☩「私たちも、『光』へ向かうように求められている」最初の殉教者、聖ステファノの祝日の正午の祈りで

教皇レオ14世 2025年12月26日のお告げのいのり教皇レオ14世 2025年12月26日のお告げのいのり  (ANSA)

(2025.12.26  バチカン放送)

 教皇レオ14世は26日、初代教会の助祭、教会の最初の殉教者聖ステファノの祝日に、正午の祈りの集いを持たれ、イエスにおいて啓示された神の愛を反映した、聖ステファノの姿をテーマに説教された。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日は聖ステファノの「誕生日」です。「人は一度だけ生まれるのではない」と確信していた初期のキリスト教徒たちは、そのように呼んでいました。殉教は、「天国における誕生」です。信仰の眼差しは、実際、死の中に闇だけを見ているわけではありません。

 私たちは自分で決めることなく、この世に生まれてきますが、その後、多くの経験の中で、常により意識的に「光」へ向かうように、「光」を選ぶように、求められていきます。

 使徒言行録は、ステファノが殉教に向かう姿を見た者たちが、彼の顔に輝く光と、その言葉に驚いた様子を語っています。

 「席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた」(使徒言行録6章15節)。それは、無関心に歴史から立ち去ることなく、むしろ愛をもってそれに立ち向かう者の顔です。ステファノの言動のすべては、イエスにおいて啓示された神の愛、私たちの闇に輝いた光を再現するものでした。

 親愛なる皆さん、神の御子が私たちの間にお生まれになったことは、私たちを「神の子」としての生き方へと、招くものです。それは、ベツレヘムの夜から、マリアや、ヨセフ、羊飼いたちのような謙遜な人々が体験した、一種の惹きつけられる動力によって可能となるのです。

 しかし、イエスとイエスのように生きる者たちの素晴らしさは、拒絶を受ける素晴らしさでもあります。まさにその惹きつける力こそが、自分の権力のために恐れを抱く者たち、心にある思いをあらわにする善によって自らの不正を暴かれた者たちの反発を最初から招いたのです( ルカ福音書2章35節参照)。

 それでも、今日まで、神の御業に勝る力など存在しません。世界のどこにでも、犠牲を払ってでも正義を選ぶ人々、自分の恐れよりも平和を優先する人々、自分自身にではなく、貧しい人に奉仕する人々が存在します。そうして希望は芽吹き、いかなる状況であろうと、「祝うこと」の意味が生まれるのです。

 現在の世界が抱える不確実性と苦悩の中で、喜びは不可能に見えるかもしれません。今日、平和を信じ、イエスや殉教者たちの非暴力の道を選んだ人々は、しばしば嘲笑され、公の議論の外に排除され、敵や反対者を助長していると非難されることさえあります。

 しかし、キリスト者に敵はいません。たとえ理解し合えなくても、彼らの兄弟姉妹であり続けます。主の降誕の神秘は、私たちに喜びをもたらします。それは、兄弟愛をすでに生き、自分のまわりの人々、敵の中にさえも、神の子としての消えることのない尊厳をすでに認めている人々の粘り強さから来る喜びです。

 それゆえに、ステファノは、イエスのように、赦しながら亡くなりました。それは武器の力よりも真実な力のためでした。それは、すべての人がすでに心に持っている、無償の力です。誰かが隣人をこれまでと違う目で見つめ、関心と認識を示すようになる時、再び目覚め、抗しがたい形で伝わり始める力です。そう、これこそが「再生」です。それは再び光へと戻ること、これこそが、私たちにとってのクリスマスなのです。

 さあ、マリアに祈り、マリアを観想しましょう。マリアは、命に仕え、横暴には、いたわりを、不信には、信仰をもって立ち向かうすべての女性たちの中で祝福されています。マリアが私たちをその同じ喜びへと導いてくださいますように。その喜びとは、太陽が雪を溶かすように、あらゆる恐れや脅威を溶かす喜びです。

(編集「カトリック・あい」)

2025年12月27日

☩「平和は、神の賜物であると同時に人類共有の責任」-教皇、主の降誕メッセージ「Uber et Orbi(全世界に向けて)」

A member of the Syrian Arab-Kurdish forces placing a cross in the rubble ahead of a Christmas celebration, Raqa, Syria, 2017A member of the Syrian Arab-Kurdish forces placing a cross in the rubble ahead of a Christmas celebration, Raqa, Syria, 2017  (AFP or licensors)

(2025.12.25  Vatican News   Francesca Merlo)

 

 

*紛争、暴力、災害に苦しむ人々に速やかに平和が訪れるように

 

 「レバノン、パレスチナ、イスラエル、シリアにおける正義、平和、安定」を祈り、正義に根ざした平和の約束が新たにされるよう訴えられ、特にウクライナに関して「武器の轟音が止むこと」を願われ、「国際社会の支援のもと、関係する全ての人が、誠実で率直かつ互いを尊重する対話に取り組む勇気を見出すように」と呼びかけられた。

 また、忘れ去られかねない紛争-スーダン、南スーダン、マリ、ブルキナファソ、コンゴ民主共和国における戦火と暴力-の犠牲者、そして不正義、政治的不安定、宗教的迫害、テロリズムによって苦しむすべての人々への寄り添いを表明された。

 教皇はハイチのためにも祈りを捧げ、暴力の終結と平和・和解への道程における進展を呼びかけられ、ミャンマーの平和を祈念され、特に若い世代に向けて、同国が和解と希望へと導かれるよう願われた。

