☩「武器が轟く地にあっても、あなたがたはイエスの証人だ」-『世界奉献生活の日』のミサで修道者たちへ

(2026.2.2 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

2026年2月3日

(評論)教皇レオ14世の教理省総会参加者への発言で、教理省は”初期設定”にリセットされた(CRUX)

(2026.2.1 Crux   Christopher R. Altieri |Senior Editor for News and Affairs)

2026年2月2日

☩「神は、世が”絶望的”と見なす人々にも希望をお与えになる」教皇、年間第4主日の正午の祈りで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年2月1日

☩「『オリンピック休戦』は古代ギリシャに遡る伝統、尊重を求める」教皇、冬季オリンピックを前に

An Olympic athlete competes in a women’s downhill race  (AFP or licensors)
(2026.2.1  Vatican News   Devin Watkins)

  2月6日に開幕する冬季オリンピックを前に、教皇レオ14世は1日の正午の祈りに続けて、ロシア・ウクライナなど紛争中の国々に、古くからの伝統である「オリンピック休戦」を尊重するよう訴えられた。

 教皇は「オリンピックとパラリンピックは兄弟愛の重要なメッセージを体現し、平和な世界への希望を再燃させます。それが、『オリンピック休戦』の意義でもある。オリンピック開催に伴う非常に古い慣習です」と語られた。

 オリンピック休戦は紀元前776年の古代ギリシャに遡る伝統で、当時諸国は大会前と開催期間中に武器を置く慣習があった。教皇は「人々の間の平和を深く願う人々、そして権威ある立場にある人々が、この機会を利用して緊張緩和と対話模索に向けた具体的な行動を取ることを望む」と述べられた。

 冬季オリンピックは2月6日にイタリア北東部で開幕し、2月26日まで開催される。教皇はこれに先立つ、参加選手や関係者のためのコモ市でのミサなどにメッセージを送られ、「スポーツの真の価値-フェアプレー、尊重、チーム精神、犠牲、そして社会的包摂と出会いの喜び」と大切にするよう呼びかけれている。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月31日

☩「信仰の伝承の世代間”断絶”を、福音宣教の喜びを再発見する契機とすべきだ」教皇、バチカン教理省総会で出席者たちに

(2026.1.29 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は29日のバチカン教理省の総会での挨拶で、「『信仰の伝承』が、現代において極めて緊急の課題となっている」と指摘。カトリック信徒間の世代間伝承の「断絶」を、教会の命と使命の核心である「福音宣教の甘美で慰めとなる喜び」を再発見させる契機とすべきだ、と強調された。

 挨拶で教皇はまず、「皆さんが果たしておられる貴重な奉仕をよく認識しています」と述べられた。そして、教皇フランシスコが出されたバチカン改革のための使徒憲章「Praedicate Evangelium(福音を宣べ伝えよ)」に記されているように、教理省の人々の使命は「信仰と道徳に関するカトリックの教義の完全性を促進し、保護することにより、教皇と司教たちが全世界に福音を宣べ伝えるのを助けること」であり、教理省は「信仰の宝庫に依拠し、新たな疑問に直面しながらその理解を深めることで、その使命を果たします」と説かれた。

 さらに、「皆さんの任務は、しばしば極めて微妙な問題について司牧的・神学的指導を通して、教会の教義に関する明確な姿勢を提供することにあります」とされ、教理省が近年公表した文書に敬意を表しつつ、「こうした膨大な作業は、聖なる忠実な神の民の霊的成長に確かに大いに役立つことでしょう」と評価。

 「私たちが生きるこの大きな変革の時代において、あなたがたの作業は、特に歴史の舞台に現れる数多くの新たな現象に関して、信徒に教会からの時宜を得た明確な言葉を提供するものであり、司教たちが司牧活動を行う上での貴重な指針となり、神学者たちが研究と福音宣教の奉仕を行う上でも役立っています」とされたうえで、今総会が「現代において極めて緊急を要する課題である『信仰の伝承』」をテーマに、実りある議論を開始したことを特に高く評価された。

 

 続けて教皇は、「確かに、ここ数十年、カトリック信徒の間で、キリスト教信仰の世代間伝承に断絶が生じている事実は無視することができません。特に古くから福音化された地域では、福音をもはや自らの存在の根本的資源とは捉えない人々の数が増えており、特に若い世代においてそれが顕著になっています」と指摘。多くの若者が神や教会に関心をもたないまま人生を送っている現状を嘆きつつ、「これは私たち信徒に深い悲しみをもたらしていますが… キリストの花嫁である教会の生命と使命の核心にある『福音宣教の甘美で慰めとなる喜び』を再発見する契機とすべきです」と促された。

 そして、1月7日から8日にかけて開かれた臨時枢機卿会議で、枢機卿たちが「自己にのみ目を向けるのではなく、他者と向き合い、宣教的な教会を求める」ことを表明したことを取り上げ、また、前任者のベネディクト16世とフランシスコの両教皇が繰り返し強調されたように、何よりも「『魅力の力』によって福音を宣べ伝える教会」の必要性を改めて訴えられた。

 

