死を前にした少女へー教皇が一通の手紙

( 2016.12.1 Crux バチカン特派員・イネス・サン・マーチン)

  「あなたの写真が今、私の机の上にあります。あなたの本当に特別な眼差しの中に、私は優しさと汚れのなさを見ています」。

教皇フランシスコが、9歳の女の子、パウリーナ・リブラーロに手紙を送った。「写真送ってくれてありがとう。この手紙をお母さんと一緒に読んでください。お母さんがあなたにする接吻は、教皇の接吻ですよ」。

9月22日付けのこの手紙には、10月26日に予定された教皇の水曜謁見の特別招待状が添えられていた。謁見の時に教皇は彼女に本当の接吻を贈ろうと、おそらく考えていたのだろう。だが、それが実現することはなかった。彼女は3年にわたる癌との戦いで、すっかり弱っていたからだ。そして、謁見を予定していた日から1か月もたたない11月22日に亡くなった。その日は、音楽家の守護の聖人、聖セシリアの祝日、初聖体からちょうど6か月目だった。

「彼女は亡くなった時、聖セシリアのとりなしで、聖人たちの聖歌隊に入ったんです」と、いとこののジュゼッペ・デルプレーテはCruxに語った。「パウリーナは最後まで、明晰で、勇敢だった」「一度も泣き叫ぶようなことはなかったし、快活で人懐っこい女の子でした」。

彼女は強かった。ジュゼッペは信じている。彼女は女の子ではなく、大人として亡くなった、と。すでに成人した女性のように、実際の歳よりも年長者のように、目前の自分の死よりも、母親が慰めを受け、元気でいられるかどうかを気遣っていた、という。「彼女の人生は激しく、偉大でした。10歳を前にして、神に家に戻るように呼ばれたのです」とジュゼッペは付け加えた。

教皇フランシスコは、パウリーナあての手紙で、「私の手は、あなたのために祈っている方々すべての手と結ばれています。だから、それは、長い長い鎖になって、必ず、天に届くでしょう」と励ましていた。

ただし、教皇は、奇跡的に回復するとは約束しなかった。彼女に勧めたのは、これから先の困難な人生で助けと慰めが必要となる両親のことを、神に話す、ということだった。教皇は手紙で「ご両親のために何をしてくださる必要があるのか。それをイエスさまに教えることは、本当に素晴らしいことですよ」と勧め、最後に、教皇自身のために祈ってくれるように求め、「私もあなたのために祈ります。そして、全力で、あなたを強く、強く抱きしめ、祝福します」と付け加えた。

この手紙は、パウリーナが亡くなった翌日、彼女の友人、家族、地元の町長などが出席して行われた葬儀で、読み上げられた。

教皇フランシスコが自分のデスクに何が置いてあるかを明らかにしたのは今回が二度目である。一度目は、ギリシャのレスボス島訪問の際に、自分の作業場について話した時だ。この訪問で、この島にいた難民の子供たちから自分たちの経験を描いた絵を何十枚も贈られた。そのうちの一枚には、血の涙を流す太陽の下で溺れ死んでいる人々が描かれており、強く心を動かした教皇が、デスクに置くことにしたのだった。

バチカンに戻る途中の機内で、教皇は随行した記者たちにそのことを話し、「難民キャンプで、この絵を見て、声を上げて泣きそうになりました・・・。子供たちは何が欲しいのでしょうか?平安ですね。彼らは悲惨な目に遭っているから・・。ああ、彼らが目にしたのはこういうことなのです。この絵を見てください。子供が溺れ死ぬのも見たのですよ。子供たちは心の中にこれを抱き続けるのです!」「彼らはこのことを記憶に刻みつけています!消化していくのに時間がかかるでしょう。この絵を見てください。ある子供は涙を流す太陽を描いています。もしも太陽が泣くことができるなら、ひと粒かふた粒の涙が私たちに役立つでしょう」。

フランシスコは個人的に多くの人と心を通わせている。これらはそのうちのたった二つのエピソードに過ぎない。いくつかは新聞の見出しになっている。彼の個人的な電話のことは有名で、「教皇から電話がかかってきたら、どう返事をするか」を書いたら、と言われるほどだ。そしていくつかは、おそらく頼まれて内密にされている。

万人の司祭としてのフランシスコはどうであろうと、彼は一度にひとつの魂を救おうと手を差し伸べる「教区司祭」で有り続けるのだ。

Whatever else Francis has become as universal pastor, he remains a parish priest, reaching out to help save one soul at a time.

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2016年12月7日