 ラテンアメリカについても、政治的責任を担う人々に対し、「イデオロギーや党派の対立を克服し、共通の利益のための対話の場を設けるように」と促された。 また、タイとカンボジアの「古くからの友好関係」が取り戻されるよう祈られ、最近の自然災害で深刻な被害を受けた南アジアとオセアニアの人々を神に委ね、苦しむ人々への支援を新たに誓うよう、呼びかけられた。

 

 

*主の降誕の真の意味は「平和」 

 

 こうした紛争の背景を考える中で、教皇は、主の降誕の意味に信者たちの注意を向けられ、「今日、真の平和が天より私たちに降りてきました」と述べ、聖レオ大教皇の言葉を引用する形で、「主の降誕は平和の誕生です」と言明。

 「イエスが、宿屋に居場所がなかったため馬小屋で生まれたこと」「万物を創造された神の御子が歓迎されなかったこと」を思い起こされ、「私たちへの愛ゆえに、キリストは『貧しさ』と『拒絶』を受け入れ、見捨てられ、排除された者たちと同じ立場に立たれたのです」と説かれた。

 そして、「イエスの降誕において、すでに、神の御子の生涯全体を導く根本的な決断の片鱗が見えます… それは、私たちを罪の重荷の下に置き去りにせず、自らその重荷を負う、という決断です」と指摘。しかし、「平和には、人間も責任を負う必要があります… 聖アウグスティヌスが語っているように、『私たち無しに、私たちを創造された神』が、『私たち無しに、私たちを救うこと』はありません。責任こそが、平和への確かな道なのです」と強調された。

 

 

*キリストが人類を罪から解放するゆえの「平和」

 

 教皇は続けて、「キリストが人類を罪から解放され、対人関係であれ、国際的であれ、あらゆる紛争を克服する道を示してくださるゆえに、キリストこそが平和なのです… 赦された心をもたずに、平和の人、平和の建設者となることは不可能です」と信者たちに注意された。

 そして、「イエスが人となられたことで、私たちの弱さを自ら引き受けられ、今日の苦しむ人々―ガザの住民、イエメンの人々、難民や移民、失業者、搾取される労働者、非人道的な環境で暮らす囚人たち―と一体となられたこと」に注意を向けられ、人々の無関心を戒め、「神は、私たちの苦しみに対して無関心ではありません」と世界に向けて言明された。

 

 

*常に開かれている扉 

 

 「希望の聖年」が終わりに近づき、聖なる扉が閉じられようとする中、教皇は希望に満ちた最後のメッセージを贈られた。「私たちの希望であるキリストは、常に私たちと共におられます… キリストこそが、『常に開かれている扉』であり、『裁くためでなく、救うために来られたのです」。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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和訳全文以下の通り(2025.12.25 バチカン放送)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 「主を喜び祝おう。私たちの救い主がこの世にお生まれになった。今日、真の平和が天から私たちのところに降りて来られた」(主の降誕の夜半のミサの入祭唱)。主の降誕の夜、典礼はこのように歌い、ベツレヘムの知らせが教会に響き渡ります。おとめマリアから生まれた御子は、罪と死から私たちを救うために御父から遣わされた主キリストです。御子は私たちの平和です。御子は神の慈しみの愛をもって、憎しみと敵意に打ち勝ったお方です。それゆえに「主の降誕とは、平和の降誕」(大聖レオ、説教26項)なのです。

 イエスは馬小屋でお生まれになりました。宿屋にはイエスのための場所がなかったからでした。生まれたばかりのイエスを、母マリアは「布でくるんで飼い葉桶に寝かせ」ました(ルカ福音書2章7節参照)。万物を創造された神の御子は受け入れてさえもらえず、その揺りかごは動物たちのための貧しい飼い葉桶でした。

 天も収めきれない、父なる神の永遠の御言葉は、このようにこの世に来ることを選ばれました。愛のために、女性から生まれ、私たちの人間性を分かち合うことを望まれました。愛ゆえに、貧しさと拒絶を受け入れられ、見捨てられ疎外された人々と同じ立場をとられました。

 イエスの降誕には、その十字架上の死に至るまで、神の御子の全生涯を貫く、根本的な選択がすでに浮かび上がっています。それは、「私たちに罪の重荷を負わせず、私たちのためにご自身がその重荷を負い、引き受けられる」という選択です。これは、御子だけが成し得ることでした。しかし同時に、イエスはこれに対し、私たちだけができることして、それぞれが自らの責任を担うということを示されました。

 そうです。私たちを、私たちなしで創造された神は、私たちなしでは、私たちを救うことができません( 聖アウグスティヌス、説教169、11.13参照)。すなわち、「愛する」という私たちの自由な意志がなければ、私たちを救うことができないのです。愛さない者は救われず、失われます。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません(ヨハネの手紙1‣4章20節)。

 姉妹、兄弟の皆さん、これが平和への道です。それはすなわち、「責任」です。私たち一人ひとりが、あらゆる面において、他者を非難する代わりに、まず自分の欠点を認め、神に赦しを願うと同時に、苦しむ人の立場に立ち、より弱い、抑圧された人々と連帯するなら、世界は変わることでしょう。

 イエス・キリストは、私たちの平和です。それは、まず何よりも、私たちを罪から解放してくださるからです。そして、個人間から国際間に至るまでの、あらゆる紛争を克服するために、進むべき道を示してくださるからです。罪から解放された心、赦された心なしには、平和の人、平和の構築者になることはできません。そのために、イエスはベツレヘムでお生まれになり、十字架上で死なれたのです。それは、私たちを罪から解放するためでした。イエスは救い主です。その恵みによって、私たちそれぞれが、憎しみや、暴力、対立を退け、対話と、平和、和解を実践するために、各自の役割を果たすことができ、また果たさねばなりません。

