「聖書を携帯電話のようにいつも身に着け、神のメッセージを読み取るように」

 教皇は「持ってくるのを忘れて取りに戻ったとしたら、一日に何回も開いたなら、携帯電話でメッセージを読むように聖書に込められた神のメッセージを読んだなら、何が起きるでしょうか?」と問いかけられ、聖書には、悪と戦い、私たちを神の傍にいるための最も効果的な道具、「神のみ言葉」がある、としたうえで、たしかに、聖書を携帯電話と比べるのは矛盾しているが、私たちに振り返りの機会を与えることになる、と述べた。

 さらに「もしも、私たちが心の中に神のみ言葉を持ち続けるなら、誘惑が、私たちを父なる神と隔てることはないでしょうし、障害が、私たちを善への道から逸れさせることもないでしょう」と語った。

 そして、四旬節の最初の主日である5日に読まれたマタイ福音書の箇所に言及し、イエスがどのようにして悪魔に誘惑されたのかについて語っていることに注意を向けた。誘惑によって、サタンは、イエスが従順と謙遜の道―それが悪に打ち勝つ道だと知っておられたので―から外れることを期待し、栄光と成功への誤った近道を取ることを期待したが、「悪魔の毒矢は、神の言葉でと与えられた盾によって、すべて〝食い止め″られたのです」と強調。イエスが決して自らの言葉を使わず、神の言葉のみを使い、聖霊の力に満たされて、荒れ野を勝ち誇って渡った、と指摘された。

 そのうえで、教皇は、すべてのキリスト教徒に対して、四旬節の40日の間、イエスの歩んだ道をたどるように、神の言葉の力を持って悪との霊的な戦いと向き合うように、勧められた。「それが、聖書に親しむようになることが必要であることの理由です。聖書をよく読み、よく考え、理解してください。聖書には、いつも時宜にかなった、感銘を与える神の言葉が込められています」とし、信徒たちにポケットサイズの聖書をいつも持ち歩くことを勧められたうえで、こう締めくくった。「私たちが携帯電話を扱うように聖書を扱うならば、神はいつも私たちとともにいる、いつも傍にいる、ということを忘れないように」。(英語版より南條俊二訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月6日