8月5日の午後には、広島教区が主催する平和行事に参加し、共にミサの中で平和を祈りました。これについては別途記載します。以下、5日午後6時配信の、週刊大司教第136回目のメッセージ原稿です。
【主の変容の主日A 2023年8月6日】
主の変容の主日にあたり、マタイ福音はイエスがペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネの眼前で栄光を示された出来事を記します。神の栄光に包み込まれたペトロは、あまりの驚きに何を言っているのか分からないまま、そこに仮小屋を三つ建てることを提案した、と福音は伝えます。ペトロはその栄光の中にとどまり続けたかったのでしょう。
しかしイエスは、さらなる困難に向けて前進を続けます。モーセとエリヤは律法と預言書、すなわち旧約聖書を象徴する存在です。それは神とイスラエルの民との契約であり、神に選ばれた民の生きる規範でありました。響き渡る神の声は、「これは私の愛する子。これに聞け」と告げます。つまり、イエスは旧約を凌駕する新しい契約であり、イエスに従う者にとっての生きる規範であることを、神ご自身が明確に宣言されたのです。
ペトロはその手紙の中で、「私たちは、巧みな作り話を用いたわけではありません」と強調し、キリストの栄光に触れた時、どれほど心を動かされたのか、を強調します。ペトロが伝えたいことの原点は、変容を目の当たりにした時に、彼の心を揺さぶった驚きでありました。私たちは主イエスとの出会いに、心を揺さぶられたことがあるでしょうか。この人生の中で、どのような出会いに心を揺さぶられたことでしょうか。
教会は今日から10日間を、平和を想い、平和を願い、平和の実現のために行動するように呼びかける平和旬間と定めています。
広島と長崎の日にはじまり終戦の日まで続く10日間は、抽象的な出来事ではなく、そこに1人ひとりの人間の心が揺さぶられた実体験の、積み重ねの10日間です。そしてその10日間にとどまるのではなく、原爆投下と終戦に至るまでの沖縄や南太平洋や中国や朝鮮半島を含めた人間の争いが生んだ悲劇の積み重ねと、いまに至るまで平和を確立することができずにいる中での多くの人の心の思いという、具体的な出来事の積み重ねでもあります。
私たちは抽象的に平和を語るのではなく、神が愛してやまない賜物である一人ひとりの命が、今、危機に直面している事実を心に刻み、その一人ひとりの体験に心を揺さぶられながら、平和を語らずにはいられません。
平和を語ることは、戦争につながる様々な動きに抗う姿勢を取り続けることでもあり、同時に人間の尊厳を危機にさらし、命を暴力的に奪おうとする、すべての行動に抗うことでもあります。平和旬間にあたり、命の創造主が愛と慈しみそのものであることに思いをはせ、私たちもその愛と慈しみを社会の中に実現することができるように、祈り、行動していきましょう。
(編集「カトリック・あい」)