 この祭日、すべてのキリスト者の方々、特に中東で暮らす方々に、温かい、父としてのご挨拶を贈りたいと思います。私は初めての司牧訪問で中東の方々にお会いすることを望んでいました。私はこれらの人々の不安に耳を傾け、自らを超える権力の動向を前にした彼らの無力感をよく知っています。今日、ベツレヘムで生まれた幼子は、「私によって平和を得なさい。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節)と言われるイエス、そのお方です。

 レバノン、パレスチナ、イスラエル、シリアのために、正義と平和と安定をイエスに祈りましょう。そして、「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である」(イザヤ書32章17節)という、神のこの御言葉に信頼しましょう。

 平和の君に、全ヨーロッパ大陸を委ねましょう。キリスト教のルーツと歴史に忠実に、助けを必要とする人々に連帯と受容を示す、共同体的・協力的精神を、これからもヨーロッパに醸し続けてくださいますように。特に苦しむウクライナの人々のために祈りましょう。武器の轟音が止み、当事者らが国際社会の支援のもとに、誠実で率直な、尊重ある対話のための勇気を見出すことができますように。

 世界で進行中のあらゆる戦争、特に忘れられた戦争の被害者たちのために、また、不正や、政情不安、宗教的迫害、テロリズムに苦しむすべての人々のために、ベツレヘムの幼子に平和となぐさめを祈りましょう。特にスーダン、南スーダン、マリ、ブルキナファソ、コンゴ民主共和国の兄弟姉妹たちを思い起こしたいと思います。

 希望の聖年の最後のこの数日間、人となられた神に、愛するハイチの人々のために祈りましょう。同国であらゆる形の暴力が収まり、平和と和解の道を進むことができますように。

 幼子イエスが、ラテンアメリカで政治責任を担う人々に霊的な促しを与えてくださいますように。そして、多くの課題を前に、イデオロギーや党派的な偏見ではなく、共通善のための対話の場がもたらされますように。

 平和の君に、ミャンマーに和解の未来を光で照らし出してくださるようにと願いましょう。若い世代に希望を再び与え、ビルマのすべての人々を平和の道へと導き、家も安全も明日の信頼もない人々を見守ってくださいますように。

 タイとカンボジアの間に古くからの友好が回復され、当事者同士が和解と平和の努力を続けるよう、主に祈りましょう。

 また、猛威を振るった最近の自然災害により深刻な被害を受けた南アジアとオセアニアの人々を主に託しましょう。これらの試練を前に、苦しむ人々の救済におけるわたしたちの共通の努力を確信と共に新たにするよう、皆さんに呼びかけたいと思います。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、夜の闇の中で、「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ福音書1章9節)がこの世にやって来られました。しかしこのお方をご自分の「民は受け入れなかった」のです(同11節)。苦しむ人々に対して、無関心に負けてはいけません。なぜなら、神は私たちの悲惨さに無関心ではないからです。 

 人となられたイエスは、私たちの弱さを自らに引き受けられ、私たち一人ひとりと一つになられます。ガザの住民のように、何も持たず、すべてを失った人々と。イエメンの人々のように、飢餓と貧困の犠牲者たちと。故郷から逃れ、未来を他の場所に求めて、地中海を渡る、あるいはアメリカ大陸を横切る、多くの難民や移民たちと。就職のために苦労する多くの若者たちのように、失業中の人々や求職中の人々と。低賃金で働くあまりにも多くの労働者のように、搾取された人々と、刑務所にいて、しばしば非人道的な状況下で生きる人々と。

 神の御心には、あらゆる地から上る平和への祈りが届きます。そうした祈りを、ある詩人はこう書いています。

「停戦の平和ではない、
 狼と子羊のようなビジョンでもない、
 むしろ
 昂りがおさまり
 深い疲労だけが残った時の心の中のような平和。
 […]
 野の花のように
 不意に、訪れよ。
 野がそれを求めるから、
 野生の平和を」。
 (イェフダ・アミハイ)

 この聖なる日、困窮し、苦しむ兄弟姉妹たちに心を開きましょう。そうすることで、私たちは、両手を広げて私たちを迎えられ、その神性を私たちに開いてくださる幼子イエスに心を開くのです。「言(ことば)は、自分を受け入れた人々に神の子となる資格を与えた」( ヨハネ福音書1章12節)。

 あと数日で、聖年が終了します。聖なる扉は閉じられても、私たちの希望であるキリストは、いつも私たちと共におられます。キリストは、私たちを神のいのちに導く、常に開かれた扉です。今日、喜びの知らせが告げられました。お生まれになった御子は、人となられた神です。御子は裁くためではなく、救うために来られます。イエスがおいでになるのは、つかの間のためではありません。イエスは、留まり、自らを捧げるために来られます。主において、あらゆる傷はいやされ、あらゆる心は安息と平和を見出します。「主の降誕は、平和の降誕です」。

 皆さんに、平安な聖なる降誕祭を心よりお祈り申し上げます。

(編集「カトリック・あい」)

2025年12月25日

☩「新たな日を迎えた!私たちも新たな始まりの一部。平和は現実であり、すでにあなた方の間にある」ー主の降誕の日中ミサで

Pope Leo XIV during his Christmas Day MassPope Leo XIV during his Christmas Day Mass

2025年12月25日

☩「信仰と慈愛と希望の祝祭ー主のご降誕の喜びを告げ知らせよう!」ー教皇、主の降誕夜半ミサで

(2025.12.24  Vatican News)

