☩ 「祖父母・高齢者は若者との実りある交流の中で成長する」ー「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のミサで

(2023.7.23 Vatican News  By Devin Watkins)

 教皇フランシスコが年間第16主日の23日、聖ペトロ大聖堂で「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のミサを主宰され、イタリア全土などから参加した約8000人の高齢者たちを前にした説教で、「人生の素晴らしさを学び、教会活動を強める手段としての『世代間の交流』」の重要性を強調された。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の箇所でイエスがなさったたとえ話を取り上げ、今年の祈願日のテーマ「その憐れみは代々に限りなく」(ルカ福音書1章50節)、つまり「共に成長する」という共通点に注目された。

 まず、教皇は、このたとえ話の最初にある「麦と毒麦は同じ畑で隣り合って生えている」という描写は、「私たちキリスト教徒に、現実の人生を思い起こさせます」とされ、 「人類の歴史には、私たちの人生と同じように、光と影、愛と利己心が混在しています…善と悪は、切り離せないように見えるほどに絡み合っています。 そのような現実は、自分の『外』だけでなく、『内』にも存在する悪に立ち向かう必要があることを、私たちが認識するのに役立ちます」と説かれた。

  さらに、福音のこの箇所で「主人」が僕に注意しているように、キリスト教徒は「衝動的で攻撃的な」態度で毒麦を根こそぎ掘り起こすことで、良い麦まで引き抜こうとするべきではない、とされ、 「私たちは、『純粋な社会』や『純粋な教会』を実現しようとする誘惑を、よく目にします。その一方で、この純粋さを実現しようと努力するとき、私たちは短気になり、強硬な態度をとり、過ちに陥った人々に対して暴力的になる危険さえあります」と指摘。 悪に直面したときに私たちがとるべき正しい態度は、『忍耐』です。自制することで、他者に敬意を持って接することができるようになる。そして、悪に対する最終的な勝利は、本質的に神の業によるのだ、と認識することです」と強調された。

 また教皇は、「高齢者は、懐かしさと『過去の間違いをやり直したい』という気持ちを持って、自分の人生を振り返ることが多い。 しかし、イエスは祖父母や高齢者たちに、『人生の神秘を静けさと忍耐をもって受け入れ、判断を神に委ね、後悔や自責の念に満ちた人生を送らないように』と勧めておられます」と語られ、「老年というのは確かに、祝福された時期なのです。なぜなら、それは和解すべき季節であり、影があるにもかかわらず、輝いている光を優しく見つめ、悪魔が私たちの心を悩ませようとしている『毒麦』に、神がまかれた『良い麦』が勝つのだ、という希望を確信する時期だからです」と説かれた。

 続けて教皇は今日の福音の箇所の2番目のたとえ話に目を向けられ、「天の王国は、人類の歴史の中で小さなからし種のように成長していきます。 人が成長し、年を重ねることは、からし種が大きな木になり、そこに他の人が木陰や安らぎを見つけるのに似ています」とされ、同じように、「 祖父母は、子どもや孫たちが家庭の温かさを学び、思いやりや優しさを体験する場を提供しています」と指摘。「そのような実りある交わりの中で、私たちは人生の美しさを学び、友愛に満ちた社会を築き、教会でお互いに出会い、伝統と新しさの間の対話を可能にすることができます。」と語られた。

 さらに、 パン生地を膨らませるために酵母と小麦粉を混ぜるという3番目のたとえ話に目を向けられ、「世代間の交流への誘い」として「混ぜる」という動詞を強調された。「そうすることで、個人主義と利己主義は克服され、高齢者が疎外されたり、孤独に見捨てられたりすることはなくなります」とされた。

 最後に教皇は、若者と高齢者に対し、「それぞれの賜物を分かち合い、お互いの意見に耳を傾け、話し合い、支え合うことで共に成長するように」と呼び掛けられた。そして、ミサの終わりに、祖父母のグループが教皇の言葉に倣って、8月1日から6日にかけてポルトガルの首都リスボンで開催される「世界青年の日」大会に参加する若者代表に、世界青年の日の十字架を手渡した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年7月23日