☩教皇、ベネズエラの野党指導者でノーベル平和賞受賞者のマチャド氏と会見

教皇レオ14世、マリア・コリーナ・マチャド氏と 2026年1月12日 バチカン宮殿  (@Vatican Media)

 教皇レオ14世が12日、ベネズエラの野党指導者で2025年度ノーベル平和賞受賞者のマリア・コリーナ・マチャド氏とバチカン宮殿でお会いになった。

  会談は、マドゥロ大統領とその妻シリア・フローレス夫人が、3日にベネズエラの首都カラカスで米軍が実施した「絶対決意作戦」と呼ばれる作戦により逮捕されてから約10日後にされた。

 米国から麻薬密売と麻薬テロリズムの容疑で告発、拘束されたマドゥロ大統領は、現在ブルックリンのメトロポリタン拘置所に収監されている。

 ベネズエラの政治家であり人権活動家でもあるマチャド氏は、マドゥロ政権に一貫して反対してきた自由保守政党「ベント・ベネズエラ」を率いている。マドゥロ政権による弾圧で国外逃亡を余儀なくされた彼女は、ノーベル平和賞の授賞式に出席するため先月、オスロを訪れた。

 ベネズエラは現在、デルシー・ロドリゲス副大統領の暫定政権で統治され、国際社会の支援による政権移行が進められている(ここ数日、複数の政治犯が釈放されたというニュースも報じられている)。一方、マチャド氏は、ドナルド・トランプ大統領との会談のためにワシントンを訪れる予定であると、同副大統領が発表していた。

*ベネズエラに対する教皇の訴え

 4日にマドゥロ大統領が逮捕された翌日、教皇は正午の祈りの集いで、ベネズエラの情勢を「深い懸念を持って見守っている」とされ、「最愛のベネズエラ国民のためになることが、他のあらゆる考慮事項よりも優先されなければならない。これは暴力の克服へと導かれ、正義と平和の道を追求し、国家の主権を保証するものでなければなりません」と言明。「一人ひとりの人間的・市民的権利」の尊重を求め、「協力と安定と調和に満ちた平和な未来を共に築くこと」を呼びかけ、特に「厳しい経済状況により苦しむ最も貧しい人々」への配慮を強調されていた。

 9日の在バチカン外交団への年頭の挨拶でも、ベネズエラに言及され、「正義、真実、自由、友愛に基づく社会を築く努力」を促し、「長年にわたり苦しめられてきた深刻な危機から国が立ち直れるように」と訴えるとともに、すべての人たちに「ベネズエラ国民の意思を尊重し、すべての人々の人権と市民権を保護し、安定と調和の未来を保証するように」と呼びかけられていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月13日

☩教皇、イラン、シリアでの速やかな和平を願い、ロシアによるウクライナのエネルギーインフラ攻撃を非難

(2026.1.11   Vatican News)

    教皇レオ14世は11日、「主の洗礼の祝日」の正午の祈りの終わりに、抗議活動が続くイランと、アレッポ市でクルド人勢力と戦闘を続けるシリアの平和を祈られるとともに、最近のロシアによる厳冬期のウクライナのエネルギーインフラへの攻撃を非難された。

 教皇は、騒乱が続く世界各地の対話による和平実現を呼びかけ、特に中東の二カ国、イランとシリアを取り上げ、「持続的な緊張が多くの人の死を招いている」と述べられた。

 昨年12月下旬以降、イランでは急激なインフレに苦しむ人々による政権への抗議活動が国内の多くの州に広がり、治安部隊によって多くの死傷者が出ている。シリアでは、北部都市アレッポでここ数日、政府軍とクルド人勢力との間で大規模な戦闘が続いています。

 教皇はこれら二国について、「忍耐をもって対話と平和が育まれ、社会全体の公益が追求されることを願い、祈っている」と語られた。

 また、間もなく4年目に入るロシアによるウクライナ侵攻で苦しみ続けるウクライナ国民の窮状にも触れられた。ウクライナでは、寒さが厳しさを増す中、主にエネルギーインフラを標的としたロシア軍のドローンやミサイルによる攻撃目立っており、「エネルギー危機を深刻化させ、民間人に甚大な被害をもたらしている」と非難された。

 そして、教皇はこうした世界各地の現状を踏まえ、苦しむ人々のために祈るとともに、「暴力の終結と平和達成に向けた一層の努力」を改めて関係国指導者や国際機関の責任者たちに強く求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月12日

☩「神が遠くから世界を見つめず、私たちの間に来られ、愛の計画に引き入れてくださる」ー教皇、主の洗礼の祝日の正午の祈りで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月11日

☩「教会における性的虐待スキャンダルは『扉が閉ざされ、被害者が受け入れられず、真の牧者たちの親身な支援がなかったこと』が原因だ-教皇、枢機卿会議の閉会挨拶で

Pope Leo at the third session of the Extraordinary Consistory Pope Leo at the third session of the Extraordinary Consistory   (@VATICAN MEDIA)

 

*枢機卿たちは提示された四つのテーマに関する考察の書面提出を求める

 

 

*1月7,8日の臨時枢機卿会議での教皇の閉会挨拶全文、「カトリック・あい」日本語仮訳とイタリア語原文は以下の通り。

 

【臨時枢機卿会議 [1月7日~8日] 教皇レオ14世の閉会の辞 シノドスホール 2026年1月8日(木曜日)

 私たち一人ひとりが枢機卿に選出されたとき、そのときの教皇は「ローマ市およびより遠い地域において、キリストとその福音について勇敢な証人となる」よう命じられました(枢機卿叙任式参照)。この使命は、まさに私たち全員が取り組んでいることの核心、本質です。

 今回の枢機卿会議は、教会の使命を、皆が共に、一致して表現する絶好の機会となりました。この1日半の間、聖霊は明らかに、その多様な賜物を惜しみなく与えてくださいました。皆さんのご出席とご参加に深く感謝いたします。皆さんは、ペトロの後継者としての私の奉仕を支えてくださるために、一丸となってお集まりくださいました。ご高齢の方々が、ご苦労をおかけしながらも、ご出席くださったことに感謝いたします。皆さんの証しは、実に貴重なものです。同時に、さまざまな理由でご出席いただけなかった世界各地の枢機卿の皆様にも、特に思いを馳せております。私たちは皆さんと共におり、皆さんが近くにおられることを感じています。

