(2026.4.11 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世が11日夜、聖ペトロ大聖堂で「世界平和のための祈りの集い」を主宰され、各国の指導者に対し、「軍備増強が計画され、殺戮行為が決定されるテーブル」ではなく、「対話と調停のテーブル」につくよう、強く求められた。そして、「たとえ戦争の論理を拒絶することが誤解や軽蔑を招くとしても、教会は常に平和を呼びかけ続けます… いかなる人間の権威よりも、神への従順を常に説き続けます」と言明された。
聖ペトロ広場も含めて約1万人の信徒が参加した集いの講話で、教皇は、「私は紛争地域の子供たちから数え切れないほどの手紙を受け取っています。それらを読むと、無垢な視点を通して、一部の大人たちが誇らしげに自慢する行為のすべての恐怖と非人道性が浮かび上がってきます」と述べ、「子供たちの声に耳を傾けましょう!」と訴えられた。
*祈りは山をも動かす
この集いには教皇が参加を呼び掛けた世界中の人々が、ヒッポの聖アウグスティヌス、聖ヨハネス・クリソストモス、ミラノの聖アンブロシウスなど、様々な教父たちの黙想を聞きながら、直接または遠隔で、教皇と共にロザリオの栄光の神秘を祈った。ロザリオの祈りの間、各大陸からの信者たちは、アッシジの聖フランシスコの墓前で絶え間なく燃え続ける「平和の灯」の炎でろうそくに火を灯した。
教皇は、平和を祈るために集まったすべての出席者と遠方から祈るすべての人々に感謝され、「皆さんの祈りは、イエスが語ったように山をも動かす信仰の表れです」とされ、「戦争は分断し、希望は結びつける。傲慢は他者を踏みつけ、愛は他者を高める。偶像崇拝は、私たちの目を曇らせ、生ける神は、私たちに光を照らします」と述べられた。
そして、「人類として、そして人類と共に、この歴史上の劇的な時を共に乗り越えるために必要なのは、ほんの少しの信仰、信仰の『一粒』に過ぎません… 責任から逃れるための”避難所”でも、あまりにも多くの不正義によって引き起こされた痛みを麻痺させる”麻酔薬”でもありません… それは、死に対する、最も無私で、普遍的かつ変革をもたらす応答です」と説かれた。
*何ものも私たちをあらかじめ決められた運命に閉じ込めることはできない
この文脈において、教皇は「私たちをあらかじめ定められた運命
に閉じ込めるものは何もありません。たとえ、正義や慈悲などお構いなしに人々が互いに十字架に掛け合い、命を奪い続けるため、墓が決して足りないように思えるこの世界においてさえも」と言明。聖ヨハネ・パウロ二世が「もう戦争はごめんです」と断固として訴え、それに立ち向かうために「可能な限りのことを行う」という私たちの責任を強く主張されていたことを思い起された。
また平和を追求する中で、教皇は、「祈りが、私たちに行動の指針を与えてくれること」を強調され、「祈りの中で、私たちの限られた人間の可能性は、神の無限の可能性と結びつくのです… そうして生まれた思考、言葉、そして行いは、悪の悪魔的な循環を断ち切り、神の国の奉仕に捧げられる。そこには剣も、ドローンも、復讐も、悪の軽視も、不当な利益もなく、ただ尊厳と理解と赦しの王国があります」と信徒たちを勇気づけられた。
*真の強さは力の誇示からではなく、命に仕えることから生まれる
教皇は続けて「自己や金銭への偶像崇拝」に対しても警告を発せられ、「力の誇示はもう十分です!戦争はもう十分です!真の強さとは、命に仕えることにある… 今日、平和を信じ、戦争という狂気が残した傷を癒やし、その被害を修復しようと決意した、数百万、数億もの男女、老若の道徳的・精神的な力を結集しましょう! 戦争の恐怖に苦しむ罪のない子供たちへのトラウマ的な影響を思い起こし、人類に対し、彼らの叫びに耳を傾け、彼らを守るように」と呼びかけられた。
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*対話と調停を追求するよう各国指導者に訴える