 教皇はまた、キリストの体の生活の基盤は「御子において人間となられた父の愛であり、聖霊の賜物によって私たちの中に現存し働きかけている」と指摘しつつ、「それゆえ。人を惹きつけるのは教会ではなくキリストなのです… もしキリスト者や教会共同体が人を惹きつけるなら、それはその『導管』を通して、救い主の御心から湧き出る愛の生命の樹液が流れているからです」とされ、「教会は、自己主張や偏狭さを排して、キリストを宣べ伝え、各人は教会の中で常に自らを『主のぶどう畑における単純で謙虚な労働者』と認識せねばなりません」と諭された。

 

 挨拶の最後に教皇は、「もう一つの奉仕」について言及された。それは、「バチカンの各省が管轄する犯罪事件に対処するよう召された司教や総長たちを、あらゆる厚意と判断をもって迎え入れ、伴走するという、私が感謝をもってあなたがたの配慮に委ねる奉仕」であり、「これは、司牧活動の中でも極めて繊細な領域であり、正義と真実と慈愛の要求が常に尊重され守られることが不可欠です」と強調された。

 そして、前任者たちが教理省および教会全体に「特に謙虚で控えめな形で」貢献したことに改めて感謝を表明し、使徒的祝福を授けられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
2026年1月30日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」④「神の啓示に関する教義憲章」-神の言葉は私たちの存在の指針

(2026.1.28  Vatican News  Isabella H. de Carvalho)

 教皇レオ14世は28日のすよう恒例一般謁見で「第二バチカン公会議を学び直す」をテーマにした連続講話をお続けになり、前回に続いて公会議の「神の啓示に関する教義憲章『神の言葉』」を取り上げ、「『神の言葉』という『預託物』は、今も教会の手に委ねられており、私たち一人ひとりがそれぞれの教会における職務において、その完全性を守り続けなければなりません。それは複雑な歴史と存在の旅路における私たちの羅針盤なのです」と指摘。聖書と教会の伝統、「聖霊による福音の生きた伝承との密接な関係」を強調された。

 そして、「神の言葉は、”化石化”したものではなく、伝統の中で発展し成長する生きた有機的な現実。聖霊の助けをもって伝統は神の言葉の真理の豊かさを理解し、歴史という移り変わる座標の中でそれを体現するのです」と述べられた。

*伝統と聖書は同じ源泉から湧き出る

 そのうえで教皇は「キリストが発した言葉と、それが何世紀にもわたって伝えられてきたこととの密接な結びつき」を説明するため、福音書の二つの場面を引用された。一つ目は、イエスが死の直前に最後の晩餐の場で弟子たちに語りかけ、「あなたがたは主から聖霊を受け、その聖霊があなたがたを『すべての真理へと導く』」と告げた場面。二つ目は、復活したキリストが弟子たちに御自身を示し、「すべての民を弟子としなさい…私があなたがたに命じたすべてのことを守るように教えなさい」と命じた場面だ。

 教皇は教義憲章の第9項を引用、第二バチカン公会議が聖書と伝統の密接な関係を「両者は同じ神の泉から流れ出て、ある意味で一つの統一へと融合し、同じ目的へ向かう」と説明している点に注目して、「教会の伝統は、神の言葉を保存し、解釈し、体現する教会を通じて歴史の中で枝分かれしていくのです」と語られ、「聖書は、文書や記録というよりも、主に教会の心の中に記されています」とされて、「カトリック教会のカテキズム」113項を引き合いに出された。

*教会はすべての世代に信仰を継承する

 さらに教皇は、「使徒たちから受け継がれた伝統が、聖霊の助けによって教会の中で発展していくこと」に注意を向けられた、「これは『信者たちによる黙想と研究』を通じ、『彼らが経験する霊的現実の深い理解』によって、そして何よりも『確かな真理の賜物』を受けた使徒たちの後継者たちによる宣教によって、完全な理解をもって実現されるのです」と説かれ、再び教義憲章を引用する形で、「要するに、『教会は、その教え、生活、礼拝において、教会そのものの存在、教会が信じるすべてを、あらゆる世代に永続させ、引き継いでいく』のです」と述べられた。

 「神の言葉」の生ける次元と伝統との関係を説明するため、教皇は教会博士である聖ジョン・ヘンリー・ニューマンの言葉を引用された―「キリスト教は、共同体の経験としても、教義としても、イエスご自身が種子のたとえで示されたように、内なる生命力によって発展する生ける現実である」と。

*神の言葉の聖なる預託

 教皇はさらに、教義憲章が、「聖伝と聖書は、教会に託された神の言葉の聖なる預託を成すものであり、その解釈は、イエス・キリストの名において権威を行使する教会の生ける教導職によってなされる」と指摘している点を強調。「『預託』という言葉は、預託を受けた者がその内容、すなわち信仰を守り、そのままの形で伝えるべきであることを意味します」として、教会とそのすべての成員に、そうするよう呼びかけられた。

 そして、教皇は、再び教義憲章を引用して講話を締めくくられた―聖書と伝統は「互いに結びつき、一体となっているため、一方が他方なしには存在し得ず、…聖霊の働きのもとで、共にまたそれぞれ独自の方法で、魂の救いに効果的に貢献する」と。

 

*講話の全文以下の通り。

第二バチカン公会議文書。第一部 教義憲章『神の言葉』。3. 唯一の聖なる預言。聖書と伝統の関係について。

 神の啓示に関する公会議憲章『神の言葉(Dei Verbum)』の朗読を続けまして、本日は聖書と伝統の関係について考察いたします。背景として二つの福音書の場面を取り上げましょう。最初の場面は、最後の晩餐の部屋で起こります。