 この会合は、私たちが教皇選挙で経験したことと深く関連しています。教皇選挙、つまりペトロの後継者の選出に先立ち、皆さんは互いに知り合い、支援と協力をしたいという気持ちを示してくださいました。昨年5月9日に最初の体験をしました。そして、この2日間、私たちが出会い、よりよく知り合うことができるよう、単純ではあるが必ずしも容易ではない方法を用いて、その体験を続けました。私は個人的に、皆さん全員、そして多くの発言の中で、深い親和感と調和を感じました。私たちは、組織的な手法としてではなく、傾聴と人間関係を育む手段としての、共議制の経験もしました。そしてもちろん、こうした会合を継続し、さらに深めていく必要があります。

 この挨拶の最後に、私たちがどのように継続できるかについて、より具体的なアイデアをいくつかご紹介いたします。しかしその前に、この数日間で浮かび上がったいくつかのヒントについて、改めて触れておきたいと思います。おそらく、この最後のセッションでも何度も繰り返された言葉から始めましょう。

 

 

 私たちの使命の中心にキリストを見出すこと。福音を宣べ伝えること、それは皆さんもよくご存じのとおり、イエス・キリストが中心です。私たちはキリストの御言葉を宣べ伝えたい、そしてそれゆえ、私たち自身も、今日の世界において証しとなりうる、真に霊的な生活を実際に送ることの重要性を認識したいのです。

 選ばれたテーマは、第二バチカン公会議と、公会議から生まれたすべての道筋に深く根ざしています。公会議によって開かれた道を歩み続けることの重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはありません。皆様にもそうされるようお勧めいたします。ご存じのように、私は今年の公開謁見のために、このテーマ、すなわち公会議の文書と経験を選びました。そして、この道筋は、教会全体の生活、回心、刷新のプロセスです。福音の喜びと共議制は、この道筋の重要な要素です。

 

 

 また、同時に、提案された他の2つのテーマは、この2日間の作業では必ずしも中心的なテーマではありませんが、他のテーマや公会議と強く関連していることも申し上げたいと思います。それらは忘れられたわけではなく、今後も忘れられることはありません。セメラロ枢機卿は、シノダリティと聖体との関連性をよくご指摘されました。ちなみに、シノダル集会に関連する研究グループが、まさにこのテーマについて深く掘り下げているところです。カスティーヨ枢機卿は、2028年の集会についてお話されました。もちろん、シノド事務局との進行中の作業は、研究グループとともに継続されます。

 教会共同体の歩みは、私たち全員が参加を求められている、宣教のための交わりの歩みです。そのため、私たち間の絆は重要です。皆様は、特に聖父と司教協議会および地方教会とのつながりの重要性と、大陸別総会の重要性を強調されました。しかし、これらもまた、リストに追加する「余分な」会合ではなく、司教と司祭、信徒、そして教会間の出会いの場、関係構築の場であり、真の宣教の創造性を促進する上で非常に役立つものでなければなりません。

 

 

 次に、もう一つのテーマ、すなわち、(教皇フランシスコが出された使徒憲章)「Praedicate Evangelium (福音を宣教せよ)」の精神に基づく各省庁の活動、すなわち、教皇および各教会への奉仕について再び触れておきます。この使徒憲章は、「今日の教皇庁の奉仕の遂行を、特にこの時期に教会が経験している福音宣教の歩みとよりよく調和させる」必要性を強調しています(I章3項)。この観点から、私は、自身の役割を果たし、皆さんと教会全体に、皆さんと各地方教会を支援し、支えることのできる関係と奉仕の体制を提供し、現在の宣教の課題により適切かつ効果的に共に立ち向かうことをお約束いたします。

 この道を歩み続けるために、皆さんは、形成の重要性について話されました。聴くことの形成、聴くことの霊性の形成です。特に、神学校において、そして司教たちにとっても重要であると、皆さんは強調されました。

 

 

 ここでは、今回の会合の具体的な対話テーマではありませんでしたが、今日でも多くの場所で、教会の活動において、真に傷跡となっている問題、すなわち性的虐待による危機について触れておきたいと思います。

 私たちは、目も心も閉じてはいけません。皆さんにも、このことを司教たちにお伝えいただきたいと思います。多くの場合、被害者の痛みは、受け入れられ、耳を傾けてもらえなかったことによって、さらに強くなっています。虐待そのものは、おそらく一生続く深い傷跡を残します。

 しかし、多くの場合、教会におけるスキャンダルは、「扉が閉ざされ、被害者が受け入れられず、真の牧者たちの親身な支援を受けられなかったこと」が原因です。つい先日、ある被害者が「自分にとって最も辛かったのは、司教の誰も、私の話を聴こうとしなかったことです」と私に話してくれました。この場合にも、耳を傾けることが非常に重要なのです。

 

 

 すべての人の養成。神学校、司祭、司教、信徒協力者たちの養成は、地元の教会、教区、そして人々が、特に苦しんでいる人々が集まる他の多くの重要な場所での、日常的かつ具体的な生活に根ざしていなければなりません。ここでご覧になったように、このようなテーマを深く理解し、それを生きるためには、1日や2日、あるいは1週間で十分なわけではありません。

 したがって、私たちが日常的に協力し合う方法が、教区からローマ教皇庁に至るまで、あらゆるレベルで、私たちが共に働く人々にとって、教育と成長の機会となることが重要です。日常的に、シノダルのスタイルで成長できる例としては、牧会訪問があります。また、あらゆる参加組織も活性化すべきです。

 しかし、これらすべては、2028年に予定されている教会総会という重要な段階を経て、現在も継続しているシノドスの実施の過程と関連しています。皆様がこの道のりの原動力となってくださるようお勧めいたします。これは、教会の使命のための道であり、キリストの福音を宣べ伝えるための奉仕の道なのです。

 

 

 さて、親愛なる兄弟たちよ。しかし、これらは私が皆さんから伺ったことに対する、最初の感想に過ぎません。議論は今後も続くでしょう。四つのテーマすべて、枢機卿会議全体、そして枢機卿と教皇様、ローマ教皇庁との関係について、皆様のご意見を文書でお送りくださいますようお願いいたします。私も、皆様からの報告や個人的なメッセージをじっくりと読み、その後、フィードバック、つまりご返答を差し上げ、対話を続けていきたいと考えています。

