教皇フランシスコ、10月8日、バチカンで日曜正午の祈りの集い – AP
このたとえ話では、農夫たちの主人への忠実が試される。ある家の主人がぶどう園を作り、それを農夫たちに貸し、世話を託した。収穫の時期、主人は収穫を受け取るために自分のしもべたちを送ったが、農夫たちはぶどう園が自分たちの所有であるかのように振る舞い、収穫を手渡すのを拒み、主人のしもべたちに乱暴し、殺すことまでした。
忍耐強い主人は、さらに多くのしもべを送ったが、結果は同じだった。最後に、主人は自分の跡取り息子を送ったが、農夫たちは、相続財産を自分たちのものにしようと、彼まで殺してしまった。
教皇はこのたとえ話は「イスラエルの歴史をめぐる預言者たちの叱責を寓意的に表しています」とし、「それは神が人間と結ぶことを望まれた契約について語るものですが、その契約の歴史に私たちもまた、連なっているのです」と語られた。
そして「神と人間との契約の歴史には、すべての愛の物語と同様、良い時もあれば、裏切りや拒否に遭うこともあります」と述べ、このたとえ話に見るように「神は私たちの過ちや罪に失望することがあっても、諦めず、仕返しするのではなく、愛する方」であり、「家を建てる者の捨てた石」から「隅の親石」となったイエスを通して、神はご自身のぶどう畑の「新しいぶどう酒」、すなわち「いつくしみ」を行き渡らせるのです」と語られた。
さらに、「辛抱強く、優しい神の御旨を前に、ただひとつ障害となるのは、私たちの傲慢さや自惚れです」とし、実を結ばせないこうした態度に対する神の強い警告として、「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」(マタイ福音書21章43節)というイエスの言葉を示された。
教皇は「主のぶどう園になるように、との主の呼びかけに、善の実をもって答える」ことが急務となっていることを強調しつつ、「この愛の歴史に加わり、開かれた、活気あるぶどう園となり、豊かな実と希望をもたらすことができますように」と願われた。
締めくくりに、教皇は「閉ざされたぶどう園は荒廃し、良いぶどうをもたらさない」と語り、「あらゆる場所が主のぶどう園でなければならない、ということを思い起こすために、ぶどう園の外の、私たちとともにいない兄弟姉妹たちに奉仕するように、私たちは召されているのです」と訴えられた。