 24日、聖ペトロ大聖堂で行われた主の降誕の祝日の夜半ミサで、教皇レオ14世は、信者たちに「ご降誕の喜びを告げ知らせ、信仰と慈愛と希望の祝祭として祝うように」と促された。

 教皇はミサ中の説教で、ルカによる福音書に記されている、夜空を照らし世界の人々を驚かせた輝く星、「新たに灯され、命の輝きを放つ火花」を思い起こされて、語られた。

 「暗闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た。深い闇の地に住んでいた者たちの上に、光が輝いた。今日、ダビデの町に、救い主、すなわちメシア、主がお生まれになりました… 時と空間の中へ、私たちのただ中へ―私たち無しには存在し得ないお方が来られます。私たちのために御自身の命を捧げられる方が、私たちの間に住まわれ、救いの光をもって夜をお照らしになります。この星が照らさない闇は存在しません。その光によって、すべての人類が新たに、永遠の命の夜明けを仰ぎ見るのです」。

2025.12.24 Santa Messa della Notte di Natale

 

私たちの間に住まわれる神

 

 そして、「イエスの誕生で、神は、私たちを『あらゆる罪から贖い、ご自身の民を清める』ために、ご自身そのものを与えてくださいました… そして、救い主を見つけるために、飼い葉桶の中にいる神を見出すために、私たちの足元を見なければなりません」とされ、「神の全能は、幼子の無力さの中に輝き、永遠の御言葉の雄弁さは、幼子の生まれて初めての泣き声に響き渡り、聖霊の聖性は、洗われ、おくるみに包まれた小さな身体に光を放つのです」と語られた。

 教皇はさらに、「この幼子が必要とする慈しみは、父の子がすべての兄弟姉妹と共に歴史を分かち合うからこそ、神聖なものとなります… イエスから発せられるこの神聖な光が、あらゆる新たな生命の中に人間性を認める助けとなる… 私たちの盲目さを癒すために、主は、世界の創造の時から始まった愛の計画に従い、ご自身の真の姿を表す全ての人の中に自らを現すことを選ばれた。ベネディクト16世教皇が語られているように、人に場所を与えるなら、そこには神の場所もあるのです」と説かれた。

幼子イエスにおける新たな命

 

 続けて教皇は、神が幼子イエスをめぐる、私たちを惹きつける愛の物語の中で、「世界に新たな命、すなわちご自身の命を与える『ご降誕の知恵』に畏敬の念を抱くように。神は、人々の期待に応え、希望の言葉となる幼子を遣わされます。貧しい人々の苦しみに直面し、再び立ち上がる力となる無防備な者を遣わされます。暴力と抑圧の前に、この世のすべての子らを救いで照らす優しい光を灯されます… 神は私たちと同じ姿となり、あらゆる人の無限の尊厳を明らかにされるのです」と強調。

 そして、「これは、他者を支配するために”神”になろうとする人間が存在する世界とは、対照的です。キリストの御心には

、天と地、創造主と被造物を結ぶ愛の絆が脈打っている。この現実を認識することが、私たちの歴史を変え、神の慈悲と愛の光を輝かせる鍵なのです」と語られた。

喜びは咲き誇り、人生は変わる

 

また教皇は、昨年この日に聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を開き聖年開始を宣言したフランシスコ教皇の言葉を引用する形で、「イエスの降誕は、『希望が失われた場所に、希望をもたらす』という『賜物と使命』を私たちに再び燃え立たせます。なぜなら『イエスと共に喜びは咲き誇り、イエスと共に人生は変わり、イエスと共に希望は裏切られない』からです」と言明された。

 

主のご降誕の喜びを分かち合う

 

 説教の最後に教皇は、信者たちに「信仰と愛と希望の祝祭である主のご降誕の喜びを体験し、分かち合うように。信仰において『神が、処女から生まれ人となられる姿』を見出し、愛においては『贖いの御子の賜物が兄弟愛による自己献身において実現されること』を体験するのです。 そして私たちは主のご降誕の希望を

祝います。それは、幼子イエスが私たちの内に光を灯し、私たちを平和の使徒としてくださるからです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月25日

☩教皇、「ウクライナ、ガザ… 全世界で24時間の”クリスマス休戦”」を呼びかけ

(2025.12.23   Vatican News) 

*ロシアがウクライナへの攻撃をクリスマスの24時間止めるように

 

 

2025年12月24日

☩「『分裂の亡霊』に揺さぶられ、厳格主義やイデオロギーの犠牲にならないように」教皇、バチカンの枢機卿、諸機関責任者との降誕祭前の挨拶交換で

(2025.12.22 バチカン放送)

 教皇レオ14世が22日、枢機卿やバチカン諸機関の責任者たちに、降誕祭前の挨拶の交換をされた。 降誕祭を控えたこの時期に、教皇が、日頃の協力者であるバチカンで働く枢機卿をはじめ高位聖職者、教皇庁諸機関の責任者らと挨拶交換を行うことが恒例となっている。

 「祝福の間」で行われたこの集いでは、枢機卿団主席、ジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿が、一同を代表してレオ14世に挨拶。これを受ける形で、教皇は就任後初めて迎える降誕祭前のこの集いで、協力者らへの感謝と共に、教会のさらなる宣教性と一致を励ます言葉をおくられた。

 挨拶の冒頭で教皇は、今年帰天された前任者フランシスコ教皇を偲ばれ、「故教皇の預言的な声、司牧の姿勢、豊かな教えは、近年の教会の歩みを特徴づけると共に、神の慈しみを中心に据え、福音宣教を推進させ、喜びに満ちた、すべての人を温かく迎え、最も貧しい人々に寄り添う教会となるように、私たちを励ましてくれした」と振り返られた。