 次回の枢機卿会議は、今年の聖ペトロと聖パウロの祝日に近い時期に開催することを、すでに提案したいと思います。そして、今年は2日間の会合を2回開催し、将来的には、おそらくはより多くの日数、年に1回、3、4日間、いくつかのグループが提案しているように、会合を継続することを検討したいと考えています。1日目は、熟考、祈り、交流の日とし、その後2、3日間は作業の日といたします。しかし、今年はこの方法で継続いたします。

 

 続けて、皆様が心からお力添えいただけると思う支援について、6月の次期枢機卿会議について考えてみましょう。ここで付け加えたいのですが、経済的な理由などで参加が難しい方がいらっしゃいましたら、ぜひお申し出ください。私も、私たちも、お互いに少しの連帯感を持って生活できると思いますし、寛大な方々が支援してくださる方法もあるでしょう。

 

 さて、この枢機卿会議の終わりに、私は、主の公現の祭日での説教で述べたことを繰り返したいと思います。「神はご自身を明らかにされ、何も変わらないままではいられません。ある種の平穏、つまり、憂鬱な人々が「太陽の下には新しいことは何もない」(コヘレトの言葉 1章9節)と繰り返すような”平穏”は終わりを迎えます。これが、私たちに与えられた希望です。

 私たちが「この世界に伝えたい」と思う希望です。そして、このことを通して、対話や個人的な出会い、またグループでのいくつかの発言の中で共有した、世界中で苦しんでいるすべての人々への懸念を、皆で一緒に表明したいと思います。

 私たちは、多くの地方教会を苦しめている貧困、苦しみ、戦争、暴力という現実を無視して、ここに集まっているわけではありません。そして、彼らを心の中に抱きながら、私たちは彼らに寄り添っていることをお伝えしたいと思います。皆さんの多くは、暴力や戦争という苦しみの中で暮らしている国々から来られています。

 私たちは、若い世代の前でも、この希望の道を歩む責任があります。今日私たちが経験し、決定することは、現在だけに関わることではなく、近い将来、そしてより遠い将来にも影響するのです。

 それは、今まさに幕を閉じた聖年において私たちが経験した希望です。これはまさに、私たちが世界に向けて伝えたいメッセージです。聖なる扉は閉じましたが、覚えておいてください。「キリストとその愛の扉は、いつまでも開かれたままである」ということを。

 最後に、聖父が私たちを枢機卿に任命した日に祈ってくださったように、お互いのために祈りましょう。「人間の弱さでは達成できないことを、あなたの恵みによってお与えください。そうして、あなたの僕たちが、絶えずあなたの教会を築き上げ、信仰の誠実さと精神の純粋さによって輝きを放つことができますように」(『新枢機卿の叙任式典』参照)。そして、聖ペテロが私たちのために執り成してくださいますように。私たちは、共同体の精神をもって、彼の舟である教会に奉仕しようと努めます。

 

2026年1月11日

改☩「対話に基ずく外交が、力と戦争の論理に取って代わられつつある」-教皇、外交団への年頭挨拶で警鐘

(2026.1.9  Vatican News)

 教皇レオ14世は、9日、教皇就任後初となる在バチカンの外交団への年頭挨拶で、「戦争が再び”流行”し、外交が『力と戦争の論理』に取って代わりつつあり、『人権と自由』が圧迫されている」と警告。「外交における謙虚さ、対話、そして多国間主義への新たな取り組み」を強く訴えられた。 挨拶で教皇は、「対話に基づく外交が、力と戦争の論理に取って代わられつつあり、国際共存の基盤が着実に損なわれています。第二次世界大戦後に確立された『国家が武力行使で他国の領土を侵犯することを禁じる原則』が完全に損なわれています」と語られ、「このような考え方が、あらゆる平和的市民共生の基盤である法の支配そのものを、深刻に脅かしています」と世界の現状に強い懸念を示された。

 そして、第二次世界大戦後に確立された「武力による他国の領土への侵犯を禁じる」という原則が弱められていることを嘆かれ、「平和が、自らの支配を正当化する手段としての武器によって、壊される傾向が強まっています」と訴えられた。

 さらに、「傲慢、権力、安全」という幻想について考察した聖アウグスティヌスの著書『神の国』を引用し、「戦争を仕掛ける者でさえ、究極的には平和を望んでいます。ただし、その平和は、『共有される善としての平和』ではなく、『独占する平和』です。アウグスティヌスは言います。『彼らは平和そのものを望んでいるのではなく、自らが望む平和だけを望んでいるのだ』と」と語られた。

 教皇が示唆したのは、まさにこの”歪み”が20世紀に人類を破滅へと導いた、という事実だ。教皇は「その悲劇を繰り返さないようにと生まれたのが国連であり、80年前に『平和の維持、基本的人権の擁護、持続可能な開発の促進』を目的とした多国間協力の中心として設立されたのです」と指摘された。

 また、戦争の具体的な代償として、特に民間人が標的となり、重要インフラが破壊される現状に注意を向け、「国際人道法の重要性に特に注目してほしい。単なる状況や軍事的・戦略的利益に依存してはなりません。人道法は『国家が順守の責任を負う約束』であり、常に交戦者の野望よりも優先されねばならないのです」と強調。

 「病院、エネルギー・インフラ、住宅、日常生活に不可欠な場所への攻撃は、人道法に重大に違反する行為です… 道徳的基準は”利益”ではなく、尊厳。人間の尊厳の不可侵性と生命の聖性という原則の保護は、いかなる国家利益よりも常に優先されねばなりません」と言明された。

 

*世界的な危機が続いている、ウクライナ、ガザ、スーダン、ミャンマ―…即時停戦を

 

 教皇はこの道徳的枠組みに関連して、世界の具体的な危機を取り上げ、「ウクライナで続く戦争と民間人の苦難」に言及。「即時停戦の緊急性」を再確認され、「平和への道筋を誠実に模索する意思に基づく対話」の実施を関係国指導者たちに強く求め、バチカンが「平和と調和を促進するあらゆる取り組みを支援する用意をしている」ことを改めて表明した。

