・「弱者への慈しみに徹底的に生きる者でありたい」菊地大司教の年間第26主日・世界難民・移民の日メッセージ


2021年9月25日 (土) 週刊大司教第四十五回:年間第26主日

Rwanda95b 年間第26主日となりました。教会は9月最後の主日を、世界難民移住移動者の日と定めています。旧約の時代から、「寄留者」への配慮は、イスラエルの民自身がエジプトで「寄留者」であった記憶から、大切に教え伝えられ、実践されてきました。

 また主ご自身が、「私が旅をしていたとき宿を貸してくれた」と、すべての人の中に、特に助けを必要とする人のうちにおられるご自分の存在を明確にされたように、様々な事由でこの地上を旅する人への配慮は、主ご自身への配慮と考えられています。教皇様にとっても、特に難民への特別な配慮は、司牧の優先課題の一つです。(右の写真は、95年5月、ルワンダと旧ザイール国境のブカブで撮影した、ルワンダから逃れてきた人たち)

 今のところの予定では、9月末日をもって緊急事態宣言は解除となる模様です。10月1日からは、以前のように感染対策をとりながら、ミサの公開や教会活動を再開させたいと思います。これについては別途公示いたしましたので、教区ホームページをご参照ください。

 検査の新規陽性者数が減少している、という明るい数字もありますが、この後どのように推移するかは不確定ですから、しばらくは慎重な対応を続けたいと思います。

 以下、本日午後6時にカトリック東京大司教区のYoutubeアカウントから配信された、週刊大司教第45回目のメッセージ原稿です。

【年間第26主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第45回 2021年9月26日】

 民数記は、モーセ以外の70人の長老にも、聖霊の導きがあるときに限り、預言を語る力を授けたことを記します。モーセにだけ与えられていた特権を奪われた、という思いが、モーセに長年仕えるヨシュアにはあったのでしょう。やめさせるべきだと進言するヨシュアに対して、モーセは、「主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になれば良いと切望しているのだ」と述べて、大切なのは、神の民すべてが与えられた役割を忠実に果たし、互いに支え合いながら共に共同体を育てていくことだ、と指摘します。

 使徒ヤコブは、この世の富は、永遠の命を保証するものではないことを明確に指摘し、さらには、その富を蓄えるために犠牲となった多くの人の苦しみが、終わりの日には裁きとなって自分に返ってくることを、指摘します。

 マルコ福音は、神の国に入る者となるためには、「中途半端ではなく、徹底的に福音に生きる者となる必要があること」を、イエスが厳しい口調で語っている様を記します。同時にイエスは、その厳しさは自分自身に向かう厳しさであって、他人を裁く厳しさではないことを明確にします。弟子たちは、自分たちの仲間でないものを裁こうとしますが、イエスは「私に逆らわない者は、私の味方」と述べ、弱い立場にいる人への慈しみに徹底的に生きることこそが、救いにとって第一に必要であることを示します。

 9月最後の主日は、世界難民移住移動者の日であります。

 レビ記19章34節には、こう記されています。「あなたがたのもとにとどまっている寄留者は、あなたがたにとってはイスラエル人と同じである。彼を自分のように愛しなさい。あなたがたもエジプトの地では寄留者であった。私は主、あなたがたの神である」。

 教皇フランシスコは、今年の世界難民移住移動者の日にあたってメッセージを発表され、テーマを「さらに広がる“私たち”へと向かって」とされました。これは、「私たち」という言葉を使うときにイメージする範囲を「自分の知り合いの者たち」だけに限るのではなく、さらに広げて「、困難に直面するすべての人を包括するように」という呼びかけです。

 同時に教皇は、それを単なる慈善のわざとは見なしていません。聖座の難民セクションの関係者によると、教皇はしばしば会話の中で、「私の家は、あなたの家だ」と言われるそうです。それは単に、「私の家に困窮する人を迎え入れよ」という「慈善の勧め」に留まるのではありません。「私の家」と言うことで、「自分がその家における責任ある居住者であること」を表明するように、迎え入れた人も同じように「責任ある居住者」となることを意味しているのだといいます。つまり、援助の手を差し伸べた相手は、単なるゲストではない、ということであります。

 教皇はメッセージで、「神が望まれたその“私たち”は、崩壊してばらばらになり、傷つき損なわれています」と指摘されます。その上で教皇は、「内向きで攻撃的なナショナリズムや過激な個人主義は、世の中でも教会内でも、その“私たち”をばらばらにしたり、分裂させたりします。そして、最も大きな犠牲を払わされるのは、すぐに“あの人たち”となりうる人たち、すなわち、外国人、移住者、疎外された人、つまり実存的な周縁部に住まう人たちです」とされ、「人類家族」を修復するように、と呼びかけておられます。

 福音に徹底的に従おうとする私たちは、社会にあって弱い立場にいる多くの人たちへの慈しみに徹底的に生きる者でありたい、と思います。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は、原書により忠実で、現代日本語としても正しい用法になっている「聖書協会・共同訳」にしています)

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2021年9月25日