「各国指導者に課せられた、確かに免れ得ない責任」を改めて強調された教皇は、「私たちは、彼らに向かって叫びます。『止まれ! 今こそ平和の時だ! 再軍備が計画され、殺戮行為が決定されるテーブルではなく、対話と調停のテーブルに着くのだ!』と」と訴えられた。
同時に教皇は「世界中のすべての男女にも、言葉だけでなく行動をもって戦争を拒絶するという、同様に重要な責任が課せられている。祈りは、私たちの心と精神に残るあらゆる暴力を捨て去るよう、私たちに呼びかけています。家庭、学校、地域社会、そして市民社会や宗教共同体において、日々築き上げられる平和の王国へと目を向けましょう」と信徒たちに求められた。「そのような王国は、『友情と出会いの文化』を通じて、論争や諦観に対抗する力となる」。
*節度と良き政治を再び信じよう
教皇はまた、「愛と節度、そして良き政治を、もう一度信じましょう。私たちは自らを磨き、それぞれの召命に従って、個人的に関与していかなければなりません。平和というモザイクには、誰にでも居場所があるのです!」と訴えられた。
さらに、ロザリオが「他の古来の祈りの形式と同様に、繰り返しの上に築かれたその安定したリズムによって、今晩、信者たちを一つにしました」とされ、「平和もまた同じように、一語一語、一挙一動、まるで岩が水滴一つ一つで削られていくように、あるいは布が一針一針で織り上げられるようにして、着実に根を下ろしていくのです」と説かれた。
そして、「これらが人生のゆっくりとしたリズムであり、神の忍耐のしるしであること」を思い起こされ、「私たちは、何を追い求めているのかさえ分からない世界のペースに飲み込まれてはなりません。私たちは、人生のリズム、創造の調和に奉仕し、その傷を癒やすことに立ち返らなければなりません」と信徒たちに促された。
*教会は、いかなる人間の権威よりも、神への従順を植え付ける
「したがって、絶えず、また倦むことなく祈り、心の深い回心を誓って、皆が家に帰るべきです」と説かれた教皇は、教会を和解と平和に奉仕する偉大な民としつつ、「たとえ戦争の論理を拒絶することが誤解や軽蔑を招く可能性があるとしても、教会は躊躇することなく前進します… 教会は平和の福音を宣べ伝え、いかなる人間の権威に対してもではなく、神への従順を植え付ける。とりわけ、国際法の継続的な違反によって他の人間の固有の尊厳が脅かされている時にはなおさらです」と強調。
こうして、「世界中のあらゆる共同体が、対話を通じて敵意を解きほぐす方法を学び、正義が実践され、赦しが大切にされる『平和の家』となること」を願われ、「今こそ、平和はユートピアではないことを示さねばなりません」と訴えられた。
*武器も暴力も使わずに死に打ち勝たれた主への祈り
講話の最後に教皇は、「あらゆる言語、民族、国家の兄弟姉妹は皆、共に泣き、希望を持ち、再び立ち上がる一つの家族です」とされ、その家族に対し、先代の教皇である聖ヨハネ・パウロ二世の呼びかけを受け入れ、「もう戦争は終わりにする。二度と戻ることのない旅路にする。悲しみと暴力の悪循環を終わりにする」と宣言するよう、世界の人々に改めて呼びかけられた。
そして、十字架上の愛の犠牲の果実である復活されたキリストの平和がすべての人々と共にあることを願い、次の平和の祈りを共に唱えるよう皆に呼びかけて、結びとされた。
主イエスよ、
あなたは武器も暴力も用いずに死に打ち勝ち、平和の力によってその力を打ち砕かれました。
私たちにあなたの平和をお与えください。復活の朝、疑いに満ちていた女性たちにそうされたように、恐れから隠れていた弟子たちにそうされたように。
あなたの御霊をお遣わしください。命を与え、和解をもたらす息吹、敵対者や敵を兄弟姉妹へと変える御霊を。
御母マリアを信頼する心を、私たちに与えてください。御母は、御心が砕かれたまま御十字架の足元に立ち、御主が復活されるという信仰を揺るぎなく抱いておられました。
戦争という狂気が止み、この地球が、今もなお 命を育み、守り、愛する術を知っている人々によって、大切にされ、耕されますように。
命の主よ、私たちの祈りを聞き入れてください!
