・「”十字架の道”はミャンマーの現状そのものだ」とボ枢機卿

Pope Francis meets Cardinal Bo in Myanmar in 2017Pope Francis meets Cardinal Bo in Myanmar in 2017 

(2022.4.14 カトリック・あい)

 ロシアの軍事侵攻でウクライナが悲惨な状態になり、中国の新疆ウイグル自治区などでイスラム系少数民族などが深刻な虐待に遭うなど、世界中に、教皇フランシスコが強く非難される「力の論理」が横暴を振るう事態が広がっている。

 そして、ミャンマーでも、軍事政権による民衆弾圧、国軍と反政府武装勢力の戦闘に、未だに終結の展望が見られない。そうした中で、ミャンマーのカトリックの指導者であり、アジアの司教協議会連盟の会長でもあるチャールズ・マウン・ボ枢機卿(ヤンゴン大司教)が、Vatican Newsのインタビューに応じ、先日の反政府武装勢力によるマンダレー大聖堂襲撃を始めとする同国の危機的状況、聖週間におけるカトリック教会の対応などについて語った。

(2022.4.13 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 ボ枢機卿は、国軍支配下で暴力が激しさを増し、避難民も増加を続けるなど危機的な状況な難民危機に直面しているミャンマーは、まさに、イエスが歩まれた「十字架の道」を歩み続けている、と語る。そうした中で、キリスト教徒に対する迫害も激しさを増しており、改めて、物心両面の人道支援の必要を訴えている。枢機卿との一問一答は以下の通り。

 

VN: ミャンマーの民主主義への道を突然停止させた2021年2月1日の軍事クーデターから一年後の今年2月、あなたは、ミャンマーの現状について「長く引き伸ばされた十字架の道」と形容されました。そのような事態は現在も続いていますが、カトリック教会は、復活祭に向けて聖週間をどのように過ごされますか?

ボ枢機卿: ミャンマーの人々は今も、十字架の道を歩み、ゴルゴタの丘にいます。先週の金曜日の夕方、マンダレーの大聖堂で信徒たちが十字架の道行きをしている最中に、(注:反政府武装勢力の)兵士たちがは銃を持って神聖な祈りの場に踏み込み、信徒たちを恐怖にさらしました。キリストの苦しみは、戦争の犠牲者、避難民、夫を亡くした女性、そして父親なしで放り出された子供たち、ジャングルで命を落とした青年たちによって、現実のものとなっています。私たちは、自分自身の力で、数々の悲劇を生んでいる紛争を解決することができないでいること、私たちの平和への努力が今まで無駄になっていることを、心から嘆きます。神はご自分の民と共に苦しんでおられます。イエスが亡くなる前の数時間の苦痛は、ウクライナと同じように、ミャンマーで息子と夫を亡くした母、妻の目と心に映し出されています。彼らは今、十字架の道にいるのです。

 イエスでさえも、「できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」と父に祈られました。そして、十字架の上で亡くなる直前に、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それでも、イエスは、ご自分が定められた道を最後まで歩み続けられたのです。私たちは、イエスほど強くはないでしょう。私たちは「なぜ私たちの国を滅ぼそうとしている悪を許し、ミャンマーの人々が終わりなく苦しむことを放置しているのですか」と父なる神に向かって叫びます。それでも、私たちは、「十字架の道」が、神が悪を克服し、平和をもたらす方法だ、と信じます。この聖週間においてミャンマーの信徒たちは心からの祈りを捧げます。神が苦しんでいる人たちに耳を貸さない、ということを、私は信じることができません。

*キリスト教徒の祈りの場で行われた暴力

VN:ミャンマーにおけるカトリック教会の現在の状況をどうご覧になっていますか?

枢機卿: ミャンマーの仏教徒、イスラム教徒、そしてキリスト教徒の誰もが、極度のストレスの時代を生きています。武力紛争は、この国の東、北、北西、そして中心部の少なくとも4通の地域で激しさを増しています。そして、殺害の恐怖に置かれたり、自宅や地域社会を破壊されたりしていない人たちも、日常生活をするうえでの基本的な公共サービスを受けられなくなっている。人口の半分以上が貧困に陥り、食料価格が高騰しています。しかし、人々、特に若者にとって最大の問題は、自分たちの未来がら奪われている、ということです。あってはならないことが起きているのです。

 プロテスタントを含むキリスト教徒の人口が最も多い地域社会が、軍そして対抗勢力の戦いで最も大きな被害に遭っており、司祭や信徒たちが最も苦しんでいる。この地域ではすでに15以上の教会や修道院が破壊され、聖具などの備品が略奪されたりしています。国軍は、反政府武装勢力の力を弱めるために、地域社会の基盤を破壊することに重点を置いています。教会は国軍、反政府勢力のいずれの武力も支持しません。一貫して和解を求めてきました。若者たちが、教会の姿勢に失望していることは理解していますが、指導者や戦略がない複数の武装集団について強く懸念しています。組織化されていない人民防衛軍(PDF)が明確な目的なしに活動している地域では、軍による残忍な報復的攻撃で数千人の市民が犠牲になっています。

 

VN: ミャンマーのこのような現状の中で、復活祭のアピールを出すことが必要とお考えですか?

