(菊地大司教の日記 2023年4月 9日)
2023年復活徹夜祭@東京カテドラル
主のご復活、おめでとうございます。
8日本日午後7時からの、東京カテドラル聖マリア大聖堂での復活徹夜祭では、25名の方が洗礼を受けられました。おめでとうございます。また転会の方もあり、成人の受洗者と一緒に堅信を受けられました。心からお慶び申しあげます。
皆様の教会ではいかがでしたでしょうか。
毎年多くの方が洗礼を受けられますが、いつまで経っても聖堂がパンクすることはありません。確かに健康や年齢のために教会に足を運ぶことができなくなる方もおられるでしょうし、帰天された方もおられたでしょう。しかし、いつの間にか足が遠のいてしまう方がおられるのも事実です。時に「教会での様々なレベルでの人間関係がその要因だ」というお話しを伺って、残念に思うことがあります。
信仰生活は独りで孤独のうちに歩むのではなく、共同体で歩むものです。一緒に支える信仰です。と言っても、すべての人が同じように、例えば教会の活動に参加できるわけではないですし、「グループ活動はちょっと」と感じられる方もいるでしょう。共同体の絆は信仰における絆であって、具体的な活動によって生み出されるものではないと思うのですが、「それではどうするのか」と問われると、明確な答えを持っていません。「同じ信仰によって結び合わされているのだ」という確信が、お互いの心に芽生えるような教会共同体のあり方を、模索していきたいと思います。
以下、8日夜の東京カテドラル聖マリア大聖堂における復活徹夜祭の説教原稿です。
【聖土曜日復活徹夜祭 東京カテドラル聖マリア大聖堂 2023年4月8日】
皆さん、御復活、おめでとうございます。
復活徹夜祭は、小さなロウソクの光で始まりました。暗闇に光り輝く小さな炎は、私たちの希望の光です。すべてを照らして輝く太陽のような巨大な光ではなく、小さなロウソクの炎です。キリストがもたらす新しい命への希望は、その小さな炎にあります。暗闇が深ければ深いほど、たとえ小さな光であっても、その炎は不安をかき消す希望の力を秘めています。
希望は、キリストがもたらす新しい命への希望です。暗闇の中で復活のロウソクの光を囲み、復活された主がここにおられることを心に留め、主によって新しい命に招かれ、主によって生きる希望を与えられ、主によって生かされていることを、改めて思い起こします。
復活のロウソクにともされた小さな光は、「キリストの光」という呼びかけの声と共に、この聖堂の暗闇の中に集まっているすべての人に、分け与えられていきました。復活のロウソクにともされた、たった一つの小さな炎は、ここに集う多くの人のロウソクに分け与えられ、一つ一つは小さいものの、全体としては、聖堂を照らす光となりました。
私たちは復活の命の希望の光を、兄弟姉妹と分かち合い、共にその光を掲げることで、皆で暗闇を照らす光となります。教会が呼びかける連帯の意味はそこにあります。
死に打ち勝って復活された主イエスは、新しい命への希望を、私たちに与えています。私たちは孤独のうちに閉じ籠ることなく、連帯の絆をすべての人へとつなげていき、死を打ち砕き、命の希望を与えられるキリストの光を、一緒になってこの社会の現実の中で高く掲げたいと思います。教会は、命を生きる希望の光を掲げる存在です。絶望や悲しみを掲げる存在ではなく、希望と喜びを掲げる存在です。
今夜、このミサの中で、洗礼と初聖体と堅信の秘跡を受けられる方々がおられます。キリスト教の入信の秘跡は、洗礼と聖体と堅信の秘跡を受けることによって完結します。ですから、その三つの秘跡を受ける方々は、いわば完成した信仰者、成熟した信仰者となるはずであります。どうでしょうか。大人の信仰者として教会に迎え入れられるのですから、成熟した大人としてのそれなりの果たすべき責任があります。それは一体なんでしょうか。
先ほど朗読されたローマ人への手紙においてパウロは、洗礼を受けた者がキリストと共に新しい命に生きるために、その死にもあずかるのだ、と強調されています。そしてパウロは、「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるため」に洗礼を受けるのだ、と指摘しています。洗礼を受けた私たちには、キリストとともに、新しい命の道を歩む務めがあります。