 そして、故教皇の使徒的勧告『福音の喜び』を取り上げ、教会活動の基礎にある二つの側面として、「宣教」と「一致」を提示。「教会は、神の愛の福音をすべての人に伝えるために、キリストから聖霊の賜物を受けており、外へ、世界へと向かうその性質のために、本来宣教的な存在です」と話された。

 さらに、この使徒的勧告は、「教会の宣教的変革を励ましながら、その教会の尽きることのない力を、『行きなさい』という、復活されたキリストの派遣の呼びかけの中に見ています… 教会のこの外へと向かう使命は、神ご自身がまず、私たちに向かって歩み寄られ、キリストにおいて、私たちを探しに来られたことから生じているのです」とされ、「最初の偉大な『脱出』は、私たちに会いに来られるためにご自分から外に出られた、神ご自身のそれであり、主の降誕の神秘は、御子の使命がこの世への来臨にあることを告げています」と指摘。

 「こうして、イエスの地上での使命は、聖霊によって、教会の使命の中に引き継がれ、私たちの信仰生活はもとより、教皇庁の仕事の識別の基準になっているのです」と強調された。

 そして、「私たちは皆、キリストの使命に参与するよう招かれており、教皇庁の仕事もまた、この精神から活力を得て、地方教会とその牧者たちに奉仕するための、司牧的配慮を促進しなければなりません…通常の運営だけでなく、今日の教会的、司牧的、社会的挑戦に目を向けた、宣教的な教皇庁が必要とされているのです」と説かれた。

 同時に、教皇は、教会生活において、「宣教」と密接に結びつくもう一つの側面、すなわち「一致」の重要性に目を向けられ、「降誕祭は、イエスが御父である神の真の御顔を、私たちに啓示するために来られたことを思い起させます… それは、私たち皆が神の子となり、そしてそれによって互いに兄弟姉妹となるためでした」とされたうえで、「この『一致』という課題は、教会の中において、また外において、これまでになく重要となっています。教会内の一致は、常に私たちの回心を求める課題であり続けます」と言明。

 そして、「しばしば表面的な平穏さの陰で、『分裂の亡霊』がうごめき、私たちを二つの極端な傾向、すなわち、『違いを活かさずに、すべてを画一化』するか、あるいは反対に、『一致を追求せずに、多様性や様々な見解を過度に強調』するかの間で、揺れ動く誘惑に陥らせます」とされ、「これらによって厳格主義やイデオロギーの犠牲とならないように」と警告された。

 さらに、「私たちはキリストの教会、その肢体、その体です。私たちはキリストにおいて兄弟姉妹です。多様で、異なっていても、キリストにおいて一つなのです… 教皇庁において、キリストの交わりの構築者として、皆がそれぞれの賜物と役割に応じて、同じ使命に協力し合い、共に歩む教会を形作ることが求められているのです」と強調された。

 一方で、教皇はこの「一致」が教会の外で、すなわち、不和や、暴力、紛争に傷ついた世界、攻撃性や怒りの増加を目の当たりにする世界においての「平和のしるし」ともなり得る、と指摘。 「教皇庁の仕事、教会全体の活動を、この広い視野の中で考えるようにしましょう… 私たちは『自分の菜園の世話をする小さな庭師』ではなく、神の御国の弟子、証人として、キリストにおいて、様々な民族、宗教、あらゆる言語や文化を持つ人々の間で『普遍的な兄弟愛のパン種』となるよう召されているのです」と訴えられた。

 「『宣教』と『一致』は、キリストを再び中心に据えることで可能となります。今年の聖年は、キリストだけが決して失われることのない希望だ、ということを私たちに思い起させてくれました」と振り返られた教皇は、「まさにこの聖年に、キリスト者たちを信仰の根源に立ち返らせるニケア(ニカイア)公会議開催1700周年と、キリストを見つめ、教会を強固にし、現代人の喜びや希望、悲しみや苦悩に耳を傾けながら、教会を世界との出会いへと押し出した第二バチカン公会議閉幕60周年が記念されたこと」にも言及。

 聖パウロ6世の使徒的勧告『福音宣教(Evangelii Nuntiandi)』でも強調されている「宣教」と「一致」の重要性を改めて示された教皇は、「一人ひとりの働きは、全体にとって重要であること、一致において表されるキリスト者としての生き方の証しこそが、私たちが捧げられる最も重要で最も偉大な奉仕であること」を、教皇庁での奉仕においても忘れないように、と参加者たちに強く求められた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年12月23日

☩「世界のすべての子供たちが平和に暮らせるように、一緒に祈ろう!」教皇、待降節第4主日の正午の祈りで

(2025.12.21 Vatican News )

   教皇レオ14世は待降節第四主日の21日の正午の祈りに先立つ説教で、聖ヨセフの姿を振り返り、彼が実践した敬虔と慈しみ、愛と信頼の徳に注意を向けられ、「これらは心を養い、キリストと兄弟姉妹との出会いを促します。救い主の誕生を待つ今、私たちは『受け入れの飼い葉桶』、『もてなしの家』、『神の臨在のしるし』となり、世界のすべての子供たちが平和に暮らすことができるように」と願われた。