聖地で、昨年10月に停戦が宣言されたにもかかわらず、民間人が「深刻な人道危機」に直面し続けていることにも言及され、ガザ地区のパレスチナ人に「永続的な平和と正義の未来」を保証する取り組みの必要を再確認し、「二国家解決案がパレスチナ人とイスラエル双方の願望を満たす制度的展望であり続けること」を強調。西岸地区におけるパレスチナ民間人への暴力増加を嘆かれ、彼らの「自らの土地で平和に生きる権利」を擁護された。

さらに「カリブ海及びアメリカ太平洋沿岸における緊張の高まり」への懸念を表明され、平和的解決の必要性を改めて訴えた。ベネズエラの危機にも言及し、国民の意思尊重と人権・市民権の保護を求めた。昨年10月に列聖されたベネズエラ人聖人ホセ・グレゴリオ・エルナンデスとカルメン・レンディレス修道女の証しを引用し、「正義、真実、自由、友愛」に基づく社会構築の模範として示された。

ハイチの暴力と不安定化についても言及され、具体的な国際支援を求めた。同様に、アフリカのグレートレイクス地域、スーダンと南スーダン、東アジアの緊張、そして昨年3月の地震で悪化したミャンマーの人道危機にも触れ、「平和と包括的対話」ならびに人道支援へのアクセスを求められた。

 

 

*核リスクへの対処とAIの倫理的ガバナンスの必要

 

 教皇は、こうした危機の根底には「平和は武力と抑止力によってのみ可能だ」という根強い信念があると指摘した。しかし平和は、特に破壊能力が最も高い者たちによって、絶え間ない構築と警戒を必要とするのだと警告した。 教皇は核軍縮の緊急性を強調し、新START条約が今年2月に期限切れとなることを指摘。AI(人工知能)によって形作られる兵器を含む、高度化する兵器による軍拡競争への回帰を警告した。AIは「適切かつ倫理的な管理」を必要とし、自由と人間の責任を保護する規制枠組みが不可欠だと述べた。

 

 

*移民、囚人の扱い、そして司法制度に「聖年の精神」が影響を与えるように

 

 教皇の尊厳擁護は移民と囚人にも及んだ。この二つの集団はしばしば人間ではなく問題として扱われる。

 「あらゆる移民は人間である」と教皇は述べ、したがって「あらゆる状況で尊重されなければならない不可侵の権利」を有すると強調した。全ての移住が自発的な選択ではない。多くの人々が「暴力、迫害、紛争、さらには気候変動の影響」から逃れていると説明した。国際移住機関(IOM)創設75周年を記念し、教皇は犯罪や人身取引対策が「移民や難民の尊厳を損なう口実」になってはならないと警告した。

 また受刑者について言及し、彼らは「決して犯した犯罪に還元されるべきではない」と主張され、教皇フランシスコの聖年恩赦の呼びかけに応じた各国政府に謝意を示し、聖年の精神が司法制度に、恒久的かつ構造的に影響を与え、人道的な環境と比例した刑罰を保証することを期待する」と述べられた。

 とりわけ、教皇は「赦しと再生の希望をすべて破壊する」と表現した死刑制度の廃止がこれに含まれると強調。「多くの国で政治的理由で拘束されている囚人たちを忘れることはありません」とも述べられた。

 

*言葉が現実との繋がりを失い、人を欺き、攻撃し、傷つける武器に

 

 教皇の挨拶のもう一つのテーマは、「言葉」そのものへの警鐘だった。言葉の弱体化、操作、そして害をなす道具への変質だ。

 「言葉の意味を再発見することは、おそらく現代の主要な課題の一つだ」とされ、「なぜなら言葉が現実とのつながりを失う時、現実そのものが議論の余地のあるものとなり、最終的には伝達不能なものになるからです」と語られた。

 教皇は聖アウグスティヌスが、共通の言葉を持たいまま共にいることを強いられた二人の人間を、どのように描写したかを想起され、「無言の動物たち…この二人の人間よりも互いを理解しやすい、とアウグスティヌスは語っています。実際、人は外国人と話すより、自分の犬と会話する方がずっと楽です!」と逆説的に述べられた。

 しかし教皇は、「今日の語義の曖昧さは、単なる偶然ではない」とされ、「言葉はますます、欺くための武器となり、あるいは敵を攻撃し傷つける武器となっています」と警告。言葉が「明確で異なる現実を疑いなく表現する」ように、家族、政治、メディア、ソーシャルメディア、国際関係において真の対話が再開されるように、と訴えられた。

 そして、「この言葉の弱体化はしばしば、表現の自由の名のもとに擁護されますが、よく見れば真実は逆です。なぜなら言葉が真実に基づいている時こそ、自由は守られるからです」と語られ、「特に西洋において、真の表現の自由の空間が急速に縮小している様子を見るのは痛ましい。他者を迎え入れるように見せながら、結局は順応しない者を排除してしまう」とされ、「新たなオーウェル的な言語」の危険性に警鐘を鳴らされた。

 

 

*「良心の自由」と「信教の自由」が危機に瀕している

 

 続いて教皇は、現代社会で脅威に晒される権利-良心の自由と信教の自由-に話題を移され、まず「良心の自由」に関連して、良心的兵役拒否を「尊厳を守る手段」として支持し、「良心的兵役拒否は反抗ではなく、自己への忠実な行為です。これは自由な社会が画一性を強いるのではなく、良心の多様性を守る、という真実を反映し、権威主義的傾向を防ぎ倫理的対話を育みます」と述べられた。

 「信教の自由」については、ベネディクト16世教皇の言葉を引用する形で「信教の自由」を「あらゆる人権の第一」と位置付け、「世界中で(信教の自由への)侵害が増加しており、世界人口の64%がこの権利の深刻な侵害に苦しんでいます」と指摘。

 「聖座はキリスト教徒への完全な尊重を求めます。他の全ての宗教共同体についても同様です」とされ、第二バチカン公会議の公文書『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(Nostra Aetate=私たちの時代に)』公布60周年に際し、あらゆる形態の反ユダヤ主義を断固として拒否する姿勢を再確認し、ユダヤ教とキリスト教の対話及び共通のルーツの深化の重要性を訴えられた。