先ほど朗読された出エジプト記には、モーセに対して語られた神の言葉が記してありました。
「なぜ、私に向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」
モーセに導かれて奴隷状態から逃れようとしたイスラエルの民は、エジプトのファラオの強大な権力の前で恐怖にとらわれ、希望を失い、助けを求めて叫ぶばかりでありました。そこで神は、モーセに、行動を促します。「前進せよ」と求めます。しかも、ただ闇雲に前進するのではなく、「神ご自身が先頭に立って切り開く道を、勇気を持って歩め」と命じておられます。
復活の出来事を記す福音書は、復活されたイエスの言葉をこう記しています。
「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい」
イエスを失った弟子たちは、落胆と、不安と、恐れにとらわれ、希望を失っていたことでしょう。力強いリーダーが突然いなくなったのですから、ぼうぜんと立ちすくんでいたのかも知れません。
恐れと不安にとらわれ、前に向かって歩むことを忘れた弟子たちに対して、「立ち上がり、ガリラヤへと旅立て」とイエスは告げます。立ち止まるのではなく、前進することを求めます。行動するようにと促します。ガリラヤは新しい命を生きる希望の原点です。最初にイエスが福音を告げ、弟子たちを呼び出したのはガリラヤでした。自らが教え諭した原点に立ち返り、「そこから改めて旅路を歩み始めるように」と弟子たちに命じています。
主の死と復活にあずかる私たちに求められているのは、行動することです。前進することです。何もせずに安住の地にとどまるのではなく、新たな挑戦へと旅立つことです。そして苦難の中にあって闇雲に進むのではなく、先頭に立つ主への揺らぐことのない信頼を持ち、主が約束された聖霊の導きを共に識別しながら、御父に向かってまっすぐに進む道を見いだし、勇気を持って歩み続けることであります。
とは言え、一人で旅路を歩むのは心細いものです。本当にそれが正しい道なのかどうか、分からないときも、しばしばでしょう。ですから私たちは、共にこの道を歩みます。教会は共同体であり、私たちは信仰の旅路を、共同体として共に歩みます。一人孤独のうちに歩むのではなく、互いに助け合いながら、歩み続けます。
ちょうど今、教会は、シノドスの道を歩んでいます。そのテーマは「共に歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」と定められています。シノドスは信仰の旅路の刷新を目指します。東京教区では、集まることが難しい中、定期的にビデオを作成し、公開していますが、ご覧になったことはありますでしょうか。
一つ一つは短いものですので、是非ご覧になって、何人かの方々とその内容についてご自分の思いを話し合い、分かち合う機会を持ってくだされば、と願っています。「互いに信仰を深め、進むべき方向性の指針を再確認し、助け合い、支え合いながら、信仰の旅路を共にに歩み続ける教会となること」が目的です。
シノドスの歩みを共にすることで、洗礼と堅信によって与えられた信仰者としての責務を、共に助け合いながら連帯のうちに果たす道を見いだしましょう。その歩みの中で、交わりを深め、ともに参加し、福音を告げる共同体へと豊かになる道を模索していきましょう。東京教区の宣教司牧方針の三つの柱、すなわち、「宣教する共同体」、「交わりの共同体」、「すべての命を大切にする共同体」の実現のために、福音を告げ知らせ、証しする道を共に歩み、暗闇の中に希望の光を燦然と輝かせる教会を実現していきましょう。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教、日本カトリック司教協議会会長)
(編集「カトリック・あい」=表記を原則として当用漢字表記に統一させていただきました)