♰「悲しみの中で、イエスは私たちと共に歩んでくださる」ー復活節第三主日のミサ説教

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Pope Francis celebrates Sunday Mass at the Casa Santa Marta chapel praying for those who are sad. He reminds us in his homily that Jesus is near to all who feel distress and dissatisfaction.

(2020.4.26 Vatican News  Sr Bernadette Mary Reis, fsp)

 「今日、このミサで、私たちは悲しみに苦しんでいるすべての人たちのために祈ります。彼らが、一人孤独であるため、将来に何を期待できるか分からないから、です」ーこれが、26日、復活節第三主日のミサをカサ・サンタマルタの聖堂で捧げられた教皇フランシスコの祈りの意向だった。教皇はもう一度、経済的に苦しんでいる、恐らくは仕事を無くした家族に思いを寄せられた。

 ミサ中の説教で、教皇はこの日朗読されたルカ福音書(24章13-35節)を取り上げられた。この箇所では、エマオに行く途中の弟子たちに主がどのように同行されたかが、語られている。

*キリスト教徒はイエスと会っている

 まず教皇は、キリスト教徒についての説明から始められ、「彼あるいは彼女がイエスに会い、自分たちにイエスが会ってくださるようにしたから、その人はキリスト教徒なのです… 主は、エマオへの道で二人の弟子と心を通わされたのと、まったく同じように、私たちと心を通わせてくださいます」と語られた。

 

*私たちは神を渇望していることに気付かない

 「それは、私たちが生まれながらに持っている『不満の種』から始まります。何度も何度も、私たちは必要のある魂の渇きに気付きません。私たちは、決して満足を得られることのない間違った道をいくつも進みます。私たちが本当に渇望しているのは、『神との出会い』であるのに、です」と教皇は話された。

*神は私たちと出会うことを渇望されている

 そして、「神の側は私たちと出会うこと渇望されています。イエスを私たちのところにお送りになったのは、神は私たちの側に来られ、その渇きを癒やされるためなのです」と述べられたうえで、イエスは「私たちの置かれた状況を大切にされ」「ゆっくりと動かれ」「私たちの準備か整うのをお待ちになり」「忍耐強く」「急いで進もうとはされません」とされ、「私たちの側に同行され、私たちが自分の悩みについて語るように促され、(注:すでにご存じなのに)知らないふりさえ、なさいます」と説かれた。

 「主は私たちの話をお聴きになるのを好まれます。そうすることで、私たちをよく理解し、私たちが自分の不満に対して正しく対応できるようにしてくださいます。主は性急にことを運ばれません。いつも私たちのペースで進まれます… 私たちが最初の一歩を踏み出すのを待っておられます。そして、適当な時期が来たときに、私たちに問いかけられ…そして、応えられます。要点を私たちが分かるまで説明してくださいます… それから、私たちの不満がどれほど深いかお知りになるために、私たちから遠く離れるふりをされます… 私たちの不満がイエスと出会った瞬間、そこに恵みと命が満たされた人生が始まるのです」

 

*イエスは何と言われたか?

 教皇は、「私はいつも、イエスが二人の弟子たちにおっしゃったことに好奇心を持っています。同じようにするために… それは素晴らしいカテキーシス(教理の説明)であったに違いありません」、そして、イエスは、私たちが彼の存在に気付いていない時でさえも、「私たちの旅に、ずっと同行されておられるのです」と強調された。

 「私たちは、不信の闇、私たちが犯した罪の恐ろしい闇の中でさえも、イエスに出会います。主は、苦悩する私たちを助けてくださるために、いつもそこにおられます。いつも私たちと共におられます… 主は私たちとの出会いを強く望んでおられ、私たちに同行してくださいますーこれがキリスト教の核心なのです」

 

*教皇の祈り

 説教の締めくくりに教皇は次のように祈られた。「私たちが共に歩んでくださっていることを、知り、はっきりと認めるために、私たち一人一人に、毎日、あなたと出会う恵みをくださいますように。イエスは巡礼の道を歩む私たちの仲間です」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年4月26日