☩教皇、復活の主日のミサー「主の復活は、私たちを決して裏切られることのない希望へと導く」

Easter Sunday Mass in Saint Peter's SquareEaster Sunday Mass in Saint Peter’s Square

(2026.4.5  Vatican News)

    5日、聖ペトロ広場で主の復活の主日ミサを主宰された教皇レオ14世は、4万5千人以上の信者を前にした説教で、「キリストが死から蘇られた」という復活の宣教が、「決して裏切らない希望、決して消えることのない光、何ものにも奪うことのできない喜びの充満へと私たちを導きます」と強調。

 「死は永遠に打ち負かされました。もはや死は私たちに対して何の力も持ちません!」と言明された。

*主の復活は、喜びを満ち溢れさせる

 説教で教皇は「今日のすべての被造物が、新たな光に輝いています… 私たちは賛美の歌が地から立ち上るように喜び、キリストは死から蘇られ、キリストと共に、私たちもまた、新しい命へと蘇ります!」と喜びを述べられた。そして、主の復活の宣言は「私たちの人生の神秘と歴史の運命を包み込むものであり、圧倒されそうになる死の深みにおいてさえも、私たちを決して失われることのない希望、決して消えることのない光、何者にも奪うことのできない満ち溢れる喜びへの道を開いてくれる。それは、死が永遠に打ち負かされ」、もはや私たちに対して力を持たないからです」と強調された。

 

 

*「希望を受け入れる」ための試練

 

 教皇はその一方で、「死の力が内面的にも外面的にも、絶えず私たちを脅かしているため、『希望と光』という主の復活のメッセージを受け入れることが必ずしも容易ではないこと」を認められた。

 そして、内面においては、「罪の重みが、”翼を広げて飛び立とう”とする私たちを妨げたり、苦しみが希望を失わせ、”出口の見えないトンネル”に迷い込んだように感じさせたりすることがある」。

 外面においては、「”死”が日々、私たちの目の前にある。それは、不正義の中に、党派的な利己主義の中に、貧しい人々への抑圧の中に、最も弱い立場にある人々への配慮の欠如の中に存在しています。 世界における暴力とそれが引き起こす傷は、誰の目にも明らかです。最も弱い者たちを押しつぶす虐待、地球の資源を略奪する利益への偶像崇拝、殺戮と破壊をもたらす戦争の暴力によって、あらゆる場所から痛みの叫びが上がり、それが皆の目に映っているのです」と指摘された。

 

*目を高く上げ、心を開こう

 

 それにもかかわらず、主の復活は「『目を高く上げ、心を開くように』と、私たちに呼びかけています。主は生きておられ、私たちと共にいてくださるのです… 暗闇の中に開かれる復活の裂け目を通して、主は私たちの心を、私たちを支える希望に委ねてくださいます。死の力は、私たちの人生の最終的な運命ではありません。私たちは皆、一度きりでなく、永遠に、成就への道を歩んでいます。それは、キリストにおいて、私たちもまた復活したからです」と説かれた。

 教皇はまた、フランシスコ教皇が使徒的勧告『福音の喜び(Evangelii Gaudium)』で語られた「キリストの復活は、過去の出来事ではない。そこには、この世界に浸透している生ける力がある。すべてが死んでいるように見える場所でも、復活のしるしが突然芽生える」という言葉に共感され、「それは抗いがたい力です。私たちの周りには、根深い不正、悪、無関心、そして残酷さがあふれており、しばしば、神は存在しないかのように思えます。しかし、闇の只中でさえ、常に新しい命が吹き込まれ、遅かれ早かれ実を結ぶ、ということもまた真実なのです」(276項)と述べられた。

*人類のために、新しい命が夜明けを迎える

 

 説教の締めくくりに教皇は「復活されたキリストは、私たちに確かな希望を与えてくださいます。復活は、死よりも強い新しい命が、今や人類のために夜明けを迎えていることを告げているのです」とされ、次のように語られ、信者たちを励まされた。

 「復活祭は、復活された主によってもたらされた新しい創造であり、新たな始まりであり、古き敵に対する神の勝利によって、ついに永遠のものとなった命です。今日、私たちには、この希望の歌が必要です。キリストと共に復活した私たち自身が、キリストを世界の街角へと導かねばなりません。私たちも、(主の復活を知った)マグダラのマリアのように走り出し、すべての人にキリストを告げ知らせ、復活の喜びを生き抜きましょう。そうすれば、死の影がまだ漂っている場所にも、命の光が輝くようになるに違いありません」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年4月5日