(2016.11.9 バチカン放送)
教皇フランシスコは11月9日、水曜恒例の一般謁見で、神のいつくしみをめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で「病者を見舞い、受刑者を訪問する」をテーマに講話された。
イエスの3年間の公生活は人々との出会いの連続であったが、その中でも「病者たちはイエスにとって特別な位置を占めていた」と教皇は指摘。「福音書はどれだけイエスと病者たちの出会いを語っているだろうか」と、イエスが病者の一人ひとりに近づきながら、その大きな癒しの力で彼らを治していった数多くのエピソードをを思い起こされ、「イエスに倣い、いつくしみの業として病者への訪問が決して欠けることがないよう」に願われた。
また、病者に対するのと同様に、刑務所で生活をおくっている人々に寄り 添う必要を強調。「病者も受刑者も自由を制限された条件の中で暮らしているが、イエスはあらゆる制限にも関わらず自由でいられる可能性をわたしたちに与えてくださった」と述べ、 「その自由とはイエスとの出会いから来るものであり、それはわたしたちの人生に新たな意味をもたらしてくれる」と話された。病者や受刑者の訪問など、「神はこれらのいつくしみの業を通して、偉大な人間的行為である分かち合いへとわたしたちを招いている」と説かれた。
病者はしばしば孤独を感じるが、「病者への訪問はその孤独を和らげるという意味で最良の薬」であるとし、病者の家や病院を訪問する行為を「貴重であると同時に、いつくしみの雄弁な表現」として示され、病院はまさに「苦しみのカテドラル」であるが、そこは「慈愛の力と憐れみが輝く場所でもある」と話された。
同じく、受刑者たちに思いを向けた教皇は、イエスは彼らのことを忘れてはいないと述べ、いかなる理由で刑務所に入っているとしても、「その人が神から愛されていることに変りはない」と説かれ、刑務所を訪問することは「様々な制裁主義の下に置かれた今日、特別な意味を帯びている」と教皇は述べ、「他人の罪を指差すのではなく、分かち合いと尊重の態度をもっていつくしみの道具となる」ように、信者らを招かれた。そして、「イエスや使徒たちもまた囚人の経験をしたことを忘れてはならない」。無実のイエスが逮捕され、引き渡され、嘲笑され、鞭打たれたこと、また聖ペトロも聖パウロも牢獄に入れられたこと(使徒言行録12,5; フィリピ 1,12-17)を観想。特に使徒言行録に記された聖パウロの囚人体験は非常に心を打つと話された。
教皇は、先日の日曜日に祝った「受刑者たちの聖年」を振り返りながら、ミサに参加したパドヴァ刑務所の受刑者たちが、帰る前に、聖パウロが入れられていたローマのマメルティーノ牢獄跡を訪れたいと言ったことを、受刑者にとって非常に有意義なこととして紹介された。「病者を見舞い、受刑者を訪ねる」といういつくしみの業は昔も今も大切であると述べた教皇は、無関心に陥ることなく、喜びや尊厳を失った人々にそれを取り戻させるためにも、わたしたちは神のいつくしみの道具となっていかなければならないと呼びかけられた。