2025.12.21 Angelus

*ヨセフの美徳-敬虔と慈しみ、愛と信頼-に倣おう

 説教で教皇は、ヨセフが天使からマリアに起こっている神秘を告げられる以前から、彼女を慈しみ、「控えめで愛に満ちた道」を選んだことを指摘された。

 ヨセフは神の救いの計画を告げる夢を見た時、主がメシアの母なる処女の配偶者として果たすべき役割を示されたことで、「彼の感情の純粋さと高潔さはさらに際立つものとなりました。ヨセフは大きな信仰の行為をもって、自らの安全の最後の拠り所さえも離れ、今や完全に神の手に委ねられた未来へと船出したのです」と強調。

 そして、「敬虔と慈しみ、愛と信頼-今日の典礼で読まれた福音が示すヨセフの美徳は、待降節の終わりから降誕祭へ向かうこの時、私たちを導きます。これらはキリストと兄弟姉妹に出会う心を育む重要な姿勢だ。互いにとって、受け入れの飼い葉桶となり、もてなしの家となり、神の臨在のしるしとなる助けになるでしょう」と説かれた。

*私たちは、聖母マリアと聖ヨセフの助けを得られると確信する

 教皇は「この恵みの時」にヨセフの模範に従い、彼の行いを実践するように、と信者たちに勧められ、「共に生きる者や出会う者たちに、赦しを与え、励まし、小さな希望を与えること。そして祈りの中で、主とその摂理への子としての委ねを新たにし、全てを信頼して彼に託すことが必要です… 私たちは、聖母マリアと聖ヨセフの助けを得られる、と確信できる。二人は、信仰と大きな愛をもって、世界の救い主イエスを最初に迎え入れた者たちだからです」と述べられた。

*すべての人が聖なる平和なクリスマスを迎えられますように

 続けて教皇は、聖ペトロ広場に集まった人々、特にローマの1500人以上の子供たち、そしてスペインや香港から来た人々を歓迎された。ローマの子どもたちは、教皇に祝福してもらうために持参した幼子イエスの像―イタリアで「バンビネッリ」と呼ばれる―を教皇にお見せした。これらの像はその後、家庭や学校、教区、礼拝堂のキリスト降誕のシーンに飾られる。

 彼らに教皇は、「愛する子供たち、あなたがたがキリスト降誕のシーンの前に立つとき、どうか教皇の私の意向のためにもイエスさまに祈ってください。特に世界のすべての子供たちが平和に暮らせるよう、一緒に祈りましょう。この『バンビネッリ』と幼子イエスへの信仰の証しとともに、父と子と聖霊が、いつもあなたがたを祝福してくださいますように。全ての人が幸せな日曜日と、聖なる平和なクリスマスを迎えることができますように!」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月22日

☩「『希望の聖年』が終わりを迎えても、私たちは『希望の巡礼者』であり続ける」教皇、最後の聖年特別謁見で

2025.11.23 Santa Messa per il Giubileo dei Cori e delle Corali

*歴史は、神と、神に希望を置く者の手に委ねられている

 

さらに教皇は、「苦しみさえも、信仰の中で新たな意味を持ちます」とされ、「それは『産みの苦しみの苦しみ』となります。神は創造を続け、希望に支えられた人間は、その創造の業に協力するように、召されているのです。歴史は、神と、神に希望を置く人々の手に委ねられているのです」と言明。

関連して、キリスト教の祈りの「マリア的側面」について考察され、「ナザレのマリアを、命を与える希望の生ける象徴」として示され、「皆さんは、彼女の中に、自分と同じ存在でありながら『生み出す者』、すなわち、神の御言葉に顔と体と声を与えた者を、見るのです」と語られた。

そして、「イエスは再び生まれようとしておられます。御身に肉体と声を与えられます。これこそが、私たち被造物が待ち望む誕生、です」とされ、「希望するとは、この世界が神の世界となるのを見ることなのです」と締めくくられた

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月20日

☩「”武器を持たず、武装を解く”平和に向けて」ー教皇の2026年1月1日「世界平和の日」メッセージ全文試訳

(2025.12.19  カトリック・あい)

 バチカン報道局が18日、教皇レオ14世が2026年1月1日「世界平和の日」に出されるメッセージ「”武装せず、武装解除する”平和に向けて」の全文を発表した。全文の「カトリック・あい」試訳は以下の通り。

 

 

 

 

2025年12月19日

☩「キリストの到来に心の準備を、慌ただしさに惑わされないように」ー教皇、ご降誕を前に各国語で信徒たちに助言

The Pope in St. Peter's Square during the General Audience The Pope in St. Peter’s Square during the General Audience   (@Vatican Media)

(2025.12.17  Vatican News    Isabella H. de Carvalho)

 17日の水曜恒例一般謁見で、教皇レオ14世は言語ごとの信徒たちへの挨拶で、「待降節は、『準備し、祈り、省察する時』として重要であり、そうすることで、私たちは、クリスマスにキリストの誕生を迎えることができる」と強調された。

 教皇はまず、英語圏の信徒たちに向けて、「あなたがた一人ひとりと家族の皆さんが、神の子にして世界の救い主である新生児イエスの到来に備え、祝福に満ちた待降節を経験されるよう、祈ります」と語られた。

*キリスト降誕の場面の模型はクリスマスの重要な一部

 続けてイタリア語圏の信徒たちには、「クリスマスまであと数日となりました。皆さんの家庭では、キリスト降誕の神秘を象徴的に表現した降誕場面の模型が完成間近か、あるいは既に完成していることでしょう」とされ、バチカンはでは15日から、聖ペトロ広場とパウロ6世ホールにキリスト降誕の場面の模型が設けられているが、「信仰だけでなく、キリスト教文化や芸術においても重要なこの模型が、『人となって私たちの間に住まわれたイエス』を記憶するクリスマスの一部であり続けることを願います」と希望された。

