・「人間らしいコミュニケーションを」-5月5日「世界広報の日」に菊地大司教

2024年5月 4日 (土) 週刊大司教第165回:復活節第六主日B

 連休中ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。私はいつものように執務室で、原稿を書いております。休みのうちに書いておかないと、締め切りや行事に間に合わないものですから、休日で誰もいない教区本部の執務室は、書き物をするのに最適な空間です。

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 先日、駐日ガーナ大使であるジェネヴィーブ・エドナ・アパロ大使(写真右)が、教区本部を訪れてくださいました。大使はカトリック信徒でもあり、様々な分野に話は及びましたが、本題は、私が今年の8月にガーナの神言会から司祭叙階式の司式を依頼されており、8月10日前後に一週間ほどガーナを訪問する予定となっていますので、その訪問についての話でした。8月10日に叙階する新司祭の中に、私がかつて主任司祭を務めていた教会の出身者がおり、叙階式を行い、その翌日には出身教会のオソンソン、つまり私が昔いた教会での初ミサに参加することになりました。

 なお、もしこの機会にガーナを訪れたい、という方がおられましたら、近日中に同行旅行団の募集が信徒の運営する旅行会社パラダイスさんから呼びかけられる予定です。日程は8月6日夜発、8月14日夕方帰着の予定で、現地での宿泊は主に教会関係の黙想の家などになり、普段の巡礼旅行のようなホテル利用ではありません。その旨ご承知おきください。

 以下、4日午後6時配信の週刊大司教第165回、復活節第六主日のメッセージ原稿です。なおメッセージも触れている世界広報の日の教皇様のメッセージは、こちらのリンクから、中央協議会のホームページでご覧ください。

【復活節第6主日B 2024年5月5日】

 「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ」と述べる主イエスは、私たちが自分の知識や好みに従って信仰を築き上げるのではなく、イエス御自身が望まれることを具体的に成し遂げるように、と求めておられます。信仰は、私たちの都合で作り出す創作物ではなく、具体的に生きておられる主によって与えられるものです。

 イエスは福音で、「あなた方が出かけて行って実を結び、その実が残るように」、私たちが「互いに愛し」合うことを命じておられます。バーチャルな世界でならまだしも、現実の世界で一人で愛し合うことはできません。「愛し合いなさい」という命令は、具体的に人と関わることを私たちに求めています。ですから教会は、人と人との交わりによる共同体を基礎としているのです。

 「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」と呼びかける使徒ヨハネは、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに」なったところに、神の愛が示されている、と強調します。すなわち、神の愛は、御子が十字架の上でその身を捧げられたほどの、命がけの愛であります。その愛によって生かされているのだから、私たちも、口先ではなく、「命がけ」で愛に生きるように、とヨハネは語ります。

 「隣人を愛する。友を愛する」と口にするのは簡単です。ひたすら優しくなれば良いというのは、残念ながら思い違いです。単に優しくなることを意味してはいません。イエスが語る「愛」の意味は、イエス御自身が目に見える形で実行された、その行動にあります。十字架です。すべての人の罪を背負い十字架上で命を捧げる。まさしく、命がけの愛であります。それが神の愛の本質です。それは単なる優しさではありません。

 さて教会は、復活節第六主日を「世界広報の日」と定めています。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画、インターネットなどの広報媒体を用いて行う宣教について、教会全体で考え、振り返り、祈り、献金を捧げる日です。この日にあたり教皇フランシスコは、「AIと心の知恵:真に人間らしいコミュニケーションのために」というメッセージを発表されています。今年の正月の世界平和の日のメッセージについで、教皇は一般的に広く受け入れられつつあるAIの課題について触れています。

 教皇は「技術は豊かでも人間らしさは希薄なこの時代にあっては、人間の心だけが私たちの考察の起点となります」と記し、機械とは無縁な人間の心の知恵の重要さを説きます。その上で教皇は、「取り上げるべきは、機械に人間らしさを要求することではありません。全能という妄想によって陥った催眠状態から人を目覚めさせることなのです。自分は完全に自律した自己言及的な主体で、社会的つながりとは無縁だとして、被造物としての己を顧みない思い込みから目を覚まさせることです」と記されます。

 「私たちは、人間性において、そして人間として、共に成長するよう求められて」いると指摘される教皇は、神の知恵を求めながら、人間らしいコミュニケーションを取ることの必要性を説いておられます。

 私たちにとっても、「自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語り、そしてまさしくその言葉を実行した主イエスと、具体的に現実の中で出会うことが、信仰を豊かにし、また人生を豊かなものとすることでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2024年5月4日