 イエスは弟子たちに向けた偉大な遺言の説教の中で、こう宣言されました。

 「これらのことは、私がまだあなたがたと共にいる間に、あなたがたに話しておいたのです。しかし、父が私の名によってお遣わしになる助け主、すなわち聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い出させてくださいます。…真理の御霊が来られるとき、その方があなたがたをすべての真理に導いてくださいます」(ヨハネ14:25-26; 16:13)。

 第二の場面は、ガリラヤの丘へと私たちを導きます。復活されたイエスは、驚きと疑いを抱く弟子たちの前に現れ、こう告げられます。「だから、行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい…私があなたがたに命じたすべてのことを守るように教えなさい」(マタイ28:19-20)。これらの二つの場面において、キリストが語られた言葉と、それが世紀を超えて伝えられてきたこととの密接な結びつきが明らかです。

 これは第二バチカン公会議が象徴的な表現を用いて確認したことです。「聖伝と聖書の間には密接な結びつきと相互関係がある。両者は同じ神の泉から流れ出て、ある意味で一つの統一へと融合し、同じ目的へと向かうのである」(神の言葉、9)。教会の伝統は、神の言葉を保存し、解釈し、体現する教会を通じて歴史の中で広がっていきます。

 この点に関して、カトリック教会のカテキズム(113項参照)は、教父たちのモットーを引用しています。「聖書は、文書や記録というよりも、主に教会の心の中に記されている」。すなわち、聖なるテキストの中に記されているのです。

 上記のキリストの御言葉に照らして、公会議は「この使徒たちから受け継がれた伝統は、聖霊の助けによって教会の中で発展する」と断言しています(Dei Verbum, 8)。これは、「信者たちによる黙想と研究」を通じ、「彼らが経験する霊的現実に対する深い理解」によって、そして何よりも、「確かな真理の賜物」を受けた使徒たちの後継者たちによる宣教によって、完全に理解されることで実現します。要するに、「教会は、その教え、生活、礼拝において、教会そのもののあり方、教会が信じるすべてを、すべての世代に永続させ、伝えている」のです(同上)。

 この点に関して、聖グレゴリウス大教皇の次の表現は有名です。「聖書は、それを読む者とともに成長する」。[1] また聖アウグスティヌスは既にこう指摘していました。「聖書を通して展開される神の言葉はただ一つであり、多くの聖人の口を通して響く御言葉もただ一つである」と。[2] したがって神の御言葉は化石化されたものではなく、むしろ伝統の中で発展し成長する、生き生きとした有機的な現実なのです。聖霊の働きにより、伝統はその真理の豊かさを理解し、歴史の移り変わる座標の中でそれを体現するのです。

 また、教会の聖なる博士であるジョン・ヘンリー・ニューマンが『キリスト教教義の発展』と題する著作で示した提案は、非常に示唆に富んでいます。彼は、キリスト教は共同体の経験としても、教義としても、イエスご自身が種子のたとえ(マルコによる福音書4:26-29参照)で示されたように、内なる生命力によって発展する動的な現実であると断言しました。[3]

 使徒パウロは弟子であり協力者であるテモテに対し、繰り返しこう勧めています。「テモテよ、あなたに託されたものを守りなさい」(1テモテ6:20;参照 2テモテ1:12-14)。

 教義憲章『神の言葉』はこのパウロの言葉を反映し、次のように述べています。「聖伝と聖書は、教会に託された神の言葉の聖なる預託物(デポジット)を成すものであり、それは『イエス・キリストの名において権威を行使する、教会の生ける教導職』によって解釈される」(10項)。

 「預託」という言葉は、本来の意味において法的な性質を持ち、預託者に対して内容(この場合は信仰)を保存し、そのままの形で伝達する義務を課すものです。

 神の言葉の「預託」は、今日もなお教会の手に委ねられており、私たち一人ひとりは、それぞれの教会内的職務において、歴史と存在の複雑さを巡る旅路の指針として、その完全性を守り続けなければなりません。

 最後に、親愛なる皆様、聖書と伝統の相互関係を高らかに謳う『神の言葉』の言葉を改めて心に刻みましょう。そこでは「聖書と伝統は、互いに深く結びつき、切り離すことのできない関係にあり、聖霊の働きのもとで、それぞれ独自の方法で、魂の救いに効果的に貢献している」と述べられています(10項参照)。

 

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月28日

☩「いかなる民族にも、二度とジェノサイドの恐怖が降りかからないように」教皇、27日のホロコースト追悼の日を受けて

Pope Leo XIV at General Audience

(2026.1.28  Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は28日の水曜恒例一般謁見の締めくくりに前日の27日に記念された国際ホロコースト追悼の日を取り上げ、「相互尊重と公益」に基づく、偏見・抑圧・迫害のない「反ユダヤ主義のない世界」の実現を祈念された。

 ホロコーストが「数百万のユダヤ人とその他多くの人々に死をもたらした」とされた教皇は、「この痛ましい追悼の年次行事にあたって、私は全能の神に、反ユダヤ主義によって、ユダヤの人々、またいかなる人々に対する偏見、抑圧、迫害によっても刻印されない世界の賜物を求めます」と訴えられた。