*慌ただしい準備に囚われないように

 またフランス語圏の信徒たちへの挨拶では、クリスマスまであと一週間となった今、「この祝祭を深く生きるように、他の事柄に気を取られないように」と呼びかけられ、「祝祭の準備の慌ただしい動きに巻き込まれて表面的な体験に終わり、失望の余地を残すことのないよう注意しましょう。イエスの到来を待つ間、心を注意深く、警戒する時間をつくり、その愛に満ちた存在が、永遠に私たちの暮らしと心の宝となるようにしましょう」と呼びかけられた。

 ドイツ語圏の巡礼者たちに対しては、「待降節は、ためらいなくイエスを迎え入れることでクリスマスを準備するように、と招いています。イエスは私たちの希望。喜びをもって、誕生の祭りを待ち、確信を持って、『主イエスよ、来てください』と、共に祈りましょう」と招かれた。

 

*黙想と祈りでキリストの到来を迎えるように

 ポーランド語を使う信徒たちへは、「待降節の最後の日々を瞑想と祈りの時とし、告解の秘跡や霊的黙想を通して、キリストの到来に備えるように」と求められた。

 ポルトガル語圏の信徒たちへの挨拶では、「16日に始まった降誕までの9日間の祈りが伝統となっている地域もありますが、そうした祈りが、すべての人にとって、心を軽くし、間もなく訪れる神の御子の誕生に備える新たな機会となる。希望の聖母が、この霊的取り組みにおいてあなたがたと共に歩み、常にあなたがたとご家族を守ってくださいますように」と祈られた。

 そして、アラビア語圏の巡礼者たちに対しては、「キリスト教徒は神の愛と隣人愛に心を開くよう召されています。そうすることで真の平和と喜びに満たされるのです」と強く説かれた。

〇年内の一般謁見の日程

 水曜の一般謁見は、24日はクリスマスイブのため行われない。年末の31日に行われる。大みそかに一般謁見が行われたのは、50年前の1975年、聖パウロ6世教皇の時代以来だ。なお、20日土曜日には、聖年特別謁見が行われる予定だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月18日

☩「世界中で恐怖を植え付け続けるあらゆる形の反ユダヤ主義に断固として反対する」-教皇、イスラエル大統領との電話会談で言明

シドニー近郊のビーチで起きた銃撃事件の犠牲者のために捧げられた花やろうそく 2025年12月16日 オーストラリア・シドニーシドニー近郊のビーチで起きた銃撃事件の犠牲者のために捧げられた花やろうそく 2025年12月16日 オーストラリア・シドニー  (REUTERS/Hollie Adams)

 (2025.12.17 Vatican News  )

   教皇レオ14世は、シドニーでの最近のユダヤ人コミュニティに対するテロ攻撃を受け、イスラエルのイサアク・ヘルツォーク大統領から電話を受けられ、「カトリック教会があらゆる形態の反ユダヤ主義を非難する立場」を改めて表明された。

 バチカン報道局によると、この電話会談は、オーストラリア・シドニーで現地時間14日夕、ユダヤ人コミュニティが受けたテロ攻撃を受けて行われたもので、教皇は、「世界中で、ユダヤ人コミュニティや社会全体に恐怖を植え付け続けているあらゆる形態の反ユダヤ主義を、カトリック教会は断固として非難する」と繰り返し述べられた。

 また、教皇は「現在行われているさまざまな和平プロセスを粘り強く継続すること」を改めて呼びかけ、「人道支援の分野における取り組みを強化し、継続することの緊急性」を強調され。

 シドニーでは現地時間14日夕、2人の男が、ユダヤ教の祝祭「ハヌカ」の期間中にボンディビーチで開催されたイベントを標的に、15人を殺害、25人に負傷させた。

 翌日、教皇レオは、バチカンのクリスマスツリーとキリスト降誕のシーンを寄贈した団体と面会し、テロ攻撃の犠牲者に祈りを捧げられた。 そして、 「こうした反ユダヤ主義的な暴力は、もうたくさんだ!私たちは、心の中から憎しみを排除しなければならない」と訴えられ、現地に哀悼の意を伝える電報を送り、「すべてのオーストラリア人に平和と力の神の祝福があらんことを」と祈りを捧げられている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月18日

◎教皇聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」㉔「”スピード”の現代にあっても、焦点は『イエスの復活とそれが日常生活に与える影響』に」

Pope Leo opens his weekly General Audience with the Sign of the CrossPope Leo opens his weekly General Audience with the Sign of the Cross  (@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月17日

☩「世界に平和と愛、一致を宣言するために貢献して」ー教皇、小学校のクリスマスコンサートに参加

Pope Leo and the children at the Paul VI Primary School in Castel GandolfoPope Leo and the children at the Paul VI Primary School in Castel Gandolfo 

コンサートの終わりに教皇があいさつされ、「イタリア語、ラテン語、英語、スペイン語でクリスマスソングを聴くことができ、とても素晴らしかった。皆さんが様々な言語で歌うのを聞くことで、クリスマスがすべての人の心に喜びと平和をもたらすことを、誰もが理解できます… 招待を受けてよかったです」と全員にお礼を述べられた。

演奏された歌の一つに「愛をもたらす天使」という歌詞があった。教皇は「皆さん自身が、音楽を通して、愛をもたらしました」とされ、「聖アウグスティヌスの『愛する者は歌う』という言葉があります。愛は、心に真に大切なものを理解させるからです」と語られた。