・・・・・・・・・・・
*教皇の講話の全文以下の通り
平和のための聖ロザリオ 祈りの徹夜会 教皇レオ14世の司式により
聖ペトロ大聖堂 2026年4月11日(土)
[マルチメディア]
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平和のための祈りの徹夜会における教皇レオ14世の言葉
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、
皆さんの祈りは、イエスの御言葉によれば、山をも動かす信仰の表れです(参照:マタイ17:20)。聖ペトロの墓所や、世界中の数多くの場所で、平和を祈るためにここに集まってくださったことに感謝いたします。
戦争は分断し、希望は結びつけます。傲慢は他者を踏みつけ、愛は他者を高めます。偶像崇拝は私たちを盲目にし、生ける神は私たちを照らします。親愛なる友人の皆様、人類として、そして人類と共に、この歴史の劇的な時を共に乗り越えるために必要なのは、ほんの少しの信仰、信仰の「一粒」に過ぎません。祈りは、私たちの責任から逃れるための避難所でもなければ、多くの不正義によって引き起こされた痛みを麻痺させる麻酔薬でもありません。
むしろ、それは死に対する最も無私で、普遍的かつ変革的な応答なのです。私たちは、すでに復活した民なのです!私たち一人ひとりの内、すべての人間の内において、内なる師は平和を教え、出会いを促し、祈りを捧げるよう私たちを鼓舞しています。瓦礫の中から立ち上がりましょう! 私たちをあらかじめ定められた運命に閉じ込めるものは何一つありません。たとえ、墓が決して足りないように思えるこの世界であっても、人々は正義や慈悲を顧みることなく、互いに十字架にかけ合い、命を奪い続けているのですから。
2003年のイラク戦争危機という文脈において、平和のたゆまぬ擁護者であった聖ヨハネ・パウロ二世は、深い感慨を込めて次のように述べました。「私は第二次世界大戦を経験し、神に感謝して生き延びた世代の一人です。私には、すべての若者、私より若く、この経験を持たない人々に対して、『もう戦争はごめんだ』と伝える義務があります。
これは、パウロ六世が国連への初訪問の際に述べた言葉です。私たちは可能な限りのことをしなければなりません。平和はどんな代償を払っても実現できるものではないことを、私たちはよく知っています。しかし、この責任がいかに重大であるか、私たちは皆、知っています」(アンジェラス、2003年3月16日)。私は今夜、この呼びかけを自らのものとし、それが今日においてもなお重要であることを強調します。
祈りは、私たちに行動の仕方を教えてくれます。祈りの中で、私たちの限られた人間の可能性は、神の無限の可能性と結びつきます。 そうして、思考、言葉、そして行いは、悪の悪魔的な循環を断ち切り、神の御国のために捧げられるのです。そこには剣も、ドローンも、復讐も、悪の軽視も、不当な利益もなく、ただ尊厳と理解と赦しがある御国です。
私たちを取り囲み、ますます予測不能で攻撃的になりつつある、全能という幻想に対する防壁は、まさにここに見出されるのです。 人類の家族内の均衡は、深刻なまでに崩れてしまいました。命の神である神の聖なる御名さえも、死を語る議論の中に引きずり込まれています。天の父を同じくする兄弟姉妹の世界は、悪夢のように消え去り、敵に満ちた現実に取って代わられています。
私たちは、耳を傾け、共に集まるよう招かれるのではなく、脅威に直面しています。 兄弟姉妹の皆様、祈る者は自らの限界を自覚しており、人を殺したり、死をもって脅したりはしません。それどころか、死は、生ける神に背を向け、自分自身と自らの力を、口も目も耳も塞がれた偶像(『詩編』115編4~8節参照)へと変えてしまった者たちを奴隷にします。彼らはあらゆる価値をその偶像に捧げ、全世界にひざまずくことを強要しているのです。
自己と金銭への偶像崇拝はもう十分です! 力の誇示はもう十分です! 戦争はもう十分です! 真の強さは、命に奉仕することの中に現れます。聖ヨハネ二十三世は、福音的な簡潔さをもって、かつてこう記しました。「平和の恩恵は、個人、家族、国家、そして全人類の至る所で感じられるでしょう。」 そして、ピウス12世の鋭い言葉を引用し、次のように付け加えました。「平和によって失われるものは何一つありません。戦争によってすべてを失う可能性があります」(回勅『Pacem in Terris』、116)。
ですから、今日、平和を信じ、戦争という狂気が残した傷を癒やし、その被害を修復しようと決意している、老若男女、数億、数十億の人々の道徳的・霊的な力を結集しましょう。 私は紛争地域の子供たちから数え切れないほどの手紙を受け取っています。それらを読むと、無垢な視点を通して、一部の大人たちが誇らしげに自慢するような行為の、あらゆる恐怖と非人道性が浮き彫りになります。子供たちの声に耳を傾けましょう!
