(2017.9.25 バチカン放送)教皇フランシスコは24日、正午の祈りを信者と共に唱えられ、集いの中でこの日の福音朗読箇所「ぶどう園の労働者」のたとえ話(マタイ 福音書20章1-16節)を題材に説教をされた。
イエスが語るこのたとえ話に、神の国の2つの特徴、一つは「神は、その御国のために、すべての人に働いてもらいたいと思っておられる」こと、もう一つは「最後には、すべての人に同じ報酬、すなわち救いと永遠の命を与えたいと望んでおられる」ことを示された。
ぶどう園の主人は、神を指している。彼は夜明けから、ぶどう園で働く労働者を求めて出かけた。そして彼らに一日の労働に一デナリオンを払う約束をした。9時ごろ、12時、3時、5時にも労働者を探しに出かけ、働き口の無い人たちを招いた。そして、一日の終わりに、主人は全員に一デナリオンずつ与えようとした。当然、朝早くから働いていた人たちは、後から来て少ししか働かなかった人と同じ扱いをされることに不平を言った。主人は、彼らの報酬は約束どおりのものであると答え、他の人にも同じように支払ってやりたい、それを妬んではならない、と言った。
ここに見る主人の「不当な扱い」について、教皇は「実は、このたとえ話を聞く人が、より高い次元のことに気づくように求めているのです」とし、「なぜなら、問題になっているのは、『労働とそれに見合った賃金』ではなく、『神の御国』だからです」と説明された。このたとえ話でキリストが伝えようとするメッセージは「神の御国には失業者はいない。全員がそれぞれの役割に呼ばれている」ということ、「最後に全員に神の判定から来る報酬、すなわちイエス・キリストによる救いが与えられる」ということだ、と指摘された。
さらに、「その救いはイエスがご自分の死と復活を通して得たもので、私たちの価値に応じてではなく、無償で与えられるもの。それゆえ、『後にいる者が先になり、先にいるものが後になる』(マタイ福音書 20章16節)のです」と語られた。そして、このたとえ話を通して、「イエスは私たちの心を、無償で心広い御父の愛の論理に開こうとしておられます」とし、「神はいつくしみを用いて、広く赦される、神は寛大さと優しさに溢れた方であり、それは私たち一人ひとりに向けられているのです」と強調された。
最後に、「ぶどう園の主人である神の眼差しは、注意深く、善意に満ち、その眼差しは私たちに語りかけ、『起き上がって、歩きなさい』と促されています。なぜなら神は私たち一人ひとりに満ち満ちたいのちを望まれるからなのです」と締めくくられた。(「カトリック・あい」編集)