
(2017.5.28 バチカン放送)教皇フランシスコは27日、公式訪問先のジェノバのケネディ広場で市民のためのミサを捧げた。同広場はジェノバ市民全員が集まったかのように立錐の余地なく埋め尽くされた。希望者全員が会場に入りきれず、場外に28基の大型スピーカーと大型スクリーンを設置して対応した。
教皇はミサの中で、真のキリスト者の特質について次のように話された。
「キリストはすべての人々のために天と地を結ばれました。キリストが天の御父のもとに上られたとき、私たちの肉体の人間性は天と地を隔てる壁を乗り越えました。神は人間から離れることはもう決してないでしょう。今キリストは天の御父の傍らにあって毎日、私たちのためにとりなしてくださいます。私たちのすべての祈りにおいて、ゆるしの懇願においてキリストはわたしたちのためにともに祈り願ってくれるのです。
ですから祈りとは大切な人や事柄を神に委託するためのすばらしい道、手段だと言えます。この世界も私たち個人個人もこの素晴らしい手段、祈りを必要としています。毎日の生活の苦労に追われ、人は往々にして自分を見失い他人のことを忘れ己れ自身の中に閉じこもりがちです。そして何でもないことのためにしばしば深い不安感に捕らわれがちです。このような状態の時、最も有効な脱出法は、神の中にすべてを託すことです。生活の錨を神の中に深く下すことです。すなわち神に全幅の信頼を寄せることです。
生活のすべての問題や重荷、周りの人々そして状況をもすべてを信頼を込めて神に託すことです。これこそ祈りの力そのものです。天と地とを結ぶことであり、こうして神はわたしたちの時間と空間に入ってこられます。
キリスト教の祈りとは単に心の平安を得るため、何らかの内面的な調和や平穏を取り戻すことではありません。祈りは主が御父のもとでされているように、とりなすことでもあります。ですから、祈りには他者に向けられる愛に基づくダイナミックな動きがあります。祈りにはこの世の論理によらない静かな柔和な力があります。それには戦争をも停止させ、平和を獲得する力さえあるのです。天の御父の傍らで私たちのためにとりなしてくださるキリストご自身やその弟子たちのように私たちも疲れることなく、兄弟姉妹たちのために、この世を天にますます近づけるために祈り続けましょう
キリストの福音は、仕舞い込まれ、隠されていることはできません。神の愛、キリストの福音を人々に告げ知らせるためには、閉じこもるのではなく、自分自身から飛び出す勇気が必要です。主キリストとともにいる人は、この世で「安穏と平穏」の中にとどまることはできません。主キリストは常に挑戦し続けます。だから、キリスト者はいつも外に出て行く勇気と覚悟が必要です。「何の問題もなく、すべてが順調」という平穏さに閉じこもり、立ち止まっていてはなりません。主とともに常に他者に向かって歩み続ける必要があります。なぜなら、キリストは決して一か所にに留まることがないからです。
キリスト者は巡礼者、宣教者、「走りる続けるマラソン走者」です。柔和でありながら、歩み続けることにおいて、強い確信を持ち、創造的であるべきです。
神に対する信頼に満ち、同時に活動的であり、だれをも大切にし、開かれた存在です。苦労を惜しまず、誰に対しても連帯を示します。余計な無駄話や噂にとらわれることなく、真摯にキリストの福音を告げ知らせる必要があります。具体的な共通善と平和のために働きましょう。「受けるより与える」ことに、大きな喜びがあるということを確信し、絶えず前進する勇気を持ちましょう」。