そして、「神は、私たち皆に『愛の賜物を伝えたい』と願っておられます。それがクリスマスです」と、神が人類、特に最も小さく、最も弱い者たちに寄り添うことを強調された。さらに、「クリスマスに祝われるこの精神が、この日々だけでなく、一年を通して実践することを希望します」と語られ、別の歌の歌詞を引用し、「私たちにとって、これは素晴らしい招待です。世界に平和と愛、そして一致を宣言するために、さらなる貢献をしてください」と願われた。

あいさつの最後に、教皇は子供たちとその家族を祝福され、「共に祈り、心を開いて、特に幼い子どもたちの中に神の存在を認めるよう二」と促された。

このあと、教皇はテニスラケットと学校の制服を贈られ、児童たちと記念撮影をされた。

 

 

教皇パウロ6世学校について

カステル・ガンドルフォにある教皇庁立パウロ6世学校は、ヴィラ・バルベリーニから約700メートルのところにあるカトリックの小学校です。教皇パウロ6世は地域社会への贈り物としてこの学校の建設を決められ、1968年9月12日に教皇自ら開校式を行われた。式典で教皇は、子供と若者たちにとってのカトリック教育の重要性を強調された。 現在、この学校は約 300 人の児童生徒を受け入れており、スポーツ、音楽、外国語、公民教育、食育などの課外活動を充実させた、カトリックの原則に基づいた教育プログラムを提供している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月17日

☩「福音宣教の最前線で忠実さと勇気をもって証しするシスターたちに感謝!」-創立60周年の国際女子修道会総長連合(UISG)へ書簡

UISG file photo  (Vatican Media)

UISG file photo

「奉献生活、変革をもたらす希望」のドキュメンタリーを発表

 

ウーナ・オシェー会長は声明で、「60年前、UISGは、人々を一つにし、耳を傾け、交わりを築くために設立されました。今日、私たちは、未来を見据え、新たな地平に開かれながら、絶えず進化を続ける歴史を祝います」と述べ、UISGが60周年を記念して「奉献生活、変革をもたらす希望」と題した新しいドキュメンタリーを発表すると発表した。このドキュメンタリーは、世界中の女性修道会ネットワークの軌跡を辿り、物語、文化、そして大陸を通して、奉献生活の現代的側面を示している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月17日

☩「反ユダヤ主義の暴力はもうたくさんだ!」-教皇、キリスト降誕の場面の前で、シドニーでの襲撃事件の犠牲者を悼む

(2025.12.15 Vatican News   Christopher Wells)Pope Leo XIV holds an audience in the Paul VI Hall with donors of the St. Peter's Square Christmas tree and Nativity scene

    バチカンの聖ペトロ広場で15日夜、クリスマスツリーとキリスト降誕の場面の点灯式が行われたが、それに先立って寄贈者たちと会見された教皇レオ14世は、「これらは、信仰と希望の象徴。主が私たちの中に平和と兄弟愛の賜物を新たにしてくださるよう願い求めましょう」と促された。

 また、戦争や暴力によって苦しむ人々、特に前日の14日に豪州シドニーのユダヤ人コミュニティを襲ったテロ攻撃の犠牲者たちのために共に祈るよう呼びかけられ、「こうした反ユダヤ主義的な暴力はこれ以上許されない!私たちは心から、憎しみを排除しなければなりません」と訴えられた。

謙虚さと愛の神秘

 教皇の発言は、サンピエトロ広場にクリスマスツリーとキリスト降誕の場面を寄贈したコミュニティの代表者たち、および月曜日に行われた謁見が行われたパウロ6世ホールに設置されたキリスト降誕の情景の設置者たちとの会見中になされた。

 聖ペトロ広場に設置されたキリスト降誕の場面(ナポリ郊外のノチェーラ・インフェリオーレ=サルノ教区提供)は、「世界中から訪れる巡礼者たちに、神が人類に近づき、私たちの一人となり、幼子という小ささをもって私たちの歴史に入られることを思い起こさせるでしょう」と教皇は語られ、「ベツレヘムの馬小屋の貧しさの中で、私たちは謙遜と愛の神秘を仰ぎ見ます。それが私たちに、自らを再発見し、神との交わりに入るよう招いているのです」と説かれた。

生命と希望のしるし

 聖ペトロ広場にあるキリスト降誕の場面の傍らに立つ高さ25メートルのノルウェートウヒを寄贈したイタリア北部の「美しい土地」ボルツァーノの代表者たちにあいさつされた教皇は、クリスマスツリーが「生命のしるしであり、冬の寒さの中でも決して失われない希望を呼び起こします。同時にその灯りは、イエス・キリストを象徴しています。世の光である方は、罪の闇を追い払い、我らの道を照らすために来られたのです」と語られた。

 

受胎の瞬間からの生命保護への訴え

 教皇はさらに、パウロ6世ホールに設置されたキリスト降誕のシーンを寄贈したコスタリカ代表団に謝意を示した。この作品はコスタリカ人芸術家による「ナシミエント・ガウディウム(喜びの誕生)」と題されたものである。このシーンは2万8000本のリボンで飾られており、それぞれがカトリック組織による祈りと支援によって中絶から救われた生命を表している。教皇は、平和のクリスマスメッセージに「受胎の瞬間からの生命保護」の訴えを加えた芸術家に感謝された。

 

幼子キリストの優しさが我々の生活を照らすように

 

 最後に、教皇はバチカン職員に対し、クリスマスシーズンに向けてバチカン内外の空間を装飾する献身的な取り組みに感謝の意を表された後、「幼子イエスの慈しみが私たちの生活を照らすように。そして神の愛が、常緑樹の枝のように、我々の内に生き生きと留まるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年12月16日