♰「祈りと御言葉の宣言-それが司教たちの役割」教皇、第五主日のミサで

(2020.5.10 Vatican News Sr Bernadette Mary Reis, fsp)

    教皇フランシスコは復活節第五主日の10日朝、サンタマルタ館でなさったミサを、欧州統合のために捧げられ、すべての司教一人ひとりの最も重要な務めについて観想された。

 教皇はまず、この二日間に続いた二つの記念ー5月9日の欧州連合が生まれるもとになった「シューマン宣言」70周年記念、もう一つは8日の欧州における第二次大戦が終わった記念ーの日を思い起こされ、「兄弟的な結束で、一致を育て、すべの人が多様性における一致を育てていくように、欧州の為に主に祈るように」と促された。

 ミサ中の説教で、教皇は、ヨハネ福音書で書かれた父の前で私たちを取りなしてくださるイエスの役割(14章1-12節)と、使徒言行録に書かれたペトロの役割(6章1-7節)に注目され、「これは、使徒の後継者である司教たちが果たすべき役割にも当てはまります。その第一の役割は祈り、そして御言葉の宣言です」と指摘された。

*私たちを主にとりなしくださるイエス

 教皇は「ヨハネ福音書14章の最初の箇所は、私たちに代わって、父の前でイエスが取りなしてくださる役割を説明しています」とされ、「イエスは何度も、父が私たちを慈しんでくださることを話されました… 天国で空を飛ぶ鳥と野のユリを世話するように、私たちを世話する人として、父について話されました」と語られた。

 そして、「私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう」(14章13-14節)の箇所を示され、「イエスは、とても力強い。まるで、祈りの全能の扉をお開きになっているようです」とされた。

 さらに教皇は、祈りには勇気と、福音の説教に必要なのと同じ大胆さが必要、とし、その模範としてアブラハムとモーセを挙げ、どちらも主に「談判」したこ戸を指摘されたーアブラハムはソドムの人々の扱いについて主に談判し(創世記18章16-33節)、モーセはエジプトから率いてきた民の扱いについて、主に談判した(出エジプト記32章7-14節)。

  「祈ることは、イエスと共に、何でもお与えくださる父の所に行くこと。勇気をもって祈る、率直に祈る-それは説教にも通じます」と説かれた。

 

*初期教会に生じた問題と「助祭」の誕生

 教皇は、次のこの日のミサの第一朗読で読まれた使徒言行録(6章1-7節)-ギリシア語を話すユダヤ人からヘブライ語を話すユダヤ人に対して、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられている、と苦情が出たのを受けて、ペトロら12人の使徒が弟子たちを全員を呼び集め、教会の新しい奉仕の形を提案したーを取り上げた。

 「使徒たちには、すべてのことをするための時間がありませんでした。それで、聖霊に啓発されたペトロが(使徒たちと共に)「助祭」を”発明”したのです…これで、問題は解決しました… 『助祭』は教会を管理・運営する役割を担い、苦情を言う人々の必要は満たされ、ペトロが言うように、自分たちは『祈りと御言葉の奉仕に専念』することができるようになりました」と語られた。 

*司教の第一の務めは

 教皇は、「このようにして、司教の第一の務めは『祈ること』となった」とされ、「司教は、イエスがご自分の民の為に戦おうとしてお持ちになった自信と大胆さをもって、まず御父の所に行くのです… もしも他の事が祈りのための機会を奪うのであれば、何かが間違っています」と述べられた。

 そして、「私たちはほんのわずかのことしかしないが、神はいくつものことをなさる。神はご自分の教会でいくつものことをなさるのです… ですから、教会を前進させるのは『祈り』なのです」と強調され、「これは真実です。なぜなら、イエスが御父の前に立たれ、『あなたが私の名において願うことなら、何でも私はする。御父に栄光を帰するために』と約束されたからです」と説かれた。

 最後に教皇は「教会はこの大胆な祈りで前進するのです。それは、御父に近づくことなしには生きることができない、と教会が知っているからです」と述べ、説教を締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年5月10日