 さらに、「キリスト教徒への迫害は、今日最も広範な人権危機の一つであり、全世界で3億8千万以上の信徒が深刻な、あるいは極度の差別と暴力に直面しています」と語られ、バングラデシュ、サヘル地域、ナイジェリアでの暴力被害者、昨年6月にダマスカスの聖エリアス教会で起きたテロ攻撃の犠牲者、モザンビーク・カボデルガドでのジハード主義者による暴力の犠牲者を悼まれた。

 また、キリスト教徒が多数派を占める社会、特にヨーロッパやアメリカ大陸においても、キリスト教徒が福音宣教を制限されるなど、「微妙な差別が存在する」ことを指摘。特に「最も弱い立場にある人、胎児、難民、移民の尊厳を守り、家族を擁護する活動を行う際に、制限が加えられることが起きています」と述べられた。

 

 

*あらゆる権利の基盤、「生命の権利」が侵害され、暴力と抑圧の余地が生まれている

 

 教皇は、「生命の権利が他のあらゆる権利の基盤であること」を再確認され、「この権利が、現実や真実から切り離されると、現代の人権の枠組みは活力を失う危険があります」と警告された。

 そして、「現在の状況をみると、人権の『短絡』が実際に起きています… 言論、良心、信教、さらには生命といった根本的に自由であるべきものが、いわゆる”新たな権利”の名の下に」制限され、暴力と抑圧の余地が生まれています」と批判された。

 さらに、家族が「人間が愛と生命への奉仕を学ぶ特権的な場」であるにもかかわらず、世界的に家族の役割を軽視する傾向が強まり、困難や家庭内暴力に苦しむ脆弱な家族の痛ましい現実が顕著になっている、とも指摘。 「生命の起源を否定または搾取する行為や、それを助長する計画に対し、教会は断固として拒否することを改めて表明され、「公的資源は、生命を抑制するのではなく、母と家族を支えるべきです」と訴えられた。

 

 

*だが、希望の兆しはある、平和の種を育てよう!「謙虚で平和を愛する心」を持とう!

 

 このような深刻な世界の現状分析のうえで、教皇は「平和は、困難ではあるが現実的な善であり続けます」と言明され、アウグスティヌスの言葉を引用して、平和を「私たちの善の目標」と呼び、「地上の都の中にあってさえ、神の都を予感させるもの」と強調。

 そして、平和構築には「真実を生きる謙虚さと、赦す勇気」が必要であり、これらの美徳は、真理が謙虚な肉となる主の降誕の祭りと、裁かれた義人が赦され、復活者として命を与える主の復活の祭りに示されている、と指摘された。

 挨拶の締めくくりに、教皇はまた、希望の兆しの具体例として、三十年前にボスニア・ヘルツェゴビナ戦争を終結させたデイトン合意(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ和平一般枠組み合意)、昨年八月署名されたアルメニアとアゼルバイジャンの共同平和宣言、そしてベトナム当局による聖座との関係改善努力、を挙げ、「これらは”平和の種”であり、育てねばなりません」と訴えられた。

 そして、平和と対話の人であるアッシジの聖フランシスコの没後800年を迎える今年10月を見据え、謙虚さと真実の証人である聖人の模範を呼び起こし、新しい年に入った全ての人々に、「謙虚で平和を愛する心」を願って締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月9日

☩教皇、次回の枢機卿会議を6月に、毎年開催も。”シノドスの道”の仕上げの教会会議2028年10月開催も確認

(2026.1.8 Vatican News    Salvatore Cernuzio )

 臨時枢機卿会議が8日夜、2日間の討議を終えた。終了後、教皇レオ14世はこの方針を継続する意向を表明された。これは「継続性」を保ちつつ、昨年5月の教皇選挙前の枢機卿総会で求められた内容に沿うものであり、この線に沿って、今年6月、聖ペトロと聖パウロの祝日に近い時期に、臨時枢機卿会議が再び招集されることも決まった。また会議では、教皇フランシスコが”シノドスの道”の仕上げとして昨年3月に発表された2028年10月の教会会議の開催も確認した。

 6月の第二回臨時枢機卿会議の開催は、8日午後の第三回全体会議の締めくくりの挨拶で、教皇が発表された。会議には選挙権を持つ枢機卿と持たない枢機卿、計170名が参加。教皇は、この二日間の会議が「昨年5月の教皇選挙前の枢機卿会議で求められた内容と連続性を持っていた」とされ、今後も毎年、3日ないし4日間の枢機卿会議を開く意向を示された。教皇は7日の挨拶でも、今回の臨時枢機卿会議が「私たちの未来の旅路の前兆」とされ、継続の方針を示しておられた。

 あいさつで教皇は、会議出席者への参加と支援への感謝を表明、特に高齢の枢機卿たちには、出席の労をねぎらう言葉をおくられた。そして、「皆さんの証言は貴重だ」とされると同時に、会議に出席できなかった枢機卿たちにも、「私たちは皆さんと共にあり、皆さんのそばにいます」と言葉をかけられた。

 教皇は、この二日間の会議で体験した「非技術的なシノダリティ(共働性)―深い調和と交わり」について語られ、「これは、各人の背景や経験の多様性を踏まえ、相互理解を深めるために選ばれた方法論によって可能になったもの」とされ、教会の歩みと刷新の礎である第二バチカン公会議に言及し、また、7日の会議初日に教皇ご自身が提案された四つの討議テーマ候補のうち採決されなかった二つ—典礼と『福音宣教』—は、「公会議と密接に関連しており、忘れてはならないこと」と指摘された。

 最後に、教皇と枢機卿団全員の双方から、世界の全体的な状況への注意深い視線が向けられた。それは教会の対応を「一層緊急のもの」であり、戦争と暴力に苦しむ地方教会に寄り添う教会だ。

ベネズエラへの思い

 枢機卿会議で扱われた二つのテーマは、そうした流れの中で、まったく異なる「『福音の喜び』に照らした共働性」と「宣教」だったが、ラテンアメリカ出身の枢機卿たちからは、ベネズエラの状況に対する特別な思いが示された。

 コロンビアのボゴタ大司教であるルイス・ホセ・ルエダ・アパリシオ枢機卿は会議後の記者団への説明で、劇的な出来事の翌日にあたる1月4日の正午の祈りで教皇が語られた言葉を取り上げ、「教皇は、ベネズエラで起きている事態への深い懸念を示され、対話と合意形成の促進に尽力すると約束された。平和を呼びかけ、武装せず武装を解く平和を築くこと。それは人権と主権を尊重しつつ、人々を結びつける平和です」と語った。

