2026年2月14日 (土) 週刊大司教第244回:年間第六主日A
年間第六主日です。今週の水曜日は灰の水曜日となり、四旬節が始まります。
また2月16日の月曜日午後から金曜日にかけて、司教総会が行われます。一年に二回、全国の司教たちが集まる会議です。司教たちの上に、聖霊の導きがあるように、お祈りいただけたら幸いです。
以下、14日午後6時配信、週刊大司教第244回、年間第六主日のメッセージです。
【年間第六主日A 2026年02月15】
私たちの生きている社会には、様々な規則が存在します。国の法律や団体の規則などなど、組織体を運営していくためには、規則が不可欠ですが、同時に、その時々の状況に対応するために生み出される規則も、多くあります。
その背景にある事情が知られているうちはいいのですが、時間の経過とともに、その規則が作られた背景が忘れられ、字面だけが一人歩きを始めることもあります。時に、どうしてそのような規則による制約が存在するのかさえ、分からなくなったまま、規則だけが一人歩きすることすらあり得ます。
マタイ福音は、イエスご自身の存在と律法や預言者、すなわち旧約聖書との関係を語ります。イエスは旧約の掟や預言と無関係ではなく、イエスがもたらす神の国は旧約に記されていることを完成する、と述べていますが、それは規則を厳格に守ることが重要だ、と説くためではありません。
律法は、「殺すな」と定めていますがイエスは、その定めの根本にまで立ち入ります。「腹を立てるものは誰でも裁きを受ける」と指摘します。すなわち、イエスはそもそも掟の根本にあるはずの、私たちはどう生きるかという、人間として生きる姿勢を問いかけます。
つまり掟は、どこまでならば赦されるかを定めるための枠組み基準ではなく、人間はどう生きるかを生み出す基礎となるべきものです。ですから、イエスは他の箇所で、掟を全て守っている、と豪語したあの誠実な金持ちの青年に対して、問われるのはどう生きるのかなのだ、と諭されたのです。
今週の水曜日は灰の水曜日となり、四旬節が始まります。四旬節は、私たちの信仰の原点を見つめ直すための時です。私たちが心を改め、慈しみに満ちあふれた御父の懐に再び抱かれようと心を委ねる「回心」の時です。
御父は、「しばしば道を踏み外し、時として背を向けて御父の目前から立ち去ろうとする私たち」を見捨てず、忍耐強く待ってくださる方です。なぜならば御父は、私たちに賜物として命を与え、一人ひとりの命を全て愛しておられるからに他なりません。
自由意志を与えられた私たち人類の度重なる裏切りにもかかわらず、私たちは神からの恵みと賜物に豊かに満たされ続けています。四旬節は、このあふれんばかりの神の愛、すなわち、人類の罪をあがなってくださった主ご自身の愛の行動を思い起こし、それによって私たちが永遠の命へと招かれていることを心に刻み、その愛の中で生きる誓いを新たにする時です。
四旬節は、神の掟を書いてある通りに守ることを決意する時ではなく、その掟の背後に控えている神の思いを、神の愛を、心に感じながら、聖霊を通じた神の導きに身を委ねることを決意する時なのです。
(編集「カトリック・あい」南條俊二)