 さらに国際社会への訴えを新たにされ、全ての人々に、「いかなる民族に対しても、虐殺という恐怖が再び解き放たれることがないように」と警戒を促し、「相互尊重と共通善に基づく社会が築かれるように」と呼びかけられた。

 前日27日のホロコースト追悼の日に当たって、教皇はご自身の@Pontifexアカウントで、「教会は、あらゆる形態の反ユダヤ主義に対する『Nostra Aetate ノストラ・アエターテ』宣言(1965年に第二バチカン公会議で公布されたキリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」)の揺るぎない立場に忠実であり続けます。教会は、民族、言語、国籍、宗教に基づくあらゆる差別や迫害を拒絶します」と言明されている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月28日

☩「平和のために声を上げよう、暴力でなく対話によって問題を解決すべきだ」教皇、中東情勢の緊張の中で記者団に

Pope Leo speaks to journalists at Castel Gandolfo (file photo)Pope Leo speaks to journalists at Castel Gandolfo (file photo) 
2026年1月28日

☩「私たちは一つ。全世界に福音を伝える共通の使命を果たし続けよう!」教皇、キリスト教一致週間締めくくりのキリスト教諸宗派の夕の祈りで

(2026.1.25 Vatican News   Isabella H. de Carvalho)

The ecumenical celebration at St Paul's Outside the Walls
The ecumenical celebration at St Paul’s Outside the Walls   (@Vatican Media)

 キリスト教一致祈祷週間の締めくくりとなる聖パウロの回心の祝日の25日、教皇レオ14世はローマの聖パウロ大聖堂で、聖公会、ギリシャ正教会、アルメニア使徒教会などキリスト教各派の代表と祈祷集会を持たれ、共に一致のための夕の祈りを捧げられた。

 教皇は挨拶で「私たちは一つ。すでに一つなのです」とキリスト教諸派が同じ信仰を共有していることを強調され、世界中に福音を伝える使命を共に継続するよう促された。

 このキリスト教一致祈祷週間は「キリスト教徒に福音宣教の使命への献身を思い起こさせる機会となるもの」と指摘された教皇は、「私たちの間の分裂は、キリストの光が輝くことを妨げることはないが、世界にその光を映すべき顔が輝きを失う原因となります」と述べられた。

 集会にはギリシャ正教のコンスタンティノープル総主教庁を代表してポリカルポス首都主教、アルメニア使徒教会のハジャグ・バルサミアン大主教、英国国教会のアンソニー・ボール司教など、様々なキリスト教教会の代表者が出席。バチカンのキリスト教一致推進省長官のクルト・コッホ枢機卿をはじめ、他のエキュメニカル団体や巡礼者も同席した。

*聖パウロは、すべてのキリスト教徒の使命における模範

 挨拶で教皇はまず、今年のキリスト教一致祈祷週間のテーマである聖パウロのエフェソの信徒への手紙の一節を取り上げ、「ここには、『一つ』という形容詞が繰り返し現れます。一つの体、一つの霊、一つの希望、一つの主、一つの信仰、一つの洗礼、一つの神です」とされ、「愛する兄弟姉妹の皆さん、この霊感に満ちた言葉が、私たちを深く感動させないことがあるでしょうか。これを聞くとき、私たちの心が燃え上がらないことがあるでしょうか」と問いかけ、「この言葉は、私たち神、イエス・キリスト、聖霊への同じ信仰を共有していることを強調するものです」と語られた。

 そして、キリスト教徒を迫害する者から、イエスの「燃えるような熱意をもって愛を宣べ伝える者」へと変えられた聖パウロの回心を取り上げ、今、夕の祈りを捧げているこの聖パウロ大聖堂が「自分自身の使命が全てのキリスト教徒と同じであることを思い起させる場。キリストを宣べ伝え、全ての人に彼への信頼を置くよう招かれる場になっている」と述べられた。

 教皇はまた、第二バチカン公会議の『教会憲章(Lumen Gentium)』で、「『すべての被造物に福音を宣べ伝えたい』という熱烈な願い」が表明され、福音宣教によって「教会の顔に輝いているキリストの光を、すべての人類にもたらす」と述べられていることを指摘され、「謙虚に、そして喜びをもって福音を世界に告げることは、すべてのキリスト教徒の共有の任務。『キリストを見よ!彼に近づけ!啓発し慰める彼の言葉を受け入れよ!』です」と強調された。

*ニカイア公会議と共同体の重要性を記念して

 

 続けて教皇は、昨年11月にトルコのイズニクで、ニカイア公会議1700周年を記念して他のキリスト教指導者たちと共に行ったキリスト教一致の祈りの集いを回想。「ニカイア信条が制定された、まさにその場所で共に唱和したことは、キリストにおける私たちの結束に対する深く忘れがたい証しでした」とされ、「聖が今日もなお、私たちの中に従順な心を発見し、現代の人々に一つの声で信仰を宣言できること』を願われた。

 さらに未来を見据える形で、2033年にキリストの受難・死・復活の2000周年を迎えることに言及され、「キリスト教一致へのシノダル(共働的)な実践をさらに発展させ、私たちが誰であり、何をなし、何を教えるかを互いに分かち合うことに尽力しましょう」とキリスト教各派に呼びかけられた。