 そして、「あの教皇のメッセージが、この数日間の私の考察の基調となりました。今回の枢機卿会議の密会議の公式テーマではなかったが、枢機卿団のメンバーが現状を憂慮し、進むべき方向について自問し、ラテンアメリカの地政学がどう変化しているか、教会がどのように民衆に寄り添えるかについて考えることは、避けられないことでした。ベネズエラ問題は、私たちの心に刻まれ、皆を悲しませている。近い将来の最善の展開を願っています」と説明した。

「旅路の伴侶」として生きる共議制

 その後、三人の枢機卿が記者団に対し、8日の午前から午後にかけて行われた討議と全体的な雰囲気について報告した。討議は、聖歌と祈りの時間もあり、パウロ6世ホールのアトリウムで昼食休憩を挟みながら進められた。教皇が同席し、参加者一人ひとりに自身の在位記念メダルを授与された。

 言語グループごとの分科会での議論は、シノダリティ(共働性)に焦点が当てられ、「旅路の伴侶」として実践する必要性、権威の行使や養成、教皇大使の職務に反映されること、そして「より一層の国際化」をもってバチカンで実践されることなどが話し合われた。また、教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』が再読された。この勧告は、教皇フランシスコが亡くなり、在位が終わったことで「期限切れ」になったわけではなく、今も教区やローマ教皇庁、教皇自身に課題を与え続けている。

 バチカン報道局のマッテオ・ブルーニ局長によると、分科会では20のグループが設けられ、うち11グループは教皇選挙権を持たない枢機卿、9グループは選挙権を持つ枢機卿で構成された。

「教皇はメモを取り、非常に注意深く聞いていた」

 会見の3人の説明者の一人、ブリスリン枢機卿は、この経験を「非常に豊かなものだった。多様な視点が、世界が必要としていることへの理解を深めることを可能にし、互いを知り、理解し合う機会となったからです。6月に次回会合が予定されることになったのは、教皇が、ペトロの後継者としての役割を私たちが助けることを非常に真剣に受け止めておられる証しです」と語った。

 ルエダ枢機卿は「教皇選挙から8か月、教皇は私たち意見を聞くために会議を招集された。これは、教会の使命において私たちを力づけるもの」と述べ、デイビッド枢機卿は”時差ぼけ”や会議の素晴らしい会場について冗談を交えつつ、討議の進め方を称賛し、次に「誰もが発言できた」聖霊による対話を評価。さらに教皇が「話すより多く聴いておられたこと」を高く評価して、「教皇はメモを取られ、非常に注意深く聞いておられました。その意見は私たち我々全員にとって非常に豊かなものでした」と述べた。

互いを知ることの重要性

 ある記者が、「既に2023年、2024年の二度にわたるシノドス(世界代表司教会議)総会で広く議論されたテーマが、今回も討議されたが、今回の枢機卿会議での新たな要素が何でしょうか」と質問したのに対し、ブリスリン枢機卿は「新しさは、議論の中だけに求めるべきではなく、互いを知り、互いの声に耳を傾ける機会そのものにありました。このことは重要です。私たちは世界の様々な地域から集まり、新たに枢機卿となった者もいれば、長年その地位にある者もいるからです」と答えた。

 さらに、「教皇は、共働的な姿勢を示され、耳を傾け、世界各地から集う枢機卿たちの経験と知見を汲み取りたい、と考えておられる。それが教会の導きに役立つからです。枢機卿たちの経歴は異なるが、討議は、画一的ではない調和の中で進められました」とルエダ枢機卿は結論づけた。

信徒と女性の役割

 

  記者団からは、「信徒の参加や教会における女性の役割が議論にどう影響した」とも質問もなされた。

 デイヴィッド枢機卿は「教会における女性の役割と奉仕を認めないわけにはいきません。女性の問題は常に念頭にある」としし、女性助祭職研究委員会の結果を想起させた。また「聖職者主義」に言及し、第二バチカン公会議に由来する「民全体の司祭職」という考え方を改めて提示。「私たちは、教会の”体”について語る。教会の”頭”は存在するが、それだけではありません。”体”も存在する。人々は教会の生活と使命に参加する力を持っているのです」と強調した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月9日

☩「教会に『命』はあるか?神を愛し、福音を述べ伝えているか?大胆に、創造的に『歩むべき道』を拓こう」教皇、臨時枢機卿会議の初日の最後に

Pope Leo XIV speaking at the conclusion of the first session of the extraordinary Consistory in the Vatican's Paul VI Hall Pope Leo XIV speaking at the conclusion of the first session of the extraordinary Consistory in the Vatican’s Paul VI Hall   (@Vatican Media)

 

2026年1月9日

☩「あなたがたは、個人的、集団的な思惑を推し進めるのではなく、聖体の光のもとで識別するよう招かれている」教皇、枢機卿会議のミサで

 

2026年1月9日

☩「人々を惹きつけるのは教会ではなくキリストだ」-教皇、初召集の臨時枢機卿会議でバチカンの優先事項討議を求める

Pope Leo XIV addresses the Opening of the Extraordinary Consistory of Cardinals in the VaticanPope Leo XIV addresses the Opening of the Extraordinary Consistory of Cardinals in the Vatican  (@Vatican Media)
2026年1月8日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」①「公会議の教えは今も教会を導く星、諸文書を再読しよう」

 

2026年1月7日

☩「平和の技が戦争の業に取って代わるように!」教皇「主の公現」祭日の正午の祈りで

(2026.1.6 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は6日、「主の公現」の祭日の正午の祈りに先立つ説教で、幼子キリストにひれ伏す三賢者を思い巡らせながら、信者たちを「希望を紡ぐ者」となるよう招かれ、「不平等が公平に変わり…戦争の業が平和の技に取って代わられますように」と願われた。

 「三賢者の贈り物には、私たち一人ひとりが分かち合えるもの、もはや自分だけのものとして留めておくのではなく、他者に与えるべきものが示されています。そうすることで、イエスの御存在が私たちの間に広がっていくのです」と語られた教皇は、「三賢者の旅立ちと、幼子イエスへの貴重な贈り物は、私たちが、計り知れない宝であるイエスに、自分自身と持っているものすべてを捧げねばならない、という力強い戒めです」と説かれた。

