょう。弟子たちを派遣する主が約束されたように、主は世の終わりまで、いつも共にいてくださいます。(マタイ福音書28章20節)
教会の伝統は私たちに、四旬節において「祈りと節制と愛の業」という三点をもって、信仰を見つめ直すように求めています。四旬節の献金は、通常のミサ献金とは異なり、節制の実りとして献げる犠牲であり、教会の愛の業への参加に他なりません。この四十日の間、犠牲の心をもって献金にご協力ください。
また聖書にあるとおり、「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたら」すと私たちは信じています(ヤコブの手紙5章16節)。私たちは祈りを止めることはありません。
感染に対応する様々な手段を講じる中には、私たちの霊的な戦いをも含めていなければ、この世界に私たちが教会として存在する意味がありません。ですから、祈り続けましょう。
特に今年の四旬節にあたっては、長年支え合ってきたミャンマーの教会の友人たちを思い起こし、ミャンマーの平和と安定のために、祈りを献げるようお願いいたします。
また四旬節は、洗礼志願者と歩みを共にする時でもあります。共に信仰の原点を見つめ直しながら、困難のなかにも互いを励まし、信仰の道を力強く歩み続けましょう。
2021年2月17日 灰の水曜日 カトリック東京大司教区 大司教 菊地功