「うわべだけでなく本物のキリスト者であれ」

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサ中で朗読された福音はキリストの山上の説教の続きです。その中でキリストはご自分の本当の弟子になりたい者は、見かけやうわべだけに気を取られるファリザイ派の人々や律法学者たちの教えに従うのではなく真心からキリストの言葉に従う本物のキリスト者となるよう強く勧告します。キリストは旧約の掟を完成するためにこの世に来られました。決定的に神の掟がどんなものであるかを宣言します。

 そして、「神の掟を実行する」とはどういうことかを、その説教と、特に十字架上でのその死をもって、明らかにしてくれました。キリストはファリザイ派や律法学者たちの正義を上回る正義をもって、神のみ旨を誠実に真心を込めて果たすよう教えます。キリスト者の正義は形式主義にとらわれることなく、愛とあわれみに生かされていなければなりません。

 キリストはその説教の中でいくつかの具体的な観点を指摘します。殺人と姦淫についてです。キリストによれば、神の掟「殺すなかれ」は、ただ単に実際に人を殺害することだけを意味しません。人間の尊厳を損なうすべての行為にまで及ぶ禁令です。もちろん、すべてが同じよう罪の重みをもっているわけではありません。しかし、いかなる小さな悪意も侮辱も、さらに大きな罪へと続く同じ線上にあります。大きな重大な罪もみな小さな心の動きから発しています。キリストは人を傷つけることに関して大小をつけないよう勧めます。他人を侮辱することはどんなに些細なことでも、すべて有害なことです。

 キリストは一つの例をあげています。例えば他人の悪口を言うこと。私たちはまるで、「おはよう」とか「今日は」とでも言うように、簡単に他人の悪口を言うことに慣れてしまっています。しかし忘れてはいけないのは、他人の悪口を言うということが、他人を殺すのと同じ線上にある、ということです。兄弟の悪口を言いふらすことは、心の中でその兄弟を殺すことです。ですから、人の悪口を言うのはやめましょう。何の得にもなりません。

 姦淫についても、キリストはその悪の根本にまで、悪口や侮辱が殺人にまで繋がるように、邪悪な考えや思いは、実際の姦淫にまで繋がっていきます。あらゆる罪は、実際のところ、すべて心の中で生じます。そして行動に移されるのです。ですからキリストは、邪悪な思いで女性を見るものは、すでに心の中で姦淫を犯しているのだ、と言うのです。このことについて少し考えてみましょう。悪い思いは、すべてこの線上にあるのです。

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2017年2月13日