枢機卿: イエスがろばに乗ってエルサレムに入られた時、弟子たちが大歓声をあげたのを見たファリサイ派の人々から、彼らを黙らせるように求められたのに対して、イエスは「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう」と言われました。おっしゃる通り、アピールはあります。しかし、ウクライナにおける戦争が世界中の耳目を集めている時に、ミャンマーで同じ犯罪が行われ、同じ破壊のためのロシア製の武器が使われているとしても、私たちのアピールを世界の人々が聴いてくれる人がいるでしょうか。

 私たちのアピールの第一は、平和の実現です。そして、もう沢山だ!と言うことです。殺害と非道な残虐行為をやめよ!と。それ以上に、食糧、避難所、医療を切実に必要としている人々への助けを求めています。主要な人道援助機関はミャンマーにありますが、支援を必要とする人々へのアクセスが確保されていません。 世界食糧基金、国際赤十字、国連人権高等弁務官事務所は、援助を必要とする人々の所に行くのを妨げられています。少なくとも、人道支援が行われる道の確保が必要です。私たちカトリック教会は、私たち自身の人的・物的資源を使って、困窮した人たちを助けようとしています。

 ただ、カトリックの国際人道援助機関、カリタス・インターナショナルがウクライナに最大の関心を払うことで、他の地域の紛争の犠牲になっている人たちを助けることができなくなるのを心配しています。

 

VN: ミャンマーの政治危機は、大きな避難民の波をもたらしています。政治指導者たちにどのようなメッセージを伝えられますか?

枢機卿: メッセージを出すのは、本来、彼らの方です。私たちが耳を傾けねばならない人たちは政権を追われました。十字架の道を引かれていく途中、イエスは、ご自分に付いて来るエルサレムの女性たちに振り向いて、話しかけられました。私たちは、女性たちと同じことをせねばなりません。世界中が聞くべき、イエスのメッセージを聴くことです。最新の国連の報告によると、すでに故郷を追われた37万人に加えて、新たに52万人が避難民となっている、ということです。彼らは世界の指導者たちへのメッセージを持っています。先日、私は避難民の話を聞くためにカヤ州に行きました。治安や時間の制限があり、直接会えたのは、わずか数人でしたが、彼らに伝えたい私のメッセージは、彼らから話を聴き、苦しみを理解し、彼らに何が起こったのかについて説明を受けたい、ということです。

*ミャンマーの教会、一人ではない

Q:あらゆる困難にもかかわらず、あなたに希望を与えるものはありますか?

枢機卿: 私たちが現実的であるなら、希望の兆候を見つけるのは簡単ではありません。国軍の力と断固たる姿勢を考えれば、速やかで、容易な解決策や救済策はありません。でも、ミャンマーの人々は過去70年もの間、国軍の支配の下で、生き抜き、生き残っています。年配の人々は、現在起きていることが以前に経験したどれよりも酷いものであるにもかかわらず、何が起こっているかを認識しています。人々は嘘にだまされません。私の希望の1つの源は、人々の回復力と常識です。生き残るために、人々は零細事業に目を向け、廃品のプラスチックや金属を集めて商売する人もいれば、小さな屋台を出して生き残り必要な稼ぎを得る人もいます。

 キリスト教徒として、私たちは十字架の愚かさの深い神秘に希望を見い出します。すべての人々は、「自分を救ってみよ」とイエスを嘲りましたー自分で十字架から降りろ、というのです。そうした中で、イエスと共にはりつけにされた犯罪人のうちの1人だけが、イエスが別の救いをもたらされることを見分けました。私たちは、この犯罪人の信仰を分かち合うよう招かれています。イエスの弟子であることは、私たちに死を免れさせるのではなく、私たちに日々、死ぬことを求めています。私たちにとって、迫害と不正義は、あまりにも現実的すぎる現実です。

VN:アジア司教協議会連盟(FABC)の会長として、アジア地域全体の困難な状況をご覧になって、前向きな兆候があるとすれば何でしょうか?

枢機卿: 独裁政権下にある、あるいは自由が制限されているのは、アジア地域で、ミャンマー教会だけではありません。イエスは弟子たちに、社会のパン種となり、社会の中で生き、自分たちの人生と教えによって、影響を与えるように、求められました。イエスの弟子たちは、自由が制限されているアジア地域の状況の中でも、それを続けています。フィリピンと東ティモールを除くFABC加盟国の大半は、教会は少数派です。それでも、教会はその数以上に重要であり、特に信徒たちが職員が教育、医療、社会福祉に従事することができる場合には重要です。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2022年4月14日