 そして、「ベツレヘムの幼子の前に三賢者たちのようにひざまずくことは、私たちもそうすることで、『神の栄光が輝き出る真の人間性を見出した』と告白することを意味します。イエスにおいて、真の命が現れます。生ける人間、すなわち自己のために存在されるのではなく、開かれ、交わりの中におられる方。その方が私たちに『天におけるように地の上にも』(マタイ福音書6章10節)と祈ることを教えてくださるのです」と指摘。

  「このように、神の命は私たちの手の届くところにあり、それが明瞭に示されるのは、私たちがその力強い自由の中に招き入れられるためです。その自由は恐怖の束縛を解き放ち、私たちが平和に出会うことを可能にするのです。これは”可能性”であると同時に”招き”でもある。交わりは制限されるものではありません。これ以上に私たちが望むべきものは何でしょうか?」と信者たちに問いかけられた。

 マタイ福音書の記述と、主の降誕の場面に見られる光景を思い浮かべながら、教皇は三賢者が幼子イエスに捧げた貴重な贈り物、すなわち金、乳香、没薬に注意を向けられ、「乳児には役に立たないように思えるかもしれませんが、『大いなる贈り物』とは、自分の持ち物をすべてを与えること、という、聖年が終わろうとする今、深く考えさせられる願いを表しているのです」とされ、別の視点から同じ点を示すため、教皇は「イエスに認められた貧しい未亡人」を取り上げ、「彼女は、神殿の献金箱に、持っていた最後の二枚の銅貨、つまり、”すべて”を捧げたのです」と語られた。

 また、東方から来た三賢者の所有物については何も分からないことを認めつつ、「彼らの旅立ち、危険を冒す覚悟、そして贈り物そのものが、私たち自身と所有する全て、まさに全てを、私たちの計り知れない宝であるイエスに捧げる必要があることを示唆しています」と述べられた。

  続いて教皇は、この日、聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を閉じることで閉幕した「希望の聖年」に言及され、「この聖年は、無償の恵みに根ざした正義、すなわち平和的な生活の統合、土地とその資源の再分配、そして『人が持つもの』と『人があるもの』を、私たちのものよりも偉大な神の計画に回復することを求める、本来の聖年の規定を私たちに思い出させてくれました」と語られた。

 そして、「私たちが宣べ伝える希望は、現実に根ざさねばなりません。なぜなら、イエスは天から降りてこられ、この地上で新たな物語を創り出すためであったからです… したがって、三賢者の贈り物を思い起こすにあたって、私たちもまた、キリストの臨在を顕すために、他者と分かち合えるものは何か、を自問する必要があります。そうすることで御国は広がり、御言葉は私たちの中で成就し、見知らぬ者や敵は兄弟姉妹となるのです」と強調。

 「不平等が存在する場所に公平が訪れ、平和の技が戦争の業に取って代わように。『希望を紡ぐ者』としてと結ばれ、『別の道』を通って共に未来へと歩みを進めましょう」と信者たちに呼びかけられた。

宣教児童の日を祝う

 教皇は信者たちに使徒的祝福を授けた後、聖ペトロ広場に集まった全ての人々にあいさつされ、「復活されたキリストの光のもとでの新年への祝福」をなさった。

 また、6日の「主の公現」の祭日が、「宣教児童の日」でもあることを取り上げ、世界中で活動する宣教師のために祈り、恵まれない仲間を助けることに尽力する子供たちと若者たちにあいさつと感謝を述べられた。

 最後に教皇は、ユリウス暦に基づき1月7日にクリスマスを祝う東方教会共同体にも言及され、「主イエスが、東方教会の皆さんに安らぎと平和をお与えくださるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年1月6日

☩「私たちが共に希望の巡礼者であり続けることは、素晴らしい」-教皇、「主の公現」ミサで「聖なる扉」を閉じ、「希望の聖年」を閉幕

(2026.1.6 Vatican News)

 6日の「主の公現」の祭日、教皇レオ14世は聖ペトロ大聖堂で約5800人の信者を前に聖なるミサを司式され、「聖なる扉」を閉じられた。これにより、2025年「希望の聖年」が正式に終了した。

 ミサの冒頭、教皇は聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」を閉じられた。これで聖年のために世界の主要聖堂で開かれてた「聖なる扉」はすべて閉じられた。そして、数えきれないほどの男女、希望の巡礼者たちが聖堂の敷居を越え、教皇が「門が常に開かれている新しいエルサレム」とされた場所へと向かう歩みは、終わりを告げた。

 ミサ中の説教で教皇は、マタイ福音書から採られたこの日の福音を取り上げ、三賢者の喜びとヘロデ王の恐怖に焦点を当て、「聖書が、神の公現に伴う緊張を決して隠さないこと』に注意を向けられ、「聖書は、神の公現について語るとき、喜びと動揺、抵抗と服従、恐怖と憧れという対照的な反応を隠しません。そして、主の公現の祭りは、神の臨在が、現状をそのままに放置しないことを示しています… 今日、主の公現を祝うこの時、私たちは、主の臨在の前では、何も変わらないままではいられないことを自覚します」と語られた。

 教皇は続けて、「この神の公現は、希望の始まりを告げるものでもあります。神の臨在は『太陽の下に新しいものはない』と人々が延々と繰り返すような、憂鬱な自己満足に終止符を打ちます。現在と未来を決定づける新たな何かが始まります。預言の約束-『起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇った』(イザヤ書60章1節)が成就されるのです」と説かれた。

 だが、「啓示に慣れ親しんだ都エルサレムこそが、三賢者の探求に動揺しています。聖書を知り『答えは全て持っている』と考える人々は、疑問を投げかけ、憧れを育む能力を失っているように見えます… 希望に動かされて訪れる者たちに、この都は動揺し、喜びの源であるべきものに脅威を感じます。このような反応は、教会としての私たちにも問いを投げかけています」と注意された。

 そのうえで、教皇は、この聖年の一年を振り返りつつ、信者たちに、「現代の人々の霊的な探求について考えるように」と求めるとともに、「三賢者たちは、はいったい誰であり、何に駆り立てられたのでしょうか?何を見つけたのでしょうか?心には何があり、どんな疑問や感情を抱いていたのでしょうか? 三賢者と同じように、今もなお多くの人が”旅立つ”ことを強いられています」と語られた。