親愛なる兄弟姉妹の皆様、国家の指導者たちには確かに免れ得ない責任が課せられています。私たちは彼らに向かって叫びます。「止めてください!今こそ平和の時です!」 再軍備が計画され、殺戮的な行動が決定されるテーブルではなく、対話と調停のテーブルに着いてください!
しかし、世界中のすべての男女である私たち全員にも、同様に重要な責任が課せられています。 私たちは、言葉だけでなく行動によっても戦争を拒絶する、膨大な数の集団です。 祈りは、私たちの心と精神に残るあらゆる暴力を捨て去るよう、私たちに呼びかけています。
私たちの家庭、学校、地域社会、そして市民や宗教の共同体において、日々築き上げられている平和の王国へと目を向けましょう。論争や諦観に抗い、友情と出会いの文化によって立ち向かう王国です。愛と節度、そして良き政治を、もう一度信じましょう。私たちは自らを磨き、それぞれの召命に従って、個人的に参画しなければなりません。平和というモザイクには、誰もが居場所があるのです!
ロザリオは、他の古来の祈りの形と同様に、繰り返しの上に築かれたその穏やかなリズムによって、今晩私たちを一つにしてくれました。平和もまた、同じように地歩を広げていきます。一語一語、一挙一動、まるで岩が水滴によって少しずつ削られていくように、あるいは布が一針一針織り上げられていくように。これらは人生のゆっくりとしたリズムであり、神の忍耐のしるしです。
何を追い求めているのかさえ分からないこの世界のペースに、私たちは飲み込まれてはなりません。むしろ、私たちは、人生のリズム、創造の調和に奉仕し、その傷を癒やすことに立ち返らなければなりません。教皇フランシスコが教えてくださったように、「平和の使者たち、すなわち、癒やしと新たな出会いのプロセスを開始するために、大胆かつ創造的に働く用意のある男女もまた必要とされています」 (回勅『フラテッリ・トゥッティ』、225)。確かに、「社会の様々な機関が、それぞれの専門分野に応じて貢献する『平和の建築』がある一方で、私たち一人ひとりが関わる『平和の芸術』もあるのです」(同上、231)。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、絶えず、また倦むことなく祈り、心の深い回心へと向かうという誓いを立てた上で、帰路につきましょう。教会は、和解と平和に奉仕する偉大な民です。たとえ戦争の論理を拒絶することが誤解や軽蔑を招くとしても、教会は躊躇することなく前進します。 教会は平和の福音を宣べ伝え、いかなる人間の権威よりも神への従順を説きます。とりわけ、国際法の絶え間ない違反によって他の人間の固有の尊厳が脅かされている時にはなおさらです。
「世界中で、あらゆる共同体が『平和の家』となることを願います。そこでは対話を通じて敵意を和らげる方法を学び、正義が実践され、赦しが大切にされるのです。今こそ、平和はユートピアではないことを示さなければなりません」(第59回世界平和の日メッセージ、2026年1月1日)。
あらゆる言語、民族、国家の兄弟姉妹たちよ。私たちは、共に泣き、希望を持ち、再び立ち上がる一つの家族です。「もう戦争は終わりにしよう、二度と戻れない旅路を。もう戦争は終わりにしよう、悲しみと暴力の悪循環を。」 (聖ヨハネ・パウロ二世、『平和のための祈り』、1991年2月2日)。
親愛なる友人の皆さん、皆様に平和がありますように! それは復活されたキリストの平和であり、十字架上の愛の犠牲の果実です。 それゆえ、私たちは主に向かって祈りを捧げます:
主イエスよ、
あなたは武器も暴力も用いずに死に打ち勝ちました:
あなたは平和の力によって、その力を打ち砕かれました。
私たちにあなたの平和をお与えください、
復活の朝、疑いに満ちていた女性たちにそうされたように、
恐れから隠れていた弟子たちにそうされたように。
あなたの御霊をお遣わしください、
命を与え、和解をもたらす息吹を、
敵対者や敵を兄弟姉妹へと変える御霊を。
御母マリアを信頼する心を、私たちに与えてください。
御母は、御心が砕かれたまま御十字架の足元に立ち、
御主が復活されるという信仰を揺るぎなく持ち続けておられました。
戦争という狂気が止み、
この地球が、今もなお
命を育み、守り、愛する術を知っている人々によって、大切にされ、耕されますように。
命の主よ、私たちの祈りを聞いてください!
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)