教皇フランシスコ、12月26日、聖ステファノ祝日、バチカンでの正午の祈り – AFP
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親愛なる兄弟姉妹の皆さん
イエスの地上における誕生を祝った後、今日、私たちは最初の殉教者、聖ステファノの天国における誕生を記念します。一見、この二つの祝日は互いに関係がないように思われるかもしれません。しかし、実際にはとても強い関係があるのです。
昨日、主の降誕の典礼で、私たちは次の言葉が高らかに告げられるのを聞きました。「言は肉となって、私たちの間に宿られた」(ヨハネ福音書1章14節)。
聖ステファノは「信仰と聖霊に満ち」 (使徒言行録 6章5節)、人々の間におられる神の新しい現存を固く信じていたために、長老たちを動揺させました。ステファノは「神の真の神殿とは、いまやイエスである」と知っていました。
イエスは私たちの間に住まわれるためにやって来られた永遠のみことばであり、罪以外は、私たちとまったく同じようになられました。ステファノはエルサレムの神殿の破壊を説教したとして、訴えられました。彼に向けられた訴えは「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう(使徒言行録6章14節)と明言した」ことに対してでした。
実際、イエスのメッセージは、やっかいで、居心地の悪いものです。なぜなら、それは世俗的な宗教権力に挑戦し、良心を呼び起こすものですから。イエスの到来の後、回心し、メンタリティーを変えること、以前のように考えるの諦めることが必要になりました。
ステファノは死に至るまで、イエスのメッセージと固く結ばれていました。彼の最後の祈りは「主イエスよ、私の霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(使徒言行録 7章59節~60節)というものでした。
この二つの祈りは、イエスが十字架上で言った「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます」 (ルカ 福音書23章46節)と「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(同 23章34節)を忠実に反映するものでした。ステファノのこの言葉は、神の御子がこの地上に来られ、私たちのために死に、復活されたからこそ、可能となったのです。これらの出来事は、その以前には人間の力では到底考えられないことでした。
ステファノはイエスに、自分の霊を受け取って欲しい、と願います。実際、復活したキリストは主であり、臨終の時だけでなく、人生のあらゆる時における、神と人間との間の唯一の仲介者です。キリストを離れては、私たちは何もできません(参照:ヨハネ福音書 15章5節)。
私たちもまた、プレゼピオ(イエスが誕生された場所をかたどった模型)の幼子イエスの前で、このように祈ることができます。「主イエスよ、私たちの霊をあなたにゆだねます。お受け取りください」と。私たちの人生が、福音に基づいた、真に良いものとなるように、と願うのです。
イエスは私たちの仲介者であり、私たちを神との間はもとより、自分たちの間においても、和解させてくださいます。イエスは愛の源として、私たちを、あらゆる争いや怨恨から解放し、兄弟たちと一致し、互いに愛し合うようにしてくださるのです。怨恨は醜いもので、私たちのためになりません。イエスはそれを取り去り、私たちが愛し合うようにしてくれます。これはイエスの奇跡です。
私たちが、「御父における信頼」と「隣人に対する愛」という、二つの態度をとることができるよう、私たちのためにお生まれになったイエスに願いましょう。この態度は人生をより素晴らしく、実り多いものに変えるでしょう。
贖い主の母、殉教者たちの母であるマリアに、信頼をもって祈りましょう。私たちがイエスを自分たちの人生の主として受け入れ、福音への忠実のために自己犠牲をも厭わない、イエスの勇気ある証し人となれるよう、聖母の助けを願いましょう。
(バチカン放送の日本語訳をもとに、「カトリック・あい」が編集しました)