 そして、「三賢者は今も存在します。彼らは、『旅に伴う危険を受け入れつつ、外に出て探求する必要性を感じる人々』。たとえ世界がしばしば”不快で危険”であっても、そうしようとする人々です」とされ、「福音は、教会に対し、このように探求する人々の動きを恐れるのではなく、評価し、私たちを支える神へと導くように、と呼びかけているのです。神は、金や銀の偶像のように私たちの手にしっかりと留まる方でなく、私たちを不安にさせる方。マリアが腕に抱き、賢者たちが拝んだ幼子のように、生きておられ、命を与える方なのです」と説かれた。

 「ですから、聖地は、命を伝えるものでなければならない。聖年の巡礼地は、命の香りを放ち、新たな世界が始まったという忘れがたい実感をもたらさねばなりません」と強調された。

 そして、信者たちに「私たちの教会には『命』がありますか? 新たなものが生まれる余地がありますか? 私たちを旅へと導く神を愛し、宣べ伝えていますか?」と問いかけられたうえで、「ヘロデ王は権力喪失への恐怖から、神の御業への応答を歪めてしまった。彼は王座が奪われるのを危惧し、自らの支配を超えた、と感じる事柄に動揺しました… 恐怖は、確かに私たちの目を曇らせます」と警告。

 このような恐怖に対して、「福音の喜びは、私たちを解放し、慎重でありながら、大胆で、注意深く、創造的な者とし、これまで歩んできた道とは異なる道を開くのです」と述べられた。

 教皇は説教の締めくくりに、「主の公現の祭の核心には、金で買えず、支配することもできない贈り物が存在します。三賢者が拝む幼子は、計り知れぬ尊き善そのもの。その啓示は、華やかな場所ではなく、ひっそりとした場所でなされます。それでもベツレヘムは『あなたは決して最も小さい者ではない』とされました」とされた。

 そして、「希望の巡礼者となることができるのは、素晴らしいことです。私たちが共に巡礼者であり続けることは、素晴らしいことです」と巡礼者たちを称えられ、「教会が”記念碑”となることに抵抗し、”家”であり続けるなら、教会は『新たな夜明けの世代』となり得ます。常に『明けの明星』のマリアに導かれ、全能者の幻想によってではなく、愛ゆえに肉となった神によって変容された、非凡なる人間性へと向かうのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月6日

☩「主は人となられ、全ての人の不可侵の尊厳を認め、互いの愛をもって自らを捧げることを私たちに求める」ー降誕節第二主日正午の祈りで

(2026.1.4 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は4日、降誕節第2主日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちを幼子キリストに近づくよう招くとともに、「真の神への礼拝には人類への配慮が不可欠」と強調された。

 説教で「主の降誕の喜びが、私たち歩みを支え続ける力となることをを願います」と、聖ペトロ広場に集まった人々に改めて主の降誕の祝福をされるとともに、6日の「主の公現の祝日」に聖ペトロ大聖堂の聖なる扉が閉じられることで「希望の聖年」が幕を閉じることを確認された。

 続けて教皇は、「私たちが今も経験している主の降誕の神秘は、私たちの希望の基盤が神の受肉にあることを改めて思い起こさせます」と述べられ、この日のミサで読まれた聖ヨハネの言葉「御言葉は肉となり、私たちのうちに宿られた」(ヨハネ福音書1章14節)を引用する形で、「キリスト教徒の希望は楽観的な予測や人間の計算に基づくのではなく、神が私たちの歩みを共に歩むことを決めたこと、つまり『人生の旅路は、決して独りでたどることがない』という確信に根ざしている」と強調。

 「これが神の働きです。イエスにおいて、神は、私たちの仲間の一人となり、私たちと共に留まることを選ばれ、永遠に『私たちと共にいる神』であることを望まれたのです」と語られた教皇は、さらに、「私たちの希望は、人間の弱さの中に現れたイエスの到来によって、再び燃え上がります」とされた。

 さらに、「それは私たちに神と隣人に対する『二重の責務』を託します… 神が肉となり、私たちの弱さを住まいとされた以上、私たちは抽象的な教義からではなく、イエスの肉体から、神について考える方法を再考するよう求められているのです」と説かれた。

 「だからこそ、私たちの霊性と信仰表現の在り方を絶えず検証し、それらが『真に受肉したもの』だということを確かめねばなりません…これは、イエスにおいて私たちと出会う神を正しく黙想し、宣べ伝え、祈ることを必要とします」と指摘。 「神は、私たちの頭上に存在する『完璧な天界の遠い神』ではありません。むしろ近くにおられ、私たちの脆い地上に住まわれ、兄弟姉妹の顔に現れ、『日常生活の状況の中で自らを現される神』なのです」と強調された。

 また教皇は、「全ての男女に対する私たちの献身もまた、一貫していなければなりません… 神が私たちの仲間の一人となられた以上、全ての人間は、神を映し出し、神の像を帯び、神の光の火花を宿している。そして、これは、あらゆる人の不可侵の尊厳を認め、互いの愛をもって自らを捧げることを、私たちに求める。それは兄弟愛と交わりの促進への具体的な取り組みを必要とし、連帯があらゆる人間関係の基準となることを可能にするのです」と訴えられた。

 そして、「神は肉となられた。ですから、人類への配慮なくして、真の神への礼拝はありえません」と言明された。

 説教の最後に「主の生誕の喜びが、私たちが旅路を歩み続ける励みとなりますように」と祈られ、聖母マリアに、「神と隣人への奉仕に、私たちがますます備えることができるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年1月5日

☩「暴力を克服し、国の主権を守り抜くように!」-教皇、米国によるベネズエラ攻撃、大統領逮捕に

Pope Leo XIV appeals for Venezuela on SundayPope Leo XIV appeals for Venezuela on Sunday  (@Vatican Media)
2026年1月4日

☩「光も音楽もないクリスマスを過ごした子供たちの叫びを、主が聞かれ、正義と平和をくださるように」—システィナ礼拝堂合唱団のコンサートで

Sistine Chapel Choir ConcertSistine Chapel Choir Concert  (@Vatican Media)
2026年1月4日