 そして、教皇フランシスコの言葉を引用しつつ、「カトリック教会のシノダル(共働的)な歩みがキリスト教一致につながるものであり、その逆もまた然りです」と説かれ、2023年と2024年にバチカンで開催された「シノダリティ(共働性)』をテーマとした世界代表司教会議総会に、複数の兄弟であるキリスト教宗派の代表が参加したことを思い起しつつ、「このようなことが、互いのシノダル(共働的)な構造と伝統を相互に理解し合いながら共に成長するための道だ、と確信しています」と強調された。

*アルメニアの人々の勇気ある証し

 

 挨拶の最後に教皇は、今年のキリスト教一致祈願週間で使われた資料がアルメニア使徒教会と国内の地方教会によって作成されたことに言及。「深い感謝をもって、私たちは歴史を通じて示されたアルメニアの人々の勇気あるキリスト教的証しを記憶しています。その歴史において殉教は常に特徴的なものでした」と讃えた。

 そして、その証しの模範として、聖ネルセス・シュノルハリ(慈悲深き者)を取り上げ、「この聖なるカトリコスは、12世紀に教会の統一のために尽力され、そのエキュメニカルな献身において時代を先取りしていました… 私の尊い先任者である聖ヨハネ・パウロ二世が指摘されたように、聖ネルセスはまた、私たちがエキュメニカルな旅路において取るべき姿勢を教えています。『キリスト教徒は、戦略的優位性や政治的利益のためではなく、福音宣教のために、一致が不可欠であるという深い内面的確信を持たねばならない』ということです」と説かれた。

 さらに、「伝統によればアルメニアが最初のキリスト教国家でした。西暦301年に啓蒙者・聖グレゴリオスによってティリダテス王が洗礼を受けた後、救いの言葉を伝える勇敢な使徒たちが、イエス・キリストへの信仰を東欧と西欧に広めたのです」とその功績を称え、「福音の種がこの欧州大陸で、一致と正義と聖性という実を結び続け、全世界の諸国民と諸国家の平和のために役立つよう祈ります」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月26日

☩「戦闘継続は、公正で永続的な平和の機会をさらに遠ざけている」教皇、ロシアの対ウクライナ戦争の終結努力を改めて訴え

(2026.1.26  カトリック・あい)

 教皇レオ14世は、年間第3主日の正午の祈りの後で、間もなく5年目に入るロシアによるウクライナ侵略で、極寒の中で苦しみを味合わされ続けている現状を取り上げ、 「民間人への被害が深刻化する中での戦闘継続は、公正で永続的な平和の機会をさらに遠ざけている」と強く非難、戦争終結のための努力をさらに強めるよう関係国指導者たちに訴えられた。

 バチカン広報による発言の全文は以下の通り。

・・・・・・・・・・・・・

 ウクライナでは今なお、絶え間ない攻撃が続き、多くの人々が冬の寒さにさらされています。私はこの状況を悲しみをもって注視し、苦しむ方々に寄り添い、祈りを捧げています。民間人への被害が深刻化する中での戦闘継続は、人々の間の溝を広げ、公正で永続的な平和の機会をさらに遠ざけています。皆様に、この戦争を終結させるための努力を一層強化されるよう呼びかけます。

 (この正午の祈りに参加している)ローマのカトリック・アクションの若者たちと共に、平和のために祈りましょう。ウクライナで、中東で、そして残念ながら人々の利益ではない利害のために戦いが続いているあらゆる地域の平和のために。平和は、人々への敬意の上に築かれるのです!

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月25日

☩「イエスの最初の弟子たちのように、私たちも主の招きを喜びをもって受け入れよう」教皇、年間第三主日の正午の祈りで

(2026.1.25  カトリック・あい)

 教皇レオ14世は25日、年間第四主日の正午の祈りに先立ち、以下の説教をされた。バチカン広報発表の全文次の通り。

・・・・・・・・・・・

 兄弟姉妹の皆さん、幸せな日曜日を過ごされますように。

 イエスは洗礼を受けた後、説教を始め、ペトロと呼ばれるシモン、その兄弟アンドレ、そしてヤコブとヨハネを、最初のでき師として招かれました(マタイ福音書 4章12-22節 参照)。今日の福音書に記された場面についてより深く考察すると、私たちは二つの問いを頭に浮かべます。一つは、イエスの使命の時期について、もう一つは、イエスが説教と使徒たちの召命のために選んだ場所についてです。いつ始められたのか?どこで始められたのか?

 まず、福音書は、イエスが「ヨハネが捕らえられたと聞いた時」(同4節12節)に説教を始めた、と伝えています。つまり、イエスは、一見、不適切な時期に始めたことになります。洗礼者ヨハネが投獄されたばかりで、民の指導者たちはメシアの新たな使命を受け入れることに消極的でした。明らかに慎重さが求められる時でした。しかし、まさにこの暗闇の中で、イエスは福音の光をもたらし始められたのです。「天の国は近づいた」(同17節)と。

 私たちの人生においても、個人としても教会としても、内面の葛藤や不利と思われる状況が「福音を宣べ伝える時ではない」「決断を下す時ではない」「選択をする時ではない」「状況を変える時ではない」と思わせてしまうことがあります。そのようにして私たちは、決断できずに麻痺したり、過度の慎重さに囚われたりする危険にさらされます。ですが福音は、あえて「信頼する」ことを私たちに求めているのです。神は常に働いておられます。私たちが「準備ができていない」と感じる時や、状況が不利に見える時でさえ、あらゆる瞬間が「神の時」なのです。

