♰「聖性とは『恵みと召命』、自力では到達できない」-諸聖人の日に

(2019.11.1 バチカン放送)

 カトリック教会の典礼暦で、「諸聖人」の祭日を迎えた11月1日、教皇フランシスコは、正午の祈りの集いに先立つ説教で、「諸聖人の祭日は、私たち皆が聖性に招かれていることを思い起こさせるもの」と話された。

 この日に祝う、あらゆる時代のすべての聖人たちは「単なる象徴でも、私たちにとって到達不可能な人たちでもありません… 聖人たちは、地に足を着けて生き、人生の日々の労苦を成功や失敗と共に味わいつつ、再び起き上がり、歩み続ける力を主の中に見出した人々なのです」と説かれた。

 そして、「聖性とは、自分の力だけで到達できるゴールではなく、神の恵みと、その恵みに対する私たちの自由な答えの実り… 聖性とは、『恵みと召命』です」と語られ、「聖性は買ったり、引き換えたりできるものではありません。洗礼を受けた日から、私たちの中にお住まいになる聖霊を介して、神の命にあずかり、神の恵みを受け入れることで得られるもの」と強調。

 また、「聖性は、キリスト者全員に共通の一つの召命… その召命とは、全てのキリスト者が信仰において辿るように呼ばれた道であり、その道は最後の目的地、すなわち『永遠の命における神との完全にして最終的な一致』へと向かっています」とされ、召命への責任を各自が負うことで「聖性は、神の恵みに対する答えになります… 一つひとつのことを思いやりと慈愛をもって行いながら、人生の様々な状況の中で日常的な聖化の努力を続けることが大切」と述べられた。

 諸聖人たちは今、神の玉座の御前で、神の永遠の栄光の賛歌を唱和し、私たちが巡礼しているこの「地上の都」から、最後の目的地として希望をもって見上げる「聖なる都」を形作っている、と語られ、「聖人たちの生涯を見つめることで、私たちは彼らに倣うよう励まされます… 聖人たちの多くは、私たちのそばにいながらも、神の存在を感じさせる『身近な霊性』を持っているのです」と指摘。「諸聖人たちを思い起こすことは、私たちの目を天に向けさせますが、それは地上の現実を忘れるためではなく、勇気と希望をもって立ち向かうためです」とある、と説かれた。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年11月4日