(2019.12.15 Vatican News)
待降節第三主日の15日、教皇フランシスコは正午の祈りの説教で、「信徒たちが外部の事柄に気を取られるのではなく、私たちに喜びを与えようとされているイエスに心の部屋を開けておくように」と促された。
マリアの祈りの前に、教皇は、この日の典礼は、私たちを喜びに招くが、「そこには疑いの瞬間も含まれている」ことも知るように求めている、と指摘され、「喜びと疑いは、共に、私たちの人生を構成する経験です」と語られた。
*回心と救い
そして、この日のミサの第一朗読で読まれた預言者イザヤのように、「男も女も、そうした疑いと落胆を乗り越えるように求められています。なぜなら神の救いは、私たち人間の全体を包み込み、再生なさるからです」(イザヤの預言35章1-6a節、10節参照)と励まされた。
また教皇は「私たちは回心を求められています… それは洗礼者ヨハネとイエスの両方の説教の基礎にあるものです。 ヨハネのように、私たちもまた、神がイエス・キリストにおいてお見せになることを選ばれた『謙遜と慈しみ』の表情を知るように求められているのです」と強調された。
*恵みの時を迎える
さらに教皇は「待降節は恵みの時であり、『神を信じるだけでは十分ではないこと』を告げています。日々、信仰を清めることが必要です」とされ、「私たちが歓迎の準備をするのは、おとぎ話のキャラクターではありません。私たちに挑戦し、私たちを巻き込み、選択を迫られる神なのです」と語り、ご自身が今月初めに出された「プレゼピオの意味と価値」についての使徒的書簡をもとに、「飼い葉おけに置かれた幼子は、困窮した兄弟姉妹の顔を持っています。貧しい人々は、この神秘の特権者であり、私たちの中で神の存在を最もよく認識できる人たちです」と述べられた。
そして最後に、「私たちがクリスマスを目前にした今、私たちが外部の事柄に気を取られないように、私たちの病をいやし、ご自身の喜びを私たちのお与えになるために、既においでになり、そして、再びおいでになろうとされる方ために、私たちの心の中の部屋を開けておくように、聖母マリアが私たちを助けてくださいますように」とお祈りになった。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)