 福音書はまた、イエスが公の使命を始めた具体的な場所についての洞察も与えてくれます。イエスは、「ナザレを出て、カファルナウムに住まわれた」(同13節)と記されています。そしてイエスは、ガリラヤに留まりました。ガリラヤは主に異教徒の地域でしたが、交易によって交差点と出会いの場へと変貌していました。多様な出自や宗教的背景を持つ人々が往来する、多文化地域と表現できるでしょう。

 この意味で福音書は、メシアがイスラエルで宣教を始められたにもかかわらず、国の境界を超え、すべての人に近づく神を宣べ伝えられたこと、を明らかにしています。その神は誰をも排除せず、「清い者」のためだけでなく、人間の状況や関係の複雑さの中に、完全に踏み込まれる方です。ですから、私たちキリスト者もまた、孤立への誘惑を克服しなければなりません。福音はあらゆる環境において宣べ伝えられ、実践されなければなりません。それはあらゆる個人、文化、宗教、民族の間における兄弟愛と平和の酵母として機能するのです。

 兄弟姉妹の皆さん、最初の弟子たちのように、私たちは主の招きを喜びをもって受け入れるよう招かれています。私たちの生活のあらゆる時と場所が、主の臨在と愛に満たされていることを知りながら。聖母マリアに祈りましょう。この内なる信頼を私たちに授け、私たちの旅路に同行してくださいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月25日

☩「カトリック教会の社会教説は平和的共存への道を示している」教皇、2026年欧州会議へのメッセージで

(2026.1.23 Vatican News  Devin Watkins)

     教皇レオ14世は23日にルクセンブルクで開かれたCentesimus Annus Pro Pontifice Foundation(CAPP=教皇レオ13世の社会回勅『レールム・ノヴァールム』発表100周年を記念して1991年に教皇ヨハネ・パウロ2世が発表した回勅『チェンテジムス・アンヌス』(Centesimus Annus、「100年」の意)にちなんで名付けられた、バチカンに関連する組織)主催の2026年欧州会議にメッセージを送られ、「カトリック教会の社会教説が、社会に真の尊重と平和的共存への道を示している」と強調された。

 メッセージで教皇は、今回の会議のテーマ「欧州における平和構築:カトリック社会思想と普遍的価値の役割は何か」への賛意を示され、「宗教が提唱する普遍的価値と公共の福祉への貢献について議論することを社会が拒む現代において、このテーマが特に重要です」とされ、「社会の抵抗は様々な理由から生じますが、根底にある危機は『相対主義の蔓延』と『真理が単なる意見に貶められること』です」と指摘。「どの大陸や共同体も、規範や価値観の基盤となる共通の真理なしに、平和に生き、繁栄することはできない」と言明。

 さらに教皇は、人間が神の姿に似せて創造されたことを想起され、聖ヨハネ・パウロ二世の回勅『Centesimus Annus』における言葉を引用し、「真理を知り、その真理に従って生きる、という自然かつ根本的な権利を尊重しなければ、真の進歩はありえません」と強調された。

 そして、カトリック教会の社会教説は、「自らを『道であり、真理であり、命』として示されたイエス・キリストの言葉と行いに根ざしています」と述べ、「教会の社会教導は、国境を越え、集団的利益と生き方の基盤を提供することによる平和的共存を可能にするため、多くのものを提供できます」と語られた。

 結論として、教皇は、今回の会議が「より平和で公正な欧州大陸の構築において、カトリック的価値観の役割を推進し、欧州にその深いキリスト教的ルーツを想起させる一助となること」に期待を表明された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月23日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」③「私たちは、神の愛する子、その愛から引き離されることはない」

(2026.1.21 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

    教皇レオ14世は21日の水曜恒例一般謁見で、第二バチカン公会議を学び直す連続講話で、前回に引き続き、『神の啓示に関する教義憲章(神の言葉=Dei Verbum)』を取り上げ、「イエスのおかげで、私たちキリスト教徒は父なる神を知り、確信をもって神に身を委ねます… 誰も、私たちをキリストの愛から引き離すことはできません」と説かれた。

 教皇は先週の講話で、この憲章を公会議の「最も素晴らしく、重要な文書の一つ」とされていた。21日の講話で教皇はまず、「神は、契約の対話の中でご自分を啓示され、友として語りかけられることを、私たちは学びました。これは単なる思想の伝達ではなく、歴史を共有し、相互の交わりを求める関係的な認識です」とされ、「啓示の成就は、神がご自身を私たちに与え、現存し、私たちが最も深い真実において知られていることを発見する、歴史的かつ個人的な出会いの中で起こります」と語られた。

 そして、「これは、イエス・キリストにおいて起こる… 教義憲章は、『神と人間の救いに関する最も深い真理は、すべての啓示の仲介者であり、充満であるキリストにおいて、私たちのために輝きを放つ」と記しています」と指摘された。

*キリストは父なる神を私たちに啓示される

 教皇はさらに、「イエスは、自らと父なる神との関係に私たちを巻き込むことで、父なる神を啓示されます。父なる神によって遣わされた御子において、人類は聖霊によって父なる神に近づき、神の性質にあずかることができる… そうして、私たちは、御子の父なる神との関係に入り、聖霊の働きによって、神についての完全な知識に到達するのです」と強調。

