☩「謙虚で、もっと喜んで人を迎え入れる教会を作ろう」-教皇、”シノドスの道”の関係者・機関の聖年記念ミサで

Pope Leo presides over Holy Mass for the Jubilee of Synodal Teams and Participatory BodiesPope Leo presides over Holy Mass for the Jubilee of Synodal Teams and Participatory Bodies  (@Vatican Media)
(2025.10.26  Vatican News  Kielce Gussie)

 教皇レオ14世が26日、聖ペトロ大聖堂で、”シノドスの道”の関係者・機関の聖年記念ミサを捧げられ、この日読まれたルカ福音書のたとえ話に登場する徴税人のように「自らを低くし、教会における緊張の中でも一致を見いだすように」と呼びかけられた。

 ミサ中の説教で教皇は参加者全員に「教会の神秘」について省察するよう勧められ、「教会は単なる階層や構造を持つ宗教機関ではありません。『神と人類の結合の可視的なしるし』であり、神が『愛によって結ばれた一つの家族』として全ての人を集める場所です」と語られた。

 さらに、聖霊によって創られ、保たれる教会的交わりを熟考することで、”シノドスの道”に関わる人々や参加型組織の本質を理解し始めることができる、と指摘。

 「これらは教会内で起こる事象を表現しています。そこでは互いの権力の論理ではなく愛の論理に従っています… そして、キリスト教共同体において最も重要なのは霊的生活です」と述べられた。

*愛こそが教会における最高の規範

 

 そして教皇は、「何よりもまず、愛こそが、教会における最高の規範であることを心に留めるように」と促され、「支配するために召された者はいない。皆が奉仕するために召されています。排除される者はいない。私たちは皆、参加するために召されています… 私たちは皆、共に完全な真理を求めよと招かれています。この『共に』という招きは、教会内における交わりの呼びかけを、改めて示すもの。教皇フランシスコが四旬節のメッセージで語られていたように、キリスト者は他者と肩を並べて歩むように招かれているのです。決して孤独な旅人として歩んではなりません」と強調された。

*ファリサイ派の人と徴税人の”分断”は教会でも起こり得る

 

 続けて、「この『共に』こそ、この日の福音書のたとえ話のファリサイ派の人と徴税人が欠いていたもの。彼らは同じ場所にいながら分断され、交流がなかった。二人とも同じ道にいるが、共に歩んではいない。父なる神に祈るが、兄弟としてではなく、何の共通点もなく祈っているのです」と指摘。

 「この隔たりは、とりわけファリサイ派の態度に起因しています。彼の祈りは、神に向けられているように見えても、実は『自分自身を見つめ、正当化し、称賛』する鏡に過ぎない。徴税人に優越感を抱き、見下している。神や他者との関係よりも、自分自身に焦点を当てているからです」と語られた。

 そのうえで教皇は、「このようなことは、キリスト教共同体でも起こり得ます。共同体よりも自分自身が優先されると、真の兄弟愛的な関係を不可能にする個人主義が生まれます。自分が他者より優れている、と考える場合にも起こり得るのです」と警告。

 「ファリサイ派の人に注目するのでなく、徴税人に目を向けるべきでしょう。彼の謙遜は、私たち教会員全員が神と互いを必要としていることを思い起させます。互いに耳を傾け、愛し合い、共に歩む喜びを分かち合う必要があります。それは、キリストは『謙遜な者たちのもの』だからです」と勧められた。

 そのうえで教皇は、”シノドスの道”の参加者や組織が「互いに交わりながら生きる教会の姿」であることを強調。「対話と兄弟愛、そしてパレーシア(真実を率直かつ勇気をもって語る姿勢)をもって聖霊に耳を傾けることで、私たちは『神を求めて共に歩む』という招きに応えられるのです」と語られた。

 

 

*「聖職者主義」と「虚栄心」を排除することが必要

 

 さらに、「私たちが『聖職者主義』と『虚栄心』を排除するなら、もっと喜んで人々を迎え入れる共同体としての教会を築くことができます。私たちは教会の緊張関係―一致と多様性、伝統と革新、権威と参加―の中で確信を持って生きることができます」と強調。

 「一方を他方に還元することで(緊張関係を)解決するのではなく、聖霊によって清められ、調和し、共通の識別へと導かれるようにすることが必要です。”シノドスの道”の参加者や組織は、教会の識別には内的な自由、謙遜、祈り、信頼が必要であることを理解している(はずです)。決して一人の意見だけで決まるものではありません」と参加者たちを促された。

 そして最後に教皇は、参加者全員に「人類の足を洗うために身をかがめる、ファリサイ派の人が徴税人を裁いたように裁かず、すべての人を受け入れる場所となる、もっと謙虚な教会を目指し、その建設に挑むように」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年10月26日