 「イエスのおかげで、私たちは、自分が神に知られているように、神を知る… キリストにおいて、神はご自分を私たちに伝え、同時に、御言葉の姿に造られた御子としての私たちの真のアイデンティティを明らかにされたのです」と重ねて強調された。

*隠れたところで見ておられる父が報いてくださる

 続けて教皇は、マタイ福音書を取り上げられた。そこではイエスが「隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださる… あなたの父は、あなたがたに必要なすべてのものを知っている」と語られている。

 「イエス・キリストこそが、私たちが父なる神の真実を認める場所です。そして、私たちは御子において子として神に知られ、完全な命という同じ運命に召されていることを発見するのです」と説かれた。

 次に教皇は、ガラテヤの信徒への手紙を引用する形で、「時が満ち、神は御子を遣わされた…それは私たちが子としての地位を得るためである。あなたがたが子であるゆえに、神は御子の霊を私たちの心に遣わされた。その霊は『アッバ、父よ!』と叫んでいます」と語られた。

*キリストにおける神を知るためには、その完全な人間性を受け入れる必要

 また教皇は、「御言葉が受肉し、人々の間に住まわれる方であるからこそ、イエスはご自身の真実で完全な人間性をもって神を私たちに示されます… キリストにおける神を知るためには、その完全な人間性を受け入れねばなりません」とされ、「神の真理は、人間性から何かを奪うところで完全に啓示されるのではありません。イエスの人間としての完全性が神の賜物の充満を減じることのないのと同じです。父なる神の真実を語るものは、イエスの完全な人間性なのです」と言明された。

*神の真理の伝達は、イエスの肉体において実現される

 さらに、「私たちを救い、集めるのは、イエスの死と復活だけではなく、その方そのもの。受肉し、生まれ、癒し、教え、苦しみ、死に、復活し、私たち間に留まる主そのものです」と強調。「もしイエスに実体のある肉体があるなら、神の真理の伝達は、その肉体において実現される。現実を認識し、感じる独自の方法、世界に存在し通り抜ける独自の方法をもって、です。このようにして、イエスご自身が、現実の認識を分かち合うよう、私たちを招いておられるです」と説かれた。

 講話の最後に、教皇は信者たちに対して、「イエスの道を最後まで歩むことで、何ものも神の愛から私たちを引き離すことができない、という確信に到達するのです」と言明され、聖パウロの言葉を再び引用して、「神が私たちと共におられるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう?」と念を押された。

*講話の全文以下の通り。

第二バチカン公会議文書集。第一巻 教義憲章『神の言葉』。2. イエス・キリストは父を啓示される

 本日は、神の啓示に関する第二バチカン公会議の教義憲章『神の言葉』についてのカテケージスを続けます。これまで見てきたように神は契約の対話においてご自身を啓示されます。そこでは神は友として私たちに語りかけられます。

 したがって、これは関係性に基づく知識であり、単なる思想の伝達にとどまらず、歴史を共有し、相互性における交わりを求めるものです。この啓示の完成は、歴史的かつ個人的な出会いの中で実現します。そこでは神ご自身が私たちに自らを捧げ、臨在を示され、私たちは自らの最も深い真実において知られていることを発見するのです。

 これはイエス・キリストにおいて起こる出来事です。文書は、神と人間の救いに関する最も深い真理が、私たちのためにキリストにおいて輝き出ていると述べています。キリストはすべての啓示の仲介者であり、その充満です(参照:DV, 2)。

 イエスは、ご自身と父との関係に私たちを巻き込むことによって、父を私たちに啓示されます。父なる神によって遣わされた御子において、「人は聖霊によって父に近づき、神の性質にあずかることができる」のです(同上.)。したがって、私たちは御霊の働きによって、御子が御父と結ばれている関係の中に入ることで、神についての完全な知識に到達します。

 このことは、例えば福音記者ルカが主の歓喜の祈りを記した箇所で証言されています。「父よ、天と地の主よ、感謝いたします。あなたはこれらのことを知恵ある者や賢い者から隠して、幼子たちに現わしてくださいました。父よ、まさにそれがあなたの慈しみ深い御心でした。父なる神は、すべてのものを私に委ねられました。父なる神が誰であるかを、子である私以外に知る者はおらず、また子である私が父なる神を明らかにしようとする者に、父なる神が誰であるかを示す者もいません」(ルカによる福音書10:21-22)。

 イエス様のおかげで、私たちは神様を知ることができ、また神様にも知られているのです(参照:ガラテヤ人への手紙4:9;コリントの信徒への手紙一13:13)。確かに、キリストにおいて、神様はご自身を私たちに伝え、同時に、御言葉の像に造られた神の子としての私たちの真のアイデンティティを明らかにしてくださいました。この「永遠の御言葉…はすべての人を照らします」(DV 4)。それは父の御目における人間の真実を明らかにするのです。

 「あなたがたの父は、隠れたところで見ておられ、報いてくださいます」(マタイ 6:4, 6, 18)とイエスは語り、さらに「あなたがたの父は、あなたがたに必要なすべてのものを知っておられます」(マタイ 6:32参照)と付け加えられました。イエス・キリストこそが、私たちが父なる神の真実を認める場所であり、同時に御子において御子として知られ、完全なる命という同じ運命へと招かれている自分自身を発見する場所です。

 聖パウロはこう記しています。「時が満ち、神は御子を遣わされました…それは私たちが子としての地位を受けるためです。そしてあなたがたが子であるゆえに、神は御子の霊を私たちの心に遣わされました。その霊は『アッバ、父よ!』と叫んでいるのです」(ガラテヤ4:4-6)。(ガラテヤ4:4-6)。

 最後に、イエス・キリストはご自身の人性をもって父を現わされます。まさに御言葉が人となって私たちの間に住まわれた方であるゆえに、イエスはご自身の真実で完全な人間性をもって神を私たちに示されるのです。「イエスを見ることは父を見ることに等しい」(ヨハネ14:9)。このゆえに、イエスは御自身を現し、御言葉と御業、しるしと奇跡、とりわけ死と死からの栄光の復活、そして真理の御霊の最終的な遣わしを通して、御自身の現存を確立し、啓示を完成させられました」(DV, 4)。

 キリストにおける神を知るためには、私たちはイエスの完全な人間性を受け入れなければなりません。神の真理は、人間性から何かを奪うところで完全に啓示されるのではありません。同様に、イエスの人間性の完全性は、神の賜物の豊かさを損なうものではありません。イエスの完全な人間性こそが、私たちに父なる神の真実を告げ知らせるのです(ヨハネ1:18参照)。

 私たちを救い、集いへと招くのは、イエスの死と復活だけではなく、その御人そのものです。すなわち、受肉し、生まれ、癒し、教え、苦しみ、死に、復活し、今も私たちと共にいてくださる主です。ゆえに、受肉の偉大さを称えるには、イエスを単なる知的真理の伝達経路と見なすだけでは不十分です。

 イエスが実体ある肉体を持つなら、神の真理の伝達は、その肉体において実現されるのです。現実を感知し感じる独自の方法をもって、この世に存在し、この世を通り抜ける独自の方法をもって。イエスご自身が、現実の認識を分かち合うよう私たちを招いておられます。「空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に蓄えもしない。それでも、天の父は彼らを養ってくださる。あなたがたは、彼らよりもはるかに尊いではないか」(マタイ6:26)。

 兄弟姉妹の皆さん、イエスの道を最後まで歩むことによって、私たちは、何ものも神の愛から私たちを引き離すことはできないという確信に至ります。「神が私たちのために働いてくださるなら、誰が私たちに敵対できましょうか」と聖パウロは再び記します。「ご自分の御子を惜しまず、私たちすべてのためにささげられた方が、どうして御子とともに、すべてのものを私たちに与えてくださらないことがあろうか」(ローマ8:31-32)。イエス様のおかげで、キリスト教徒は父なる神を知り、確信をもって神に身を委ねることができるのです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月22日

☩「国際的な緊張が高まり、人間の尊厳が失われる今、キリスト教徒が分裂を克服し、強固な一致の絆を築けるように」教皇、水曜恒例一般謁見で

Pope Leo XIV at General AudiencePope Leo XIV at General Audience  (@Vatican Media)

2026年1月21日

☩「私たちはキリスト教的な希望の使者としての使命を共に担っている」教皇、フィンランドのエキュメニカル使節を歓迎

教皇レオ14世とフィンランドのエキュメニカル使節 2026年1月19日 バチカン宮殿教皇レオ14世とフィンランドのエキュメニカル使節 2026年1月19日 バチカン宮殿  (@VATICAN MEDIA)

(2026.1.19  バチカン放送)

  教皇レオ14世が19日、フィンランドのエキュメニカル使節とバチカン宮殿でお会いになった。

 同使節のローマ訪問は、フィンランドの使徒、ウプサラの聖ヘンリック司教・殉教者の祝日(1月20日)を記念し、毎年行われているものだが、使節を歓迎された教皇は、18日からの「キリスト教一致祈祷週間」と重なるこの訪問を喜ばれた。

 教皇は挨拶で、今年の同祈祷週間のテーマ、「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」(エフェソの信徒への手紙4章4節)に言及。

 「人々が絶望感に誘惑されがちなこの時代に、私たちはキリスト教的な希望の使者としての重要な使命、すなわち、この世界の最も暗い隅々に主の光をもたらす使命を担っています」と語られた。

 そして、フィンランドのキリスト者の間にある多くの希望のしるしを称賛された教皇は、「お国が『エキュメニズムの模範国』と呼ばれていることを知り、大変うれしく思います」と述べられ、その一例として、ヘルシンキの司教たちが、正教会・ルーテル教会・カトリック教会の三者による共同声明の中で、「希望、尊厳、思いやりの文化」の促進を目指し、また「緩和ケアと終末ケアの発展は継続されなければならない」と共に表明していることを挙げられた。

 また、「聖ヘンリックの祝日を共に祝う、という古くからの伝統は、具体的かつ実り多いエキュメニズムの雄弁な証しです…これらのしるしは、来月始まるルーテル・カトリック国際対話の第6段階を励ますもの」とも指摘された。

 集いの最後に、教皇と使節団は、教皇が「キリストにおける私たちの友情の証し」と呼ぶ「主の祈り」を英語で共に唱えた。

(編集「カトリック